第6話 緊急出動

 統一歴九十九年四月十日、朝 - 市街地/アルビオンニウム



 クィントゥスは中堅の百人隊長ケントゥリオだ。


 機敏、勤勉、品行方正で戦場でも任務に忠実でありつづけた。

 まだ青年と呼ばれるべき歳だが、治安維持活動のような盗賊相手の小規模な不正規戦はもちろん、それなりの規模の正規戦も幾度か経験しており、実績は年齢に見合う以上には積んでいた。


 そしてその都度、理想の百人隊長像を体現してみせている。


 部下、上司、同僚らの信頼も厚く、いずれは筆頭百人隊長プリムス・ピルスにもなれるだろうと誰もが期待する優秀な軍人である。

 当然ながらちょっとやそっとの事で動じるようなことは無い。


 その彼が血相を変えて慌てて走ってきた・・・何かあったと察するには十分だった。



 一同は一言もなく足早に表に出た。


 確かに先ほどまでよりは妙に明るくなっていた。

 上官が姿を見せたなら姿勢を正して敬礼くらいするものだが、兵たちは自分たちの上官どころか軍団長レガトゥスが姿を見せた事にすら気付かぬまま、空を見上げている。


「あれを!」


 クイントゥスはそう言って空を指さした。


「何だ!?」


 先ほどまで空は一面灰色の薄雲に覆われていたが、見上げるとその薄雲の真上に丸く穴が開いて青空が見えていた。その青空は真円を保ったまま、見る間に大きく広がり続けている。

 円の外側の風景がにじみ始めている・・・どうやら青空に押しのけられた雲が円のすぐ外側で密度を増し、雨雲となって雨を降らせはじめているようだった。

 ここにはその雨は降って来ていない。


「おい、そこのお前!」

 スタティウスが手近なところにいる兵士を呼びつけた。


 ボーっと間抜けな顔をして空を見ていたその兵士は我に返ると、声の主に気付いて慌てて駆け寄ってきた。そして棒を飲んだように姿勢を正し、右腕をまっすぐ掲げて理想的なローマ式敬礼をしてみせた。


「御用でありましょうか、陣営隊長プラフエフェクトゥス・カストロルム!」

「何があった、さっきの音は何だ?」


 スタティウスが答礼してから尋ねると、兵士はやや躊躇ちゅうちょしてから答えた。


「申し訳ありません。自分は丁度屋内に居たので直接見てはおらんのですが、兵どもが言うには神殿テンプルムに向かって真っすぐ雷が落ちたそうであります。

 そのあと、雷が落ちたところから青空が広がり始めたと聞いております。」


 呼びつけた兵士は話しぶりからすると兵卒ではなく十人隊長デクリオだったようだ。彼はロリカグラディウスも身に付けてはいたがガレアを被っておらず、突然呼び止められたのでだらしない恰好をしているところを見られ叱られるのではないかと心配し緊張しているようだった。


「神殿ってどの神殿だ?」


「あの丘の上の・・・」

 十人隊長は指で指示した。


ケレース神殿テンプルム・ケレースか?」

「はい、その通りであります。」


「それだけか?」

「はい、自分が知っているのはそれだけであります。」


 スタティウスが一言ごくろうと言って解放すると、十人隊長は安堵の色を隠しながら(隠しきれてなかったが)再び敬礼し、失礼しますと言って元居た場所へ戻っていった。


軍団長殿レガトゥス・レギオニス


 そう呼びかけてきたスタティウスの方をアルトリウスは一旦振り返り、改めて部下の百人隊長たちを見渡す。


「状況を確認する。

 一応、聖堂の中と周囲をもう一度確認。

 船着き場に伝令を出して異常がないか確認させろ。

 神殿は帰ってきている軽装歩兵ウェリテスの中から一隊を差し向けて状況を再確認させる。」


 アルトリウスが百人隊長の顔を一人ずつ見ながらそれぞれがすべきことを伝え、最後にかかれと手で合図すると百人隊長たちは一斉にハッと返事をして散っていく。



「アルトリウス、私神殿に行くわ!」


 ルクレティアだ。彼女は聖貴族の神官で身分が高くアルトリウスとは幼馴染でもあるため、互いによくこういう口の利き方をする。


「今はダメだ」


「でも神殿がどうなったか確認しなきゃ帰れないわ!」

「わかってる。だが、その前に状況を確認せねばならん。」


「その状況を確認するために行くのよ。」

「先に兵たちに安全を確認させる、君が行くのはそれからだ。」


 ルクレティアはまだ何か言いたそうだったが押し黙った。


「行けるようになったら必ず言うから、今は大人しく待っててくれ。」

 アルトリウスはそれだけ言うと返事を待たずに大声でスタティウスを呼ぶ。


「はい、軍団長」

「軽装歩兵は?」


「一番最初に帰ってきて先に休憩してた十人隊コントゥベルニウムを神殿へやりました。

 あと一隊待機してます。」

「その一隊を呼べ。ルクレティア様の護衛につける。」

「わかりました。」


 スタティウスが命令を実行すべく立ち去ると、アルトリウスの視界の端に一人の兵士が入った。

 昨夜来、全ての兵が武装したままだというのに、その兵士は鎧と短剣プギオを身に付けただけの恰好で、遠巻きにこちらの様子をうかがっている。


 あれはたしかルクレティアたちの世話を命じた軽装歩兵たちの十人隊長だ。先ほどのやり取りをたまたま耳にし、自分たちが務める筈の護衛任務に変更があるのか気にしてるんだろう。

 アルトリウスは手招きしてその十人隊長を呼んだ。


「軍団長」

 十人隊長は駆け寄ってくるとアルトリウスを見上げ、上体をらせて敬礼した。


 アルトリウスは大柄な成人ホブゴブリン男性より更に頭一つ分以上背が高い。彼のような平均的なホブゴブリン兵士がアルトリウスに対して普通に敬礼すると、顔か首に手刀を繰り出すみたいになってしまう。このため、自然と彼のように上体を仰け反らせるような姿勢で、通常よりも高く手を掲げなければならないのだった。


「貴様らの任務に変更は無い。」


 そこまで言うとアルトリウスは身をかがめ、十人隊長に耳打ちするように声を低くして続けた。


「このあとルクレティア様は神殿に向かわれる。

 何かあるかもしれんから移動には座與セッラを使う。用意できてるな?」

「はい、昨日の内に二人分・・・二台用意してあります。」


「それを用意し、武装を整えろ。

 更に一隊を護衛につけるから、お前たちは軽装でいい。いざという時は・・・わかってるな?」

「はい、ルクレティア様をかついで全力で逃げさせていただきます。」


 アルトリウスに合わせて低い声で十人隊長が答えると、アルトリウスは再び上体を起こし、普段のようにハッキリと命じる。


「期待している、かかれ!」


 十人隊長ははじかれたように駆けて行った。



 再び一人になったアルトリウスは頭の中で今後の予定を組みなおす。


 何があったかはわからないが、仮に落雷が単なる自然現象で何もないとしても、ここから神殿までは片道で約一マイル強(約二キロメートル)ほどの距離がある。軍団兵の脚力なら常人の倍近い速さで行軍できるが、神殿での確認作業も考えると一時間半か二時間程度は当初の予定にはなかった時間を費やさねばならないだろう。


 そういえば先ほどやった軽装歩兵が安全を確認したらルクレティアにも神殿を確認させなきゃいけないんだった・・・それで同じだけ時間を食ったとして、それから海まで行って乗船して、出港するとなると、急いでも昼を過ぎるかもしれない。


 アルビオン海峡は海流が速く渦潮も頻繁に発生する海の難所だ。できることなら日が暮れる前にサウマンディウムにたどり着きたいが、時間がギリギリになりすぎるかもしれない。

 ヘルマンニとサムエルの親子は船を操らせれば右に出る者のない名人だが、今回は本来の乗員を半分以上降ろして兵を余計に積んできているから、用心して今日の出港を見合わせるかもしれない。

 糧食りょうしょくは少し余計に持ってきてあるから問題は無いが・・・。


 アルトリウスも彼の部下も時計など持ち合わせていないので正確な時間など測れない。それでもアルトリウシアへの帰還が遅くなる可能性が現実味を帯びてきている程度のことは容易に推察できた。


 アルトリウスは昨年南蛮豪族の娘を妻にめとったばかりで、家に帰れば彼にとって初子ういごとなる赤子あかごと妻が待っている。自分の帰りを待ちわびる家族のことを思うと気が沈むのをどうにもできなかった。



「何だあれ!?」


 兵たちが急に騒ぎ始めた。


 彼らの視線を追って神殿の方を見ると、神殿の敷地内・・・おそらく正面玄関オスティウムのあたりだろう・・・から火柱が上がっていた。細くまっすぐ立ち昇るそれはどう考えても普通の炎ではない。


 神殿へ続く坂道に視線を移すと、一人の軽装歩兵が全力で駆け下りてくるのが見えた。



 明らかに何かあったとしか思えない。


 先ほど派遣した斥候せっこうの帰還を悠長に待っていられるような状況ではなくなった。彼らはまだ神殿の丘の登り口にすらたどり着いていない筈だ。


「軍団長殿!」


 アルトリウスがスタティウスを呼ぶより一瞬早く、当人が駆けつけてきた。その後ろにはやや遅れて他の百人隊長たちも続いている。


「ここにいる全軍で神殿へ向かう。進軍準備!」


 アルトリウスが口早に告げると百人隊長たちはそのまま回れ右して大音声だいおんじょうで全隊整列の号令をかけた。それと共に周囲が喧噪に包まれる。

 彼の兵たちは朝食の準備を放り出し、装具を点検すると武器や大盾スクトゥムを手にとって駆け足で整列しはじめる。


 ただならぬ様子に驚いたルクレティアとヴァナディーズが小走りで駆け寄ってきた。

「何があったの?」

「わからん。分からんが、神殿で何かあったようだ。」


 そう言われてルクレティアは神殿の方へ眼を向け、火柱を確認すると目を見開いた。


「これから全軍で神殿へ向かう。君たちはここで待ってるんだ。」


 アルトリウスが続けてそう言うとルクレティアが目をむいた表情のままアルトリウスを振り返る。


「冗談じゃないわ、私も行きます!」

「ダメだ。」


「分かってるの?あれは自然の火なんかじゃないわ、精霊エレメンタルの火よ!

 それも強力な・・・イフリートか、下手したらフェニックスクラスのよ!?」


 食い下がるルクレティアにアルトリウスは向き直った。


「分かってる。だからこそあそこは危険なんだ。

 君を行かせるわけにはいかない!」


 ルクレティアは黙ったが決して納得した様子ではなかった。むしろムキになってる。

 怒ったような表情のままアルトリウスに身体がふれそうなほど歩み寄り、下から見上げるようににらみつける。


「・・・メルクリウスだと思ってるのね?」

「・・・かもしれない。」


「降臨かもしれないわよ?」

「可能性は否定できないな。」


「万が一降臨があった場合、どう対処しなきゃいけないかわかってるわよね?」


 降臨が防げなかった場合、降臨者には高位の神官が対応するよう大協約で定められている。ルクレティアは神官としては未熟で見習い同然だが、一応教育は受けているしこの場に神官は彼女しかいない。

 つまり彼女以外には対応できない。


「・・・ルクレティア、私には君の安全を守る義務があるんだ。」

「私にも神官としての義務があります。」


「降臨とは限らん。」

「降臨だったらどうするの?

 私が駆けつけるまで降臨者様を待たせるつもり?」


 そうこうしてる間にも兵士たちは整列し、点呼をとりはじめている。

 神殿から立ち上っていた火柱は既に消えており、遠目に見る限りでは火災は起こってないようだ。


「降臨だろうがなかろうが、あそこで起きたのはおそらく戦闘だ・・・あそこは既に戦場だ。女のおもむく所ではない。」

「あそこは神殿です!神官である私の赴く所です。

 あなたが私を置いて行っても私は歩いていきます!」


 ルクレティアはそういうとまとっていたパルラ(肩にかけるように纏うマントのような外套がいとうの一種)のフードを頭にかぶり、右手でストラ(チュニック型の女性用衣装でくるぶし丈のワンピース)の裾を持ち上げて神殿に向かって勝手に歩き始める。


 護衛に充てられた軽装歩兵たちは付いて行くべきかどうか判断しかねてオロオロしていた。一般兵士や平民といった身分の男が聖貴族の、しかも神に仕える巫女たる女性神官の身体に触れることなど許されていない。彼らには力ずくで彼女を押しとどめようにも出来ないのだった。


「わかった!待てルクレティア!!」


 額を揉みながらアルトリウスが呼び止めると、ルクレティアは立ち止まり振り返った。


「連れて行くが条件がある。」

「何?」


「君には護衛をつける。

 護衛の兵が君の安全を確保するために必要と判断した決定には従ってもらう。」

「・・・いいわ」


「あと、座與を用意したから、それに乗れ。」


 アルトリウスが目配せすると兵士が整列している脇から、四人一組で二台の座與を担いだ軽装歩兵が小走りでやってきた。すかさず、その後ろに護衛の軽装歩兵八名が整列する。


「あれに!?冗談でしょアルトリウス!!」


 座與といっても昨日、廃墟に残されていた程度の良い椅子に棒を二本縛り付け、担げるようにしただけのものだった。

 ルクレティア本人よりも重たい兵士が武装したまま実際に乗り、問題ないか確かめてあるから強度や機能は何の不安もない。ただ、ひどくみすぼらしい代物しろものだった。


 確かにそれに乗るのは年頃の女の子からすると少し恥ずかしいかもしれない。いくらここが人目の無い廃墟とはいっても、二百人を超える兵士に見られてしまうことには違いないのだから。


 しかし今、それを担いでいた製作者本人たちは、ルクレティアの反応を目の当たりにしてちょっぴり傷ついていた。彼らは敬愛する神官に喜んでもらえると期待して、無い材料を集め、綺麗に洗ったりして一生懸命作ったのだから。


「冗談は言ってない。それに乗らないんなら連れて行かない。」

「歩いて行けます!」


「君の脚じゃ時間がかかりすぎる。これなら君の驢車ろしゃより速い。」


 ルクレティアは黙ってアルトリウスを睨みつけるが、彼は意に介さず整列している部下たちの方へ向き直った。


「スタティウス!」

「はっ!」


「通信体制確保のため軽装歩兵一隊を残せ。他、準備はどうか?」

重装歩兵ホプリマクス二個百人隊ケントゥリア、軽装歩兵四個十人隊コントゥベルニウム、計二百十名整列しております!」


 スタティウスの集計にはルクレティアらの護衛に充てた部隊と通信のためにここに残す部隊は含まれていない。


 アルトリウスは報告を聞きながら小脇に抱えていた自身の兜を被ると前進を命じた。それを受け、アルトリウス本人を含む二百三十名が丘の上の神殿を目指して移動を開始した。

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