第532話 アルビオーネの報告

統一歴九十九年五月七日、夕 - ライムント街道/アルビオンニウム



 馬車を止めさせたルクレティアはカルスやヨウィアヌスたちが踏み台を用意するのも待たずに馬車から飛び降りた。


お嬢様ドミナ!?」

「ルクレティア!?」

「「奥方様ドミナ!?」」


 従者たちやスカエウァが驚くのも構わず車外に飛び出たルクレティアは馬車の屋根の上を振り返り、そこに一羽のカモメを見つける。ここまで間近でカモメを見たことはなかったのでよくは分からないが、姿かたちや大きさは多分普通と言っていいだろう。ただ、ジッとルクレティアを見下ろすカモメの目は赤く光って見えた。


「これが…アルビオーネ様の使い魔?」


 使い魔と聞いて何が来たかと慌てていたルクレティアは、その姿が意外なほど普通なので思わず拍子抜けしてしまう。


『うむ、そ奴を通してアルビオーネと直接話ができるぞ。

 アルビオーネの奴もそ奴を通してこちらの様子が見えておる。』


 《地の精霊アース・エレメンタル》からそう説明されたルクレティアはハッと我に返り、サッとその場に跪いた。


「アルビオーネ様!」


「奥方様!?

 いったいどうしたんで!?」

「お嬢様!いったい何を?」


 御者台のリウィウスやまだ馬車に残っているクロエリアがそれぞれ馬車から身を乗り出してルクレティアに問いかける。踏み台を用意しようと降りてきていたカルスはその場で何をどうしていいかわからず、踏み台を抱えたまま茫然とルクレティアや周囲の人々を見回していた。


「ア、アナタたちも早く!早く馬車から降りて控えなさい!!

 そのカモメは、海峡の女神アルビオーネ様の御遣みつかいです!!

 御神託ですよ!?」


 跪き、頭を下げたままルクレティアが低く抑えた声で悲鳴でも上げるように叫ぶと、クロエリアやリウィウスたちは慌てて馬車から飛び降り、全員でルクレティアに倣って馬車の上に止まっているカモメに向かって跪いた。


「アルビオーネ様、海峡をつかさどる《水の精霊ウォーター・エレメンタル》様。

 知らぬとは申せ御無礼の段、平にご容赦くださいませ。」


 カモメは馬車の屋根の上からルクレティアを見下ろせる縁のところまで歩いてくると、身体を伸びあがらせて二度三度羽ばたき、それから再び羽根を畳んでルクレティアを見下ろした。


『苦しゅうないぞよ、ルクレティアよ。』


 カモメから発せられた念話はたしかにアルビオーネのものだった。ルクレティアは下げた頭を更に深く下げ、恐縮する。


「はいっ、私めのことを御記憶いただき、恐悦至極きょうえつしごくに存じあげます。」


『なんの、かの高貴極まる御方の妻となられたとのこと、《地の精霊》殿より聞き及んだのじゃ。まずは祝着至極しゅうちゃくしごく言祝ことほぎせねばならぬと思うてのう。』


「はいっ、ありがたき幸せ!」


 急にルクレティアの馬車が停止し、ルクレティアを始め乗っていた人間全員が降りて屋根の上のカモメを拝みだしたことで、事情を知らない護衛の軍団兵レギオナリウスや別の馬車に乗っていたルクレティアの従者たちが様子を見に集まって来る。


「な、何事ですか!?」

「シッ!御神託です!

 お控えください!!」

「神託!?」

「神の使いだとよ!?」

「アレが!?」


 寄ってきた軍団兵が問いかけるたびに、クロエリアやリウィウスたちがルクレティアたちの邪魔をしないよう小声で説明する。その内、馬車の周りに数十人が輪を作るようにして跪いていった。


『今日、アルビオンニウムの地よりサウマンディウムへ渡る船の安全を守ってほしいとの依頼…てっきり、かの高貴極まる御方からのものかと思うておったが、聞けば其方の願いだったそうじゃのう?』


「はっ、アルビオーネ様には、御面倒をおかけいたしまして…」


『よいっ!

 ただの小さき者がかの高貴極まる方を騙ってわらわたばかり、余計なことをさせたとあらばただでは置かぬが、かの高貴極まる御方の妻となられし其方の願いとあらば無下むげにも出来ぬ。』


「はいっ、恐れ入ります!」


『なんの、ささやかじゃが言祝ぎの代わりじゃ。

 かの船、たしかにサウマンディウムまで守り、送り届けたぞよ。

 安堵するがよい。』


 ヴァナディーズの乗った船がサウマンディウムへ無事到着したと聞き、本当なら安心するところではあるのだが、アルビオーネを前にした緊張感からか、ルクレティアは素直にホッと息を付くことができない。跪いたまま、それまで通りの調子で声を張る。


「ありがたき幸せ!」


 せっかくリュウイチの妻となったルクレティアに喜んでもらおうと飛んできたアルビオーネだったが、ルクレティアに意外と喜ぶ様子が無いので少し拍子抜けしてしまった。あれ?と、戸惑いつつ話を続ける。来た以上は手ぶらで帰りたくない。せめて、何か来た甲斐があったと思えるような手応えが欲しかった。


『それから、かの船を魔法で攻撃しようとする者がおった。』


「!?」


 ルクレティアは思わずパッと顔を上げてカモメを見上げた。その顔は驚きと不安の色が浮かんでいる。


『安心するがよい、先ほども申したように、船は妾が守ってやった。

 攻撃してきたのは《地の精霊》殿より聞かされておったハーフエルフの者共じゃったが、妾が直々に追い払ってやったわ。』


「そ、その者共は!?」


 『勇者団ブレーブス』が船を攻撃した。ヴァナディーズの予想を聞かされた時は半信半疑だったが、まさか本当に攻撃してきたとなると『勇者団』の行動力はルクレティアの想像以上だったということになる。ということはハーフエルフの魔法攻撃はやはりいにしえゲイマーガメルと同等ということなのか?であれば「船は安全」というのは誤った思い込みだったかもしれない。

 しかし、それ以上に気になるのは『勇者団』をアルビオーネが直々に追い払ったという話の方だ。


 ルクレティアが《地の精霊》に相談し、その《地の精霊》がリュウイチに相談したうえでアルビオーネに船を守るよう頼んだのであろうことはわかる。だが、アルビオーネが自ら力を行使して『勇者団』を追い払うとは思ってもみなかった。そもそも、『勇者団』が本当に船を攻撃するとは思っていなかったのだから、船を守ろうとするアルビオーネと『勇者団』が衝突する可能性すら考えていなかったのだ。

 おそらく神に限りなく近いと思われる《水の精霊》アルビオーネと、世界に戦乱をもたらしたゲイマーと同等の力を持つと思われる『勇者団』が戦ったとなると、ただで済むとは思えない。こうして報告してくるアルビオーネの様子からするとおそらくアルビオーネは平気なのであろう。追い払ってやったと言っている以上、『勇者団』の側が負かされたのは間違いない。

 だが『勇者団』はこの世界ヴァーチャリアで最も高貴とされる最重要人物の集団なのである。『勇者団』の側に事の発端があるとはいえ、彼らを傷つけたりまかり間違って死なせでもしたら、後でどんな問題が起こるかわかったものではない。


『うむ、あろうことか妾に無礼を働きおったので、多少は脅してやったがのう。

 しかし、殺さんでくれとのことじゃったので、生かして帰してやったわ。

 傷つけてもおらぬゆえ、心配は無用じゃ。』


 ルクレティアのそうした心配を知ってか知らずか、アルビオーネは自慢するかのようにそう言った。もしアルビオーネが人間で実際に目の前に居たら、鼻を伸ばして高笑いでもしていたことだろう。

 ルクレティアはアルビオーネの前で初めてホッと安堵したような表情をみせる。


「さ、左様にございますか・・・」


『うむ、あ奴らのことはちゃんと憶えておるゆえ、あ奴らがあの船を追えぬよう、海峡を渡らせぬようにせよとの願いもちゃんと聞き入れてやろうぞ。』


 ルクレティアの表情の変化を見て取ったアルビオーネはようやく手応えを感じ、満足を覚えていた。


「ありがたく存じます!」


『なに、あ奴らは妾に無礼を働きおったのじゃ。

 ゆえに、あ奴らをしりぞけるは妾自身の欲するところでもある。

 大船に乗った気でおるがよい。

 ところで…』


 わざわざカモメを使い魔に仕立てて飛ばした甲斐があったと満足したアルビオーネは、声のトーンを急に落とし話題を変えた。


「何にございましょうか?」


『うむ、あれから百日…まだ経たんのかえ?』

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