第531話 見えざる敵

統一歴九十九年五月七日、夕 - ブルグトアドルフ郊外/アルビオンニウム



 茜色に燃え上がった空に照らされた地面はすっかり赤黒く染まっており、このようになると空から見下ろしても光を反射する川面や街道の石畳以外はほとんど見分けがつかなくなってしまう。夕闇に染まる地表付近では自分の視線よりも高い存在については比較的見つけやすいが、自分の視線より低い位置の存在は見分けることがむずかしい。犬や猫の夜目が人間よりも効くのは、目が人間よりも暗闇を見通せるという以上に、視点が低いという理由が実は大きかったりもする。目に映る物が影ばかりだとしても、地表よりは明るい夜空を背景にすれば、くっきりと浮き上がって見えるからだ。


 とはいえ、彼らが低く地表スレスレを飛んでいるのはそれが理由ではない。安全に急いで移動するなら、明るさがどうであれ上空を高く飛んだ方が圧倒的に速いのだ。高く飛べば地形も木々も無視してまっすぐ飛べるのだから当然である。こうまで低く飛べばどうしたところで地形は無視できないし、時折飛び出すように伸びている背の高い樹木もイチイチ避けて飛ばねばならない。しかも、この見通しのきかない暗い中をだ。

 彼らがこうして無理してまでも超低空飛行を続けているのは、ひとえに人目に付かないようにするためだった。彼らが乗る天馬ペガサスは輝くように白く、特にこのような暗がりの中では遠目にも目立って見える。高く飛べば、自分たちがここを飛んでいるぞと、遠く見渡す限りの範囲にいるすべての者たちに宣伝するようなものだった。


 それはまずい。

 彼らは敵に対して圧倒的に劣勢であり、事を優位に運ぶためには決定的瞬間まで自らの位置を、行動を、徹底的に秘さねばならないのだ。ゆえに、天馬という目立つ騎乗モンスターを駆りつつも、せめて目立たぬようにとせっかく空を飛べる利点を殺して地表ギリギリを飛行するのを強いられているのだった。


「大丈夫かペトミー!?」


 『勇者団ブレーブス』唯一のモンスター・テイマー、ペトミー・フーマンの召喚した一頭のペガサスに二人乗りしながら、ティフ・ブルーボールはさっきからだいぶ辛そうにしているペトミーを気遣きづかうと、ペトミーは青ざめた顔に薄笑いを浮かべて答えた。


「ああ、思ったより魔力を食われるが、まだ大丈夫だ。

 でも、ホントに片道しかもたないぞ!?」


 テイムしたモンスターは姿を消すことができる。モンスター・テイマーに言わせると「仕舞しまう」ということらしい。どこへ仕舞うのかは定かではないが、ペトミー個人に言わせると、自身の心の中に居場所があって、そこにんだそうだ。そして必要に応じてモンスターをそこから呼び出して、使役する。

 仕舞っている間、モンスターたちは魔力を消費しないのだが、呼び出す時と何か仕事をさせる時に魔力を消費される…こっちが与えなくても勝手に食われてしまうような感じだ。どれだけ大きな魔力を消費するかはモンスターにもよるし、仕事に要するエネルギーにもよる。


 天馬ペガサスは飛行できる騎乗モンスターの中では割と魔力消費の少ない方である。移動速度を考えれば最も効率のよいモンスターかもしれない。ペトミーなら一頭を召喚しっぱなしにしても平気なくらいだ。

 しかし、燃費が良いのは仕事を何もさせない場合である。誰も乗らず、荷物も載せず、使い魔として偵察とか伝令とかに使う分には魔力はあまり消費しないのだが、誰かを乗せたり荷物を載せたりすると途端に魔力をバカ食いするようになる。ペトミー一人が乗るだけで、何も乗せない時の二倍の魔力を消費するようになり、これが鎧を着たり今みたいに二人乗りしたりすると更に二倍近い魔力を消費するようになる。それが今、更に超低空飛行を強いられている。

 一直線にただまっすぐ飛ぶだけなら二人乗りでも普段の四倍の魔力を消費されるくらいで済むが、今のように超低空を高速で飛行すると頻繁に加減速や進路変更を繰り返さねばならず、魔力消費量がとんでもないくらいに高くなってしまっていたのだ。こういう超低空飛行が魔力を馬鹿みたいに消費するのはペトミーも過去に何度かやったことがあったので知っていたが、流石にそれを二人乗りで、しかも一時間以上もぶっ通しでとなると初めての経験だった。


「無理させてスマン!

 今日の所は間に合いさえすれば、それでいいはずだから…」


「分かってるって…もう、もうすぐだ…見えたぞ。

 あれ、あの光が多分、レーマ軍だ。」


 ペトミーが指差した先、樹木の影、地表の稜線りょうせんギリギリのところにチラチラと松明たいまつを掲げた行列が見えた。


「ああ、まだ戦闘は起きてないな…間に合うぞ、ペトミー!

 奴ら止まってるみたいだ、今のうちにブルグトアドルフに先回りだ!」


「分かってる、任せろって」


 そう言うとペトミーは天馬を更に加速させた。

 ブルグトアドルフ周辺の地形は頭に入っている。以前、ルクレティア襲撃作戦の時に綿密に調べたのだ。そして、部隊を集結させるのに都合のいい場所を何か所かピックアップしてあった。


 メークミー・サンドウィッチが馬車で南へ連れ出されようとしている。しかしティフが不在だったためサブリーダーであるスモル・ソイボーイが独断で盗賊団を動かし、動けるメンバーと共にメークミーを救出すべくレーマ軍襲撃を目論んでいるという…ファドからそのことを知らされたティフは後の事をペイトウィン・ホエールキングに任せ、自分はペトミーに頼んで天馬を出してもらい、ブルグトアドルフに向けてこうして急行しているのだった。


 スモルを止めなければ…


 スモル・ソイボーイは決して頭の悪い男ではない。『勇者団ブレーブス』のサブリーダーを務めるだけあって、人をまとめるのはティフよりも上手いくらいだ。いや、はっきりリーダーシップはスモルの方があると言っていいだろう。スモルの方がリーダーに相応しいとティフも何度も思ったほどだったが、スモルは何故か自分から補佐役に納まっている。

 そのスモルが指揮していること自体に不満があるわけではない。ティフは作戦を考えるのは得意だったが、全体を指揮するのはスモルほど上手ではないと自覚しているくらいなのだから不満などあろうはずがない。ましてブルグトアドルフ周辺は地形を事前に調べつくした土地だ。行軍中のレーマ軍を襲撃し、護送中のメークミーを助けだすくらいわけはないはずである。


 だけど、失敗しそうな気がする。


 そう、具体的にどうとは言えないのだが、この作戦は失敗するのではないかという不安が拭えない。ファドから報告を受けた瞬間から「失敗する」と直感が告げていた。


 作戦の詳細を聞いてみなければ、まだわからないじゃないか…


 ティフの理性はそう告げているが、ティフの直感はずっと「失敗する」と唱え続けている。

 こんなことはティフにとって初めてのことだった。

 いつだってティフは知力に頼り、すべての問題に立ち向かい続けてきた。信用できない大人たちに囲まれ、感情を押し殺し続けてきた結果として、こういう理屈に合わない感覚や不安などは頭っから否定する癖がついてしまっていた。たしかにたまにそれで失敗することが無かったわけではないが、ティフは大概は自分の知力に頼って下してきた決断によって、今までずっと成功をおさめ続けてきたのだ。


 だが、ここ数日は上手くいかないことが続いている。降臨成就じょうじゅという目的を達成するために何かをしようとすると、自分の理解の及ばない何かが邪魔をし、予想外の失敗を繰り返してしまっている。


 迷信にでもとりつかれたか!?


 自分でそう思わないでもない。だが、直感ではない理性の部分でも不可解に感じていることがあった。


 何か気づかない間にとんでもないを敵に回してしまっている…


 それは根拠のない不安などではない。アルビオーネと名乗る《水の精霊ウォーター・エレメンタル》との出会いによって、それは具体的な脅威としてティフの中で認識されつつあった。アルビオーネは確かに言っていた。


『今日一日、海峡を渡る船の安全を守ること、そして今後其方らが許しなく海を渡らぬようにすること、それがじゃ。』


 そしてその後も何度か『彼の御方』と繰り返し、自分よりも強大な誰かの存在を示唆していた。そう、あの『勇者団』が束になって全力でかかってもかないそうにないアルビオーネよりも強大な何者かが存在している。そして、アルビオーネの言葉を借りるなら「不届きにもそこで騒ぎを起こし、の御心を案じさせ奉る」ことを、『勇者団」はしでかしてしまったらしい。


 もしかしたら地の精霊アース・エレメンタル》もそれに関係しているのかもしれない。じゃなけりゃ、こうも立て続けに強大な…強大すぎる精霊エレメンタルに出くわすわけがない!


 とにかく、今のまま戦っても勝てない。それどころか負け続けるだろう。

 今はまず、知らない間に怒らせてしまったらしいとんでもない大物の正体を突き止めねばならない。正体不明な相手に邪魔されながらでは、どんな作戦だって成功するわけがないのだ。


 メークミーには悪いが、助けるのはその後だ。


 二人が乗った天馬は、おそらくスモルたちが襲撃準備を整えているであろう場所へと急いだ。

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