第1316話 代役案

統一歴九十九年五月十一日、夜 ‐ グナエウス砦陣営本部プリンキパーリス・ブルギ・グナエイ西山地ヴェストリヒバーグ



 グルグリウスにペイトウィンの世話を頼んだのはカエソー自身だ。だが、グルグリウスほどの実力者をペイトウィンの世話にかかりきりにしたままでは勿体もったいなさすぎる。しかし、いざペイトウィンが何かの拍子に激昂してしまった時、あるいは脱走を試みた時、ペイトウィンを実力で押さえつけられるのはグルグリウスしかいない。《地の精霊アース・エレメンタル》も居ることはいるのだが、頼りきることができないのは先述した通りだ。


「ど、どうなさいますかカエソー伯爵公子閣下!?

 このまま『勇者団』ブレーブスがアルトリウシアに入るようなことになっては……」


 ホブゴブリンの百人隊長ケントゥリオ、セルウィウスが心配そうに尋ねる。彼は平民プレブスの商家の出身ではあるが、現在は中隊長プリミ・オルディネスとしてルクレティアの護衛部隊を指揮する立場にあり、この場にいるアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの将兵としては最高位であるため、身分を理由に遠慮することなくアルトリウシア側の懸念を訴えねばならない。カエソーはカエソーで、彼をこの場におけるアルトリウシアの代表者として尊重せねばならなかった。


「無論、手をこまねくつもりはない。

 ひとまず早馬を出してアルトリウシアに状況を伝えよう。

 それとは別に明日にはダイアウルフ討伐作戦の状況説明のためにアルトリウシアから誰か幕僚トリブヌスが来ることになっているのだ。

 そこで対応を協議せねばなるまい」


「それでは遅すぎます!

 ティフブルーボール様は早ければ明日中にアルトリウシアに入ってしまうではありませんか!?」


 訴えるセルウィウスは珍しく感情を昂らせていた。無理もない。彼の実家はグナエウス街道からアルトリウシアへ入って最初の街、マニウス要塞城下町カナバエ・カストリ・マニにあるのだ。グナエウス峠を越えた『勇者団』が最初に寄るであろう街に実家があり、家族もいる彼にとってこの問題は軍人としての立場を超えて重要なものとなっていた。


「落ち着けセルウィウスカウデクス

 貴様とてレーマの軍人であろう!?」


 しかし、さすがに隣の属州の領主の息子、サウマンディア軍団筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウス・レギオニス・サウマンディイに食って掛かるのはやり過ぎだった。セルウィウスの同僚の百人隊長が諫めると、セルウィウスは悔しそうに唇を噛み、「申し訳ありません幕僚殿トリブヌス」と低く詫びて頭を下げた。

 カエソーはその様子を見ながらセルウィウスの生意気な態度に対する反感を隅に追いやり、視線を誰も居ないところへ向けて考え込む。


「やはりより緊急を要するのはティフブルーボール様の方だ。

 ペイトウィンホエールキング様の世話、一日か二日ぐらいなら誰かほかに任せられないか?」


 誰に尋ねるというわけでもなくカエソーは呟く。だがその問いに答は帰って来ない。そもそもメルクリウス対応はサウマンディウス伯爵家の専権事項で、『勇者団』はメルクリウス騒動の容疑者だ。ペイトウィンの護送もティフの監視や捕縛も、この場における責任はカエソーにしかない。


 ルクレティア様はダメだ……今、彼女をペイトウィンホエールキング様に近づけることは出来ない。

 しかしそうなると……スカエウァか?

 アイツに任せるなんてダメだ。

 今のアイツはすっかり浮ついて誰に忠義を尽くしているのか分からん。

 下手するとせっかくの捕虜を逃がしてしまいかもしれん……

 それにスカエウァにペイトウィンホエールキング様を任せると、メークミーサンドウィッチ殿やナイスジェーク殿と一緒にしてしまいかねんではないか!?


 ペイトウィンはあれから幾度となく誰に会わせろ、誰を連れて来いと繰り返している。その対象は主にリュウイチやルクレティアであるが、メークミーやナイスの名前も時折思い出したように飛び出していた。

 スカエウァ・スパルタカシウス・プルケルは始めて目の当たりにしたムセイオンの聖貴族たちに夢中になっている。そして本人がそのことに自覚できていない。他人から何度指摘されても自覚できないでいるのだ。チョット考えればダメだろうとすぐに分かるような要求を受け入れ、何とか融通を付けようと繰り返しており、今や彼自身の部下たちからすら冷ややかな目を向けられ始めていた。

 ヒトであるメークミーやナイスの世話を任されてすらソレなのだ。メークミーやナイスよりも更に高貴とされるハーフエルフのペイトウィンなど任された日には、どうなってしまうのか……本来、ブレーキ役、監視役であらねばならない筈がブレーキ役どころかブースターになってしまうのが目に見えている。


 しかし、高貴な存在の世話は高貴な者でなければ……

 まさか他の下級神官をメインに据えるわけにもいくまい……

 だいたい、ペイトウィンホエールキング様が暴れ出した時の抑えを利かせられないではないか……


 結局、カエソーの頭の中では同じことがグルグルと回り続けるだけだった。そして自分で自分の考えが堂々巡りをしていることに気づいたカエソーが忌々し気に唸りながら頭をガシガシと掻きむしる。


「……閣下」


 声をかけてきたのはグルグリウスだった。


「どうやら吾輩わがはいティフブルーボール様の方に行かねばならぬご様子。

 であれば致し方ありません。

 ペイトウィンホエールキング様の御世話は他の方に譲るのも致し方ありますまい」


 ありがたい申し出だがカエソーは苦笑いを浮かべながら首を振るしかない。


「残念ですが、今その代わりの人材がいないのですよ」


 そんな都合のいい人材がいるのならこんなに悩んだりはしない。もしもグルグリウスが普通の人間でカエソーの部下なら、今頃怒号が飛んでいることだろう。相手がグルグリウスだからカエソーも自制しているのだ。それが分かっている百人隊長たちは、どこか気まずそうな様子で二人を見守っている。


「そうでしたか……」


 グルグリウスはワザとらしく驚いて見せると、少し勿体ぶるように言った。


「しかし閣下。

 吾輩わがはいには心当たりがあるのです」


「心当たり?」


 これにはカエソーに限らず全員が怪訝そうにグルグリウスへ視線を向ける。全員の視線を集めたグルグリウスは少しばかり悪戯っぽい笑みを浮かべて提案した。


「リウィウス殿はいかがでしょう?」

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