集結…ブルグトアドルフ

第530話 使い魔

統一歴九十九年五月七日、夕 - ライムント街道/アルビオンニウム



 往路と同じようにレーマ軍の標準的な行軍速度であれば、アルビオンニウムからシュバルツゼーブルグまで一日で移動することは可能だ。普通に考えれば今夜はシュバルツゼーブルグで泊るということもできただろう。しかし、アルビオンニウムを発ったルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアとその護衛部隊、そしてそれに同行するカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子率いるジョージ・メークミー・サンドウィッチ護送部隊の一行は、間もなく日も暮れようという頃になってようやくアルビオンニウムとシュバルツゼーブルグの中間地点であるブルグトアドルフに差し掛かろうとしていた。

 何故、こんなに遅くなってしまっているか…それは三つの理由があった。


 一つは単純にアルビオンニウムを出発する時刻が遅かったことである。

 ルクレティアの希望によって一行はまずアルビオン港へ立ち寄り、ヴァナディーズの船出を見送ってからアルビオンニウムを出立している。ケレース神殿テンプルム・ケレースからアルビオン港はシュバルツゼーブルグとは逆方向だから、それだけでも一時間以上は無駄に時間がかかってしまう。

 そして二つ目の理由はブルグトアドルフの住民たちの存在のせいだ。


 ブルグトアドルフで大規模な盗賊団の襲撃を受けた彼らは、慣れ親しんだ自分たちの街からシュバルツゼーブルグへ避難することとなったが、既にライムント街道上の治安を維持する中継基地スタティオが壊滅状態であり、安全に避難することができない。それで彼らは方向は逆だが一度アルビオンニウムへ避難し、ルクレティアの一行と共にシュバルツゼーブルグへ向かう事にしていた。

 復路は往路と違って時間的制約が無い(急がねばならなくはあるが、厳密なタイムリミットは無い)ルクレティアたちは、彼らのアルビオンニウムからシュバルツゼーブルグまでの道中の護衛もすることになったのである。その結果、彼らの移動速度は民間人の脚に合わせざるをえず、軍の標準的行軍速度の半分ちかいゆっくりとしたペースでの移動を強いられていたのだ。


 そして三つめは季節的な理由だった。

 通常、軍事行動などというものは夏に行われるものだ。春や秋に多少ズレ込むことはあっても、冬に本格的な軍事行動を起こすことなどまず無い。このため、作戦計画は夏という環境を基準に立てられ、計画を立てる上で基準となる標準的な一日の行軍距離なども、陽の長い夏の時間を基準に決められているのだ。

 しかし、今はもう五月上旬…南半球で緯度の高いアルビオンニア属州では、もう冬も間近という晩秋である。夏に比べれば日中の時間はかなり短くなっており、夕日の暮れるのも当然ながらかなり早くなっていた。もし、今ごろの季節にアルビオンニウムからシュバルツゼーブルグまで一日で行軍しようと思ったら、日の出前に出立しなければ、シュバルツゼーブルグに到着する頃には足元も見えないほど暗くなってしまうだろう。

 

 つまり、元々の計画にかなり無理があったのだ。この季節になれば本格的な軍事作戦など起こさないし、起こした経験もほとんどない。そのため、アルトリウシアへ軍を派遣するという計画を立てる際に、誰もが日中時間がだいぶ短くなっていることを忘れてしまっていたのだ。

 スパルタカシウス家も昨年の経験から、日中時間が短いからその分だけ日程を長く見積もらねばならないことは知っていたが、今回は行軍速度の速い軍団レギオーが同行し面倒を見るからというので、「じゃあ安心だ」と思考を停止してしまい、計画に無理があることに気付けていなかった。


 そういった背景も手伝って、彼らの帰途は当初想定していたよりもだいぶ遅れてしまっている。日はもうすぐ西山地ヴェストリヒバーグ稜線りょうせんに差し掛かろうとしており、空は燃えるように赤く輝いていたが、それとは対照的に地上は西山地の陰になる西側から急速に暗くなり始めていた。

 まだ足元を見るのには支障がない程度には明るかったが、前回の休憩の時…つまり今夜宿泊予定となっている第三中継基地スタティオ・テルティア到着前の最後の休憩の際には、到着前には暗くなるだろうからと言う事で、馬車に装着されたランプには火が入れられ、兵たちにも松明たいまつが配布されている。おかげで一行の道行く様子は遠くからでもすぐに見つけることが出来た。

 その、光の行列に向かって一羽のカモメラルスが舞い降りる。


「ん、何だコイツ!?」

「お、おわっ!?」


 ルクレティアの馬車の御者台ぎょしゃだいに座っていた御者ぎょしゃとリウィウスは、突然頭上に舞い降りて来たカモメに驚き、混乱する。キャビン後ろのフットマンズ・シートにいたヨウィアヌスとカルスは異変に気付くと、キャビンの屋根越しに御者台のリウィウスに声をかける。


「どうしたとっつぁんリウィウス!?」

「なんだその鳥は!?」

 

「何か知らねえが、鳥がっ…このっ、何だ!?」


 カモメはひとしきり御者とリウィウスを揶揄からかうように頭上で舞った後、キャビンの屋根の真ん中に降り立った。


「んっ、騒がしいな?」

「何?何の騒ぎ!?」

「え!?なにこれ!?」


 馬車の中にはルクレティアとルクレティアの侍女のクロエリア、そしてルクレティアの従兄弟であり婚約者でもあったスカエウァ・スパルタカシウス・プルケルが乗っていた。

 本当ならスカエウァも船でアルトリウシアへ帰るはずであったが、カエソーがアルトリウシア経由で帰るというので急遽ルクレティアたちに付いてきてしまったのだった。しかも、プルケル家の者たちは馬車など用意していなかったので、ルクレティアやルクレティアの従者たちの馬車に便乗することになってしまっていたのだった。

 本来なら家族でもない貴族の未婚の男女が同じ馬車に乗るなど避けるべきことではあるのだが、聖貴族であるスカエウァに相応しい馬車が限られていたことと、「まあ従兄弟同士だし」という言い訳から半ば強引にルクレティアの馬車に乗り込んでいたのだった。


 幌ごしに外の騒ぎに気付いたルクレティアとクロエリア、そしてスカエウァは突然天井の真ん中の部分がカモメの重みで凹んだのに気づき、一斉に驚きの声を上げる。その直後、ルクレティアが呼び出してもいないのに《地の精霊アース・エレメンタル》がキャビンの真ん中あたりに姿を現わした。


「ア、《地の精霊》様!?」

「「お、おお!」」


 《地の精霊》の姿を目にしたクロエリアとスカエウァは慌てて姿勢を正し、かしこまる。《地の精霊》はフワフワと浮かんだままルクレティアの方を向くと、念話で話しかけてきた。


娘御むすめごよ、落ち着くがよい。』


 そうこうしている間にもキャビンの外ではリウィウスたちが、いきなり舞い降りてきたカモメを追い払おうと躍起やっきになっており、「このっ、このぉ」「アッチ行けよコラぁ」などと喚きながら何か棒状のもので屋根をバンバン叩いている。しかし、カモメはヒョイヒョイとその攻撃をかわしては再び屋根に舞い降りることを繰り返し、おかげでキャビンの中はバフッバフッと幌を叩かれる音がうるさい。リウィウスたちを静かにさせたいが、《地の精霊》がこうして何か用があって話しかけてきている以上、それを差し置いてリウィウスたちに声を掛けるわけにもいかず、ルクレティアは雑音に戸惑いながらも《地の精霊》に用を伺った。


「な、何かあったのですか!?」


『アルビオーネが使い魔を寄こしたのじゃ。』


「使い魔!?アルビオーネ様が?」


『うむ、今、この上に来ておる。

 話を聞いてやるがよい。』


 ルクレティアの顔がサーッと青くなる。


「上にって、ひょっとしてコレ…」


 リウィウスたちが追い払おうとしているのはアルビオーネが寄こした使い魔だと気づいたルクレティアは慌てて窓から顔を出した。


お嬢様ドミナ!?」

「ルクレティア、どうしたんだ!?」


 《地の精霊》は例によってルクレティア以外に念話を送っていなかったのでクロエリアとスカエウァは事情が分からず、突然のルクレティアの奇行に驚き慌てふためくが、ルクレティアからするとそれどころではない。ルクレティアは外聞もはばからずに御者台に向かって叫んだ。


「止めて!今すぐ馬車を止めなさい!!

 リウィウスさん!その鳥を追い払うのは止めて!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る