第960話 斥候

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ グナエウス峠/西山地ヴェストリヒバーグ



 濃霧で視界を塞がれたまま歩き続けていた三人は、気づけば街道の左端にまで寄っており崖から落ちる寸前になっていた。危うく転落する寸前で気づいた三人はファドの提案通りに崖とは反対側……街道の右端へと一旦移動する。しかし、それもほぼ手探りであり、崖を意識しながらそこから離れるように霧の中へとまっすぐ進んでいく。一応、道路の右端にそびえる岩肌までたどり着くことはできたが、道幅八から九メートルほどしかないはずの道路で崖も何も見えなくなった時は、ブルグトアドルフの《森の精霊ドライアド》を思い出し、また何か強力な精霊エレメンタルの結界にでも踏み込んでしまったのではないかと不安に駆られ、危うく恐慌状態パニックに陥る寸前になってしまった。それでも何とか平静を保てていたのは、視界の中に常に仲間たちの姿があったからこそである。

 右側に着いたぞ……冷たく濡れた岩肌を目にしたティフは思わず喜びの声を漏らしてしまった。ペトミーは安堵からその場にへたりこみそうになるが、仲間たちの手前辛うじて堪える。三人がそこで一息ついて落ち着きを取り戻すと、暗視魔法を使っても何も見通せない霧の様子にさすがにティフが懸念を露わにした。


「それにしても、このまま歩くのは不味まずいな。

 こんな天候は予想してなかった。」


 無計画な強行軍は自分のせいだという自覚は今のティフには無いらしい。山なら天候が変わりやすいのは当たり前、ならば多少の悪天候に見舞われるのは想定したうえで行動計画を立てるのが山での活動の鉄則である。だが、山岳での経験が乏しいティフにはそうした認識が無く、自分ではどうにもできない天候に対して責任を負うという発想自体がなかった。


「どうすんだ、今からでも引き返すか?」


 元々、更なる前進には反対だったペトミーは消極策を打ち出すことに恥も臆面もない。むしろそれが当然だと思っている。


「いえ、この状況では動くこと自体が危険です。

 ひとまず安全を確保し、天候の回復を待ちましょう。」


 ファドの提案は最も堅実で現実的と言える。これは同時にティフとペトミーの中間の意見を出すことで、二人が再び言い争いを始めぬようにしようという意図もあっての提案だった。ペトミーはファドの提案に納得したらしく、ファドを見ながら黙って頷いたが、ティフの方はどうやら不満な様子だ。


「この天気が回復するとは限らないじゃないか!」


「天候がこのままってことは無いだろ!?

 いつかは回復するさ!

 それまで無理せず待とうってファドは言ったんだ!」


「じゃあその回復すんのはいつだよ?

 夜が明けたらスパルタカシアはアルトリウシアへ行ってしまうんだぞ!?

 それまでに見つけられなきゃ、ここまで来た意味がない。」


 そう言うとティフは爪を噛み始めた。ティフは時折、こういう風に幼い頃の癖がぶり返すことがあった。そのティフの様子に眉をひそめながらペトミーはなだめる。


「でもこのまま進んでも見つからないかもしれないぞ!?

 これだけ視界が利かないんだ。街道の真ん中に立っても端っこが見えないじゃないか!?

 これじゃ中継基地ステーションの前まで来てもきっと気づかずに通り過ぎちまう。

 もしかしたらもう通り過ぎてるかも!」


 視界の利かない中で何かを探す……それは現実的とは言えない。リスクの方が圧倒的に大きい。ペトミーはそれを説いたのだが、ティフはペトミーがそれを主張したことに苛立ちを覚えていた。


「こういう時こそお前の出番だろ!?」


 ペトミーはモンスター・テイマーだ。亡父から母を経由してテイム・モンスターを引き継いでおり、それらを活用しての偵察や斥候せっこう、通信が『勇者団』ブレーブスにおける彼の最大の役割である。また、緊急時はペガサスやグリフォンといった騎乗モンスターを使っての脱出手段としても期待されていた。そのペトミーが己の役割である斥候を他人事のように考えているとしたらティフとしては度し難い。

 だがペトミーは渋面を作った。


「馬鹿言え!

 こんな悪条件で何を使えって言うんだよ!?」


「いつものカラスは!?」


「夜中に飛べるか!?」


「コウモリは!?」


「この寒さに耐えられないよ!!」


 偵察や斥候はどんなモンスターでも使えるというわけではない。それなりに情報収集能力を有するモンスターでなければ役には立たない。だが今は夜中なうえに濃霧が立ち込めており、視界が全く利かない。つまり、目が良いモンスターは頼れないということだ。普段、日中の偵察や連絡に使っている鳥系のモンスターは使い物にならない。

 じゃあ暗闇でも使え、実際に夜間の通信や偵察に用いているジャイアント・バットはというと今度は寒さに耐えられない。あれはそもそも暖かい地方のモンスターなのだ。先週、アルビオンニウムで用いていた時ですら、ジャイアント・バットは寒いのを我慢して働いてもらっていたくらいなのだから、こんな寒い中で使えるわけがない。

 ともかく空を飛ぶ類のモンスターは今の状況下では使えなかった。では地上のモンスターはというとやはり偵察に向いたモンスターがほとんどいない。数キロにも及ぶ捜索範囲を捜索するとなるとそれなりに時間を要する。まして視界が限られているのだから、ただでさえ移動速度が低下するのに視界でカバーできる範囲が狭くなった分だけ歩かねばならない距離が長くなるのだ。そうなると魔力消費の激しい大型モンスターは使えない。ペトミーはイザとなったらペガサスとグリフォンを使って三人で緊急脱出するための魔力を温存しなければならないからだ。

 では魔力消費の少ないモンスターで寒さに耐えて視界が限られていても活動に支障が無くて移動速度がそれなりにあって単独で行動できる……というと、残念ながら今のペトミーのモンスターの中に条件に適合するものは存在しなかった。


「ヘビは!?」


「だから寒さに耐えられないだろ!?」


「ネズミは!?」


「ダメだ。

 建物の中とかへの潜入には向いてるけど、広い範囲を捜索するのには全然向いていない。」


「何かほかにないのか!?」


「だからダメなんだって!

 視界がこんだけ悪いんだ、モンスターだって道に迷っちまうさ!

 目に頼らなくてもいいモンスターはみんな寒さに弱い奴ばっかりだ。

 地上を歩いて偵察するんなら俺らが直接行くのと変わらん。

 俺らが活動できないんなら、モンスターたちだって大して活動できないさ!」


 ペトミーが持っているモンスターの多くは動物が魔獣化モンスタライズしたものであるため、その能力は野生動物に準じたものとなっている。体力が強化され、戦闘力や回復力が高くなり、念話でのコミュニケーションが可能という程度だ。それ以上に魔法や特殊能力を持つモンスターも居ることはいるが、そいつらは皆が皆魔力消費の激しく偵察などには向かないモノばかりなのである。

 であるならば、野生動物が活動できない環境ではモンスターの活動も制限されざるを得なかった。寒くて暗い環境で活動できるモンスターであっても、濃霧の向こうを見通す能力などを持っているわけではない以上、偵察に出しても役には立たないのである。

 

 役に立たないな……ティフは口から出かかっていたその言葉を辛うじて飲み込んだ。ただでさえ気が立っているペトミーに対し、ペトミーが可愛がっているモンスター達を否定するような言葉を投げかけたら間違いなく怒りだすだろう。もしかしたらティフを置いて一人で先に帰ってしまうかもしれない。


「んんん~~~」


 ティフは低く唸った。せっかくここまで来たのに天候で阻まれて断念せざるを得ないとしたらこれほど残念なことは無い。峠の西側までは天気が良かったのだから、この天候の急変はなおさら残念でならなかった。


「ブルーボール様、ペトミー様。」


 ギスギスしている空気をおもんぱかったのか、ファドが二人に呼びかける。二人もこの険悪な雰囲気を面白く思っていなかったのであろう、素直にファドの方へ関心を向けた。


「何だ?」

「どうかしたのかファド?」


「は、実はジェットを斥候に出しております。

 もうすぐ戻ると思いますので、今はお待ちください。」

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