第304話 遠吠え

統一歴九十九年四月二十七日、昼 - アイゼンファウスト/アルトリウシア



 朝から低く重苦しい雲の広がる空へ、やけに白く濃い煙が濛々もうもうと立ち昇っていく。アイゼンファウスト地区の南端、セヴェリ川の河岸にはアイゼンファウストの郷士ドゥーチェメルヒオール・フォン・アイゼンファウストとその手下たち、さらに視察に来ていたアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子や|軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムたちとアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニア軍団長レガトゥス・レギオニスアロイス・キュッテル、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアから派遣されてきた大隊コホルスを率いるバルビヌス・カルウィヌスといった面々が立ち並び、河岸に密生する葦に火をつけ焼き払う作業を見守っていた。


 野焼き…意図的に放火し、雑草等を焼き払う作業はアルトリウシアではもちろん、アルビオンニアでは初めての試みだった。

 この世界ヴァーチャリアでは火を使うには様々な制約がある。大きすぎる火、強すぎる火には精霊エレメンタルが宿り、《火の精霊ファイア・エレメンタル》と化して暴れ始めてしまうからだ。《火の精霊ファイア・エレメンタル》といえども火である以上、水をかければ力を失い消えてしまう。だが、強すぎる《火の精霊ファイア・エレメンタル》だと軍団レギオーを総動員しても対処は容易ではない。何せ相手は知恵と意思を持った炎だ。逃げもするし襲い掛かってくることもある。ゆえに、野に火を放つなど本来あってはならない行為であった。


 だが、今回はあらかじめ繁みを十ピルム(約十八メートル半)置きに刈り取り、火が一定以上の範囲に燃え広がらないようにしてある。火が大きくなりすぎなければ、《火の精霊ファイア・エレメンタル》化することはない。

 さらに火に精霊エレメンタルが宿りそうになった時点で水をぶっかけて火勢を抑えるよう、メルヒオールの手下たちがあらかじめ水を汲んだ手桶を用意して待機しており、精霊エレメンタルが宿るかどうか監視するために特別に神官も呼んであった。言うまでもなく神官が危険だと判断すれば、メルヒオールの手下たちが即座に火に水をかける手はずになっている。


 パチパチとぜる音がしてオレンジ色の炎が幅十ピルム(約十八メートル半)の茂みに燃え広がり、最初に点火した北の街道沿いから南のセヴェリ川に向かって葦を焼きながら燃え進んでいく。

 すっかり枯れてベージュに染まった葦ではあったが、昨夜降った雨と今朝の朝露に濡れたままであったため火勢はさほど強くならない。だがその割に立ち昇る白煙は凄まじく、向こう側の様子は全く見えない。まるで川に大量のミルクを流したみたいだ。いや、収穫したての綿花の山にたとえた方が近いだろうか。いずれにせよ、戦場で鉄砲や大砲を一斉射撃したところで、ここまで濃い煙幕は張れないだろう。


「どうやら、問題はないようですな…」

「意外と火勢は強くないようだ。もっと派手に燃えるかと思ったが…」

「昨夜の雨で濡れていたのが大きいかもしれませんな。」

「それにしても凄い煙だ。」

「一昨年を思い出すな。まあ、アレに比べればずっと大人しいが…」

「よせ、思い出したくもない。」


 炎で焼かれた草原くさはらは幅十ピルムの黒い帯となって地面に伸びていく。くすぶる地面と、その先で猛烈な白煙を上げながら燃え続ける炎を眺めながら軍人たちは安堵しながら口々に感想を述べあっていた。


「神官殿、様子はどうかな?」


子爵公子アルトリウス閣下、この程度の火なら大丈夫なようです。

 確かに魔力の高まりは感じますが、精霊エレメンタルが宿るほどではありません。」


 アルトリウスの質問に火の様子を監視している神官が答えると、メルヒオールは喜んだ。


「よっしゃ、じゃあ隣ももう火ぃ付けていいな?」


「そうですね。

 草が乾燥していたり、風が強かったりすればまたどうなるかわかりませんが、今日のように湿って風の弱い日なら問題ないでしょう。

 ですが、監視が届かなくなるといけないので、同時に燃やすのは二列までにしてください。」


「おーし野郎ども、隣も燃やすぞ!火ぃつけろ!」


 今燃えているエリアから十ピルム離れたところに、同じように幅十ピルムの刈り残された芦原が広がっている。メルヒオールの手下たちは命令を受けると、そちらにも火を放ち始めた。

 火が付くとまた白煙が上がり、バチバチと派手にぜる音を立てて炎が広がっていく。


「うまくいきそうですな、アイゼンファウスト卿?」


「ええ、まったくでさぁアルトリウス閣下。

 これならセヴェリ川の河口まで刈っても、半月とかからんでしょう。」


 アルトリウスの問いにメルヒオールは機嫌よく答える。


「しかし、あまり早く刈るとせっかくの貧民パウペルの働き口が減ってしまうんじゃないか?」


 この除草作業は今回の戦禍で職を失った被災者に仕事と収入を与えるという意味もある。だからこそ、メルヒオールには砦の建設作業ではなく、素人でもできる除草作業を依頼してあったのだ。


「いやぁ、貧民パウペルをいくら集めたところで葦を刈る道具が無ぇんでさ。」


「道具?」


「見てみなせぇ。

 この時期の葦は枯れて硬くなって木みたいになっちまってる。そこらの雑草みてぇに手でちぎったりなんかとてもじゃねぇが出来やしねぇ。刃物で切るしかねぇんですよ。それも包丁みてぇなヤワなもんじゃなく、斧みてぇなゴツい奴でね。

 だが、そんなもん奴ら持ってねぇ。俺だってそんなに数多く持ってねぇ。

 道具がなけりゃ手で引っこ抜くしかねぇ。ろくに飯も食えずに痩せ細った貧民パウペルにそんなことさせたところで、却って身体痛めて弱らしちまう。

 冬をめえに働けねぇ身体にしちまったら、それこそ元も子もねぇんでさ。」


「・・・なるほど、そうか・・・」


 除草作業くらいなら誰でもできるだろう。当初、アルトリウスたちは瓦礫の撤去や住居建設といった重労働に就けない女子供や老人たちに仕事と収入を与えることができると期待していた。メルヒオールも同じように思ったのか、集められた除草作業員は女や老人や子供がほとんどで、力仕事のできそうな男は火を監視しているメルヒオールの私兵たちだけである。

 だが、それはどうやら見込みが甘かったようだ。メルヒオールが説明したように、道具がなければ枯れた葦の除去など苦行以外の何物でもない。まだ若い女子供はともかく、老人にはかなり堪えるだろう。

 公共事業は金と仕事さえ与えれば良いというものではない…アルトリウスは自分の見識の浅さを心の中で反省していた。


アオォ~~~~~~~~ン・・・・・・


 突如、北の方から狼の遠吠えが聞こえてきた。アロイスやバルビヌス、そして遠巻きに野焼きの様子を眺めていた物見高い見物人たちがざわめきだす。


「な、なんだ!?」

「こんなところに狼!?」


「ああ、おそらくダイアウルフでしょう。」


 そういえばアロイスとバルビヌスにはダイアウルフが捕えられている事は報告してあったが、捕えられたダイアウルフがどう扱われているかについて説明していなかったことを思い出したアルトリウスは、かすかに苦笑しながら説明する。


「ダイアウルフ!?

 そういえば…二頭捕えておったのでしたな?」

「この近くにおるのですか?」


「リクハルドヘイムの郷士ドゥーチェリクハルド卿に任せてあるのですが、ダイアウルフが一人の羊飼いに懐いてしまったようでしてね。ダイアウルフは狭い檻に長く閉じ込めると色々不味いそうなので、羊飼いが牧羊犬のように連れ歩いておるそうなのです。」


「なんと!?」

「では放し飼いですか?」


「それに近い状態のようです。危険はないとのことなので、リクハルド卿にお任せしてあります。」


 アロイスやバルビヌスが驚くのも無理はない。アルトリウス自身、初めてダイアウルフが羊飼い…それも一人の女の子と外を出歩ているのを見たときはかなり驚いたのだ。あの後、リクハルドから養父ルキウスに、アルトリウスが羊飼いのファンニに騎乗を許したそうだが本当かという問い合わせがあり、アルトリウスはルキウスに事情を説明しなければならなかった。

 事情が事情だけに、そしてルキウスが割とアバウトな性格だったこともあって、ファンニはダイアウルフに限って騎乗することが許されることとなった。これはかなり異例な決定といってよい。


「なるほど…ダイアウルフに乗る羊飼いか…一度見てみたいものですな。」


 アルトリウスの説明を聞いてアロイスとバルビヌスが緊張を解き、談笑していると再び遠吠えが聞こえた。


アオォ~~~~~~~~ン・・・・・・


「「「「!?」」」」


 今度は全員が一様に驚愕の表情を浮かべ絶句した。


アオォ~~~~~~~~ン・・・・・・

アオォ~~~~~~~~ン・・・・・・

アオォ~~~~~~~~ン・・・・・・


 北から聞こえてきた遠吠えに応えるように南側から、セヴェリ川の向こうに広がるアルトリウシア平野の方から別の狼の遠吠えが聞こえてきたからである。その数は一頭や二頭ではなかった。

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