第7話 戦闘跡

統一歴九十九年四月十日、朝 - ケレース神殿前/アルビオンニウム



「オトォォ!とっつぁああん!ネロの旦那ぁぁ!!」


 本隊と合流し、伝令としての務めを果たしたカルスがアルトリウス率いる本隊と共にケレース神殿テンプルム・ケレースへ戻ってきた時、彼の十人隊コントゥベルニウムの仲間たちで立っている者はいなかった。


 七人は本隊より先行した斥候せっこう軽装歩兵ウェリテス八人によって神殿テンプルム広場フォルムの隅にある馬屋に集められ、その身体を並べて横たえられている。


 アルトリウスたちが神殿に到着したのは出発から約四十分後のことだった。強足で行軍していれば三十分とかからない筈の行程で遅れが生じたのは、行軍中に全速力で駆け下ってきた伝令兵カルスと合流し、その報告を聞いたアルトリウスが随行している陣営隊長プラフエフェクトゥス・カストロルムのスタティウスと百人隊長ケントゥリオらを集め、短時間ながら情報の共有と方針の協議を行ったからだった。


 その間、鉄砲を持つ兵たちには弾を装填させ、臨戦態勢を取らせている。


 アルトリウスは伝令兵に休息させるつもりだった。途中、何度か転んだのだろう、彼は泥だらけだったし怪我もしているようだった。


 だが彼はそれを固辞し、顔を泥と汗と涙でグチャグチャに汚したまま「先導します!」と言ってアルトリウスと本隊の前を神殿に向かって足早に進んできたのだった。



 神殿前に到着し仲間全員が馬屋に横たえられているのを見て駆け出して行ったカルスと入れ替わるように、先にここに着いていた軽装歩兵の十人隊長デクリオが報告のために駆け寄って来ると、アルトリウスを見上げりながら敬礼した。


軍団長殿レガトゥス・レギオニス!」

「状況は?」


 アルトリウスはすぐ後ろを歩いていたクィントゥスにジェスチャーで部隊を整列させるよう合図し、馬屋の方へ歩きながら十人隊長に報告を促した。報告に来た十人隊長はアルトリウスの横やや後ろで追従しながら報告する。


「戦闘はあったようですが、我々が到着した時、既に敵の姿はありませんでした。

 神殿の周りも一周しましたが、友軍の足跡以外は何もありませんでした。

 おそらく、まだ神殿内に居るものと思われます。」


 アルトリウスが歩きながら神殿の玄関オスティウムの方を見ると扉は閉ざされていた。


「あいつらは?」

「全員、眠っています。」


 アルトリウスは思わず歩みを止めて隣を歩いていた十人隊長を見下ろした。


「眠っている?」


 アルトリウスの反応を見て十人隊長は自分がとばっちりで怒られるとでも思ったのか一瞬おびえたような態度を示したが、気を取り直して報告を続けた。


「わ、我々が到着した時、あいつらは倒れていました。

 駆け寄って調べてみましたが、全員眠っていただけでした。怪我一つしていません。

 ただ、何をしても、どれだけ起こそうとしてもまったく起きません。」

「・・・・・」


 しばし十人隊長の顔を見て、アルトリウスは出すべき指示を出し忘れていた事に気付いた。


「セルウィウス!連れてきた軽装歩兵四隊で神殿周辺を囲ませろ!

 裏から誰も逃がさぬ様に!」


 アルトリウスは丁度視界の端に映っていた軽装歩兵を束ねる百人隊長へ大声で指示を出すと、再び馬屋の方へ歩を進めた。


 アルトリウスが近づくと、眠っている軽装歩兵とカルス以外の全員が立ち上がって姿勢を正した。カルスは眠っている仲間の頬をペシペシ叩くなどして、一生懸命起こそうとしている。


「起きないのか?」


「はい、外傷も何もありませんし息もしてます。

 アルトリウスの問いに軽装歩兵の一人が答える。


「・・・・・ルクレティア様をここへお連れしろ。」


 アルトリウスが命じると、軽装歩兵の一人がハッと返事をして本隊の方へ駆けて行った。


 屈んで近くから兵の様子を見てみたが、確かに寝ている。深い眠りについているようでピクリとも動かないが、寝息だけは立てていた。何人かは小便臭いが、血の匂いなどはまったくしない。


 そのうち、ルクレティアとヴァナディーズが座與セッラに載せられたまま運ばれてきた。


「降ろして!どこへ連れてくのよ!?」


 兵たちの足音とともに徐々に大きくなるルクレティアのかしましいわめき声が最大になった時、アルトリウスは立ち上がって振り返った。


「ルクレティア様、どうぞこちらへおいでください。」


 わざとゆっくり丁寧な口調で呼びかけるアルトリウスの声にルクレティアはようやく口を閉じた。


 座與が降ろされ、ルクレティアがふくれっ面でヴァナディーズと共に歩いてくる。


「何よ?」

「彼らを診てくれ。」


 ルクレティアはてっきり死体が並べられてるものと思っていたが、アルトリウスの言葉から彼らが未だ生きている事に気付き急いで駆け寄った。そして身をかがめ、眠っている兵士らの顔を覗き込んで様子をうかがう。


「起きないの?」

「ああ、何をしても起きないらしい。任せていいか?」

「ええ」


 アルトリウスはルクレティアにこの場を任せ、整列しつつある軍団兵レギオナリウスらを避けて玄関の前に行った。そこには地面に彼らが戦ったであろう痕跡が残されていた。


 その周囲をスタティウスと百人隊長らが囲んで見分している。部隊を整列させるのを百人隊副長オプティオ百人隊旗手シグニフェルに任せて集まり、残された痕跡からここで行われたであろう戦闘の様子を知ろうとしているのだった。


軍団長レガトゥス、ご覧ください。」

 屈んでいたスタティウスは立ちあがると、場所をアルトリウスに譲った。


 そこには投槍ピルムが何本か転がっており、地面には焼けた跡がある。市街地の廃墟から見えた火柱はおそらくここから立ち上っていたのだろう。


 焼け跡近くの投槍は青銅製の穂先が溶けて変形し木製の柄は炭化しており、離れた場所に転がっている投槍は穂先が折れ曲がって柄が少し焼け焦げていた。穂先の折れ曲がり方から投槍は置き捨てられたのではなく、何かに向けて投擲とうてきされたものであることは間違いないようだ。


 ほかにも太矢ダートだったと思しきものが転がっている。ほとんど半分以上が溶けていて原形を留めている物は皆無だった。ただ、かろうじて軸と矢羽根の部分が、それがかつて太矢だったことを示しているに過ぎない。


 他にも小さな丸い銅の塊がいくつも転がっている。

 それが溶けて飛び散った青銅のしずくが冷えて固まったものである事に気づくのには、少々の時間を要した。


「何をどうすればこんなことになるんだ?」


 おそらくあの火柱が関係しているのだろう。

 火柱に向かって投げて、投げた投槍や太矢が溶かされた?飛んでくる青銅の塊をこんなに溶かすなんて、いったいどれだけ凄い火なんだ?帝都レーマを焼き尽くしたというイフリートぐらいなら出来るのだろうか?そんな強力な精霊エレメンタルを使う敵・・・我々で対抗できるのか?


 アルトリウスはまだ見ぬ敵の能力に考えを巡らせながら、部下たちが抱えている鉄砲を見た。



 軍団レギオーが用意している鉄砲は二種類ある。一つは帝国で標準的な短小銃マスケートゥム。もう一つは彼の妻が嫁入りする際に、妻の実家(南蛮の豪族)が送ってよこしたオーハザマと言う長大な鋼鉄製の鍛造鉄砲。


 短小銃の見た目は全長の短いフリントロック銃だが、銃身は砲金ほうきん(銅九十%、すず十%の青銅)を鋳造して作られたもので太く短い。

 銃弾一発の威力(質量)を最大化する事を目指し、帝国内で軍役についている全ての種族が扱ううえでの実用上限となるよう、口径は八分の七インチ(約二十二.五ミリ)に達し弾丸重量は五十七スクリブルム(約六十五グラム)ほどもある。


 一丁の重量は十四リブラ(約四キロ半)近いにも関わらず、銃身長は約十六インチ(約四十センチ)に届かない。滑腔かっこう銃でもあるためポイントターゲットに対する有効射程は短く、狙って命中を期待できるのはせいぜい二十五ピルム(約四十六メートル)ぐらい。腕のいい射手が精度の良い銃を使ってようやく四十ピルム(約七十四メートル)先の目標をというものだった。ここで言うとは、目標に向かって十発撃って五発以上命中させる事が出来る程度の命中精度を指す。


 なお、銃剣の存在はこの世界でも知られているが採用されていない。


 この世界特有の事情により手盾スクトゥムが防御手段として有効な事から、盾と槍を装備する兵が一定割合で部隊に含まれている事と、短小銃に銃剣を付けてもあまり効果が無いことが理由となっている。


 短小銃は銃自体が三十インチ(約七十五センチ)ほどと短すぎるため、銃剣をつけても胸甲槍騎兵の突撃に対抗できない。グラディウスを突き出す方がマシだ。

 銃が短くても銃剣を長くすれば良さそうだが、兵士全員に長い鉄剣を供給できるほど鉄の生産量が無いため、青銅で作らざるを得ず、長さと強度を確保しようとすると重くなりすぎて結局実用性が無いという結論に至らざるを得ないのだった。



 もう一つのオーハザマは南蛮人が使う鉄砲の中でも、遠距離射撃に特化した火縄銃アーケバスである。

 鉄製の鍛造銃身の全長は一ピルム(約百八十五センチ)を超える。

 口径はレーマ帝国の短小銃とほぼ同じだが弾丸は楕円形で尾翼を有する特殊な形状をしており、弾丸重量は九十スクリブルム(約百三グラム)を上回る。


 尾翼があるため専用のサボを使って打ち出さねばならず、銃身が長すぎることもあって装填時間はレーマ軍の短小銃の倍以上かかる。

 しかし、尾翼付きの弾丸と長い銃身のおかげでライフリングのない滑腔銃身にもかかわらず有効射程は二百ピルム(約三百七十メートル)を超え、名人に扱わせれば三百ピルム(約五百五十五メートル)先の敵兵をも狙撃そげきできると言われる。


 元々長大すぎる銃身のため一丁の重量は百二十リブラ(約四十キロ)ほどにもなり、長すぎることもあって一人では扱えない。一人が銃身の中ほどで肩にかつぎ、もう一人が操作するという二人一組で扱うのが基本だ。

 実質、歩兵が担いで使うミニ大砲のような銃だった。



 現在、神殿前に集結している重装歩兵ホプロマクス部隊は短小銃を八十丁、オーハザマを八丁装備している。軽装歩兵は十人隊あたり四丁の短小銃を装備し、更に擲弾グラナートゥムも持っている。その火力は大したものだとは思うが、投槍や太矢をこんな風に無効化した敵を相手にするとなると、その火力をもってしてもダメージを与える事ができるのかは未知数だ。


「どのみち、神殿の中ではこの火力も発揮できないか・・・。」



 鉄砲を装備した部隊が威力を発揮するためには、広い場所で火力を集中させる必要がある。

 開けた平野なら鉄砲を装備した全ての兵士が、同時に一人の敵に狙いを定めて一斉射撃する事もできる。だが、建物の中では同時に打てるのはせいぜい二、三人、下手したら一人でしか敵を狙うことができない。


 おまけに煙だ。


 この世界でも無煙火薬の存在は知られているし実験室レベルでは製造の成功例もあるが、大量生産にはどの国も成功していない。


 彼らが使っているのは黒色火薬よりは多少煙の少ない褐色火薬だが、それでも数回一斉射撃すれば目の前に煙幕が出来てしまう。

 視界をさえぎる煙の大量発生は火力の発揮を自ら封じることになってしまう。しかも建物の中では風が吹かないので煙がいつまでも残ってしまい、鉄砲はニ、三発撃ったらもう使えなくなってしまう。


 あとは白兵戦に頼るしかないが、投槍や太矢をこんな風に溶かして防いでしまう相手にそれは自殺行為以外の何物でも無かった。

 実力はあるくせにそれを見込んで神殿に逃げ込んだのだとしたら、狡猾こうかつな奴なのかもしれない。少なくとも、敵の慢心なんかは期待できそうにない。



「アルトリウス!」


 ルクレティアが小走りでやってくる。


「彼らが目覚めたのか?」


 目覚めたのなら話を聞きたかった。

 しかし、アルトリウスの期待に反して彼女は首をふる。


「いいえ、まだ眠ったままよ。」


「彼らの話を聞きたい。」


「あの人たちは魔法で眠らされているみたい。

 解呪ディスペルを試みたけど、私やヴァナディーズ女史じゃダメだったわ。相当、強力な魔法みたいね。時間が経てば起きると思うけど・・・」


「ヴァナディーズ女史?

 彼女も魔法が使えるのか?」


「いえ、調査のために持ってきていた道具でどうにかできないか試してもらったの。」


「ふーん・・・じゃあ、どれくらいで起きるか分かるか?」


「わからないわ、すぐにでも起きるかもしれないし、明日まで寝てるかもしれないし、永久に起きないかもしれないし・・・」


 聞きたくない答だった。これでは何も分からないのと一緒だ。


「軍団長!全重装歩兵整列完了、軽装歩兵も配置につきました!」

「ごくろう!」


「じゃあ行くわね。」


 スタティウスの報告にアルトリウスが答え、さて神殿の中を調べるかと命令を出そうとした矢先、ルクレティアが神殿へ向かってスタスタと歩き始めた。

 いつの間にか来ていたヴァナディーズもその後を追いかける。


「おい!ちょっと待てどこへ行く!?」

 アルトリウスは慌てて制止した。


「神殿の中に決まってるでしょ!」

「ダメだ!まだ安全を確認してない。」


「護衛がいるんだし大丈夫よ!」

「大丈夫なわけ無いだろ!というか護衛はどうした!?」


 彼女に付けたはずの軽装歩兵が見当たらない。


「あ、担架七つ作ってって頼んだんだった。」

「何やってんだ、まったく」


「しょうがないでしょ、要るんだし」


 担架なんか棒二本あれば、外套サガムと組み合わせて簡単に作れる。

 棒は無ければハスタの柄を使っても良かったし、どうしてもなければ外套を広げて端っこを巻いて持つだけでも担架代わりにはなる。

 要するに帰る間際になってから作り始めても十分間に合うんだから今急いで作る必要など全くない。無駄なことに時間をかけて貴重な兵力を・・・いや、今兵たちの前で言う事じゃない。


 アルトリウスは口まで出かかっていた文句の数々を飲み込んだ。


「ともかく、まだ中の安全を確認してない。

 敵は中に逃げ込んだ公算が大きい。」


 説明しながらアルトリウスはルクレティアの方へ歩み寄り、その肩を捕まえた。


「『敵』って誰よ?」

「・・・メルクリウスだ。」


「メルクリウスって決まったわけじゃないでしょ!?」

「じゃあ彼らは何と戦ったんだ?現実に戦闘は起きている。」


「何かの間違いがあったのかもしれないわ。」

「またその間違いが繰り返されるかもしれない。

 いずれにせよ、安全確保が先だ。護衛もいない君が入るのを認めるわけにはいかない。」


 アルトリウスはそういうとルクレティアを脇へ追いやる。同時にヴァナディーズを見て退くよう目配めくばせした。


「仕方ないわ、ルクレティア。彼の言う通りよ。」

 ヴァナディーズは小さくため息一つついてルクレティアを宥める。


「護衛が一緒ならいいのね?」

「先に我々が突入して安全が確保できた後だ。

 スタティウス!」


 出しゃばりなヒトの小娘を一旦追い払ったアルトリウスはスタティウスを呼ぶと、軽装歩兵一隊に神殿内を捜索させるよう命じた。


 本隊と共に神殿に来ていた四隊は既に神殿周辺に配置されていたので、ネロ達の看護をしていた一隊が神殿に入る事になった。

 彼らは昨夜神殿の警備に従事し、朝になって本隊と合流した直後に斥候を命じられたため、火器は一切装備していない。神殿内の捜索には却って都合が良かった。


 軽装歩兵が円盾パルマと投槍を構え神殿に突入する・・・が、玄関ホールヴェスティーブルムの突き当りまで進んだと思ったら、そのまま立ち止まってしまった。

 中庭アトリウムに通じる扉の前で何やらしている。何してるんだといぶかしんで見ているとその中の一人、十人隊長がすっとんできた。


 随分取り乱している。


「軍団長!」

「どうした?」


「居ます!です!!」

「奴?」


「ハッキリせんか!」

 すぐ隣にいたスタティウスが叱るが、十人隊長の態度は変わらない。


「中庭でが待ち構えています。あれは・・・《暗黒騎士ダークナイト》です!」

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