第358話 更なる増援要請

統一歴九十九年五月二日、夕 - アイゼンファウスト邸/アルトリウシア



 レーマ帝国に亡命し服属したランツクネヒト族はレーマ帝国の中で百年を超える時代を経て、その文化は様々な部分においてレーマ化しつつある。住居などの建築文化もレーマ文化の影響を色濃く受けてはいるが、それでもランツクネヒト族の特色を遺している部分も少なからずあった。その代表的な要素が巨大なホールであろう。ランツクネヒトの有力者は自分の家に大きなホールを作り、そこに客人を招いて豪勢な宴席を設け、権勢を誇る習慣があった。

 メルヒオール・フォン・アイゼンファウストは物心つく前からホームレスのストレートチルドレンであり、アルビオンニウムの暗黒街で親の顔すら知らずに育っただけあって、ランツクネヒト族という民族に対する帰属意識はさほど強くはない。だがそれでも騎兵エクィテスの称号と郷士ドゥーチェの地位を与えられていっぱしの下級貴族ノビレスとなった彼が建てた屋敷ドムスには一つの大きなホールが設けられていた。

 ホールはメルヒオールの屋敷の中で最も広い部屋であり、これまでにも数えきれないほどの客人を招き、数多くの宴席や催し物がひらかれた。ホールは屋敷の象徴にもなっており、『鉄拳のホール』ハーレ・デア・アイゼンファウストはメルヒオールの屋敷の異称として、アイゼンファウストの住民たちの間で定着している。


 二階まで吹き抜けになった高い天井と豪華な意匠の施された柱や梁、そして色鮮やかなタペストリーで彩られた壁…王宮を思わせるメルヒオール御自慢のホールで開かれているのは、残念ながらその豪華な装飾にふさわしい宴会や催し物などではなかった。

 そこに集まっているのはメルヒオールとその手下たちの他はほとんどが軍人たちであり、今彼らが開いているのは純然たる軍議であった。メルヒオールのホールは今、アイゼンファウスト地区南に敷かれた防衛線の前線司令部となっていたのである。


「動員可能な兵力四個百人隊ケントゥリア、そのすべてを現在セヴェリ川沿いの…この除草済みの地点に配置しております。

 このうち半数の二個百人隊が最前線で警戒に当たり、一個が予備兵力として後方に待機、もう一個が急ぎ天幕の準備をしています。」


 テーブルの上に広げられた地図を指さしながら軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのゴティクス・カエソーニウス・カトゥスが全体の概況を説明する。


「天幕ぅ?」


 メルヒオールが片眉を持ち上げて怪訝そうに声をあげた。

 今まで軍団兵レギオナリウスたちはアイゼンファウストにはマニウス要塞カストルム・マニから毎日通っている。河川敷に配置された軍団兵は夜通し警戒に当たるわけだが、だからといって河川敷に寝泊りするわけではない。一定時間ごとに後方で待機している部隊と交代するから、仮眠をとるにしても後方に下がってからになるから、わざわざ天幕を張る理由があるとは思えなかったのだ。


「雨への備えです。

 雨が降っても天幕を張っておけば、そこから射撃出来ますからな。」


「ああ、なるほどねぇ。」


 筆頭百人隊長プリムス・ピルスのウェスパシアヌス・カッシウス・ペティクスが横から説明すると、メルヒオールは感心したように大きくうなずいた。

 アルトリウシア地方は雨が多い。雨の降らない日は雨の降る日より圧倒的に少ないくらいだ。そしてレーマ軍が歩兵用主力兵装として使っている短小銃マスケートゥムは前装式のフリントロック小銃であり、雨が降ると使えなくなる。だが、防衛陣地であれば屋根を用意でき、雨が降っても屋根の下から射撃ができる。その屋根を天幕を張ることで臨時に用意しようと言うのだ。

 一応、雨の中でも戦えるように投槍ピルム太矢ダートなどの投擲武器も用意があるが、それらは短小銃に比べれば射程が短い。短小銃の有効射程が最大で二十六ピルム(約四十八メートル)あるのに対し、太矢は集団エリアターゲットに対するが有効射程それくらいだ。投槍に至っては最大飛距離でもその半分程度。自分たちが積極的に動かねばならない野戦ならば、あえて射程の短いそれらを使うこともあるが、短小銃を使えるのであればそれに越したことはない。


「でぇ、アンタらとしちゃあ、これで十分守れそうなのかい?

 草ぁ刈ってねぇ、ここ以外の部分は守られちゃいないようだが?」


 メルヒオールは戦働きで騎兵の称号と郷士の地位を手に入れた英雄ではあったが、所詮は暗黒街出身のギャングである。修羅場には慣れているが軍事教育を受けたことがあるわけではなく、専門的な知見を持ち合わせてはいなかった。


「アルトリウシア平野に潜んでいるのが、ハン支援軍アウクシリア・ハン騎兵エクィテスならば十分でしょう。

 騎兵が集団で突破できる場所は除草済みのこの部分しかありません。ですが、そこには二個百人隊が布陣していて、その後方の様子は見えません。常識的に考えて、後方には十分な予備兵力が待機していると考えるはずです。そして隠れる物もなく、それでいて自由に動けないセヴェリ川を突進してくれば、銃火に晒されることが分かっているはずです。

 奴らは寡兵かへいで、騎兵戦力は総数でも二十に満たないと想定されています。戦列の前に突進してくる愚は犯さないでしょう。」


 ゴティクスは自信に満ちた態度で説明した。ただ、それを聞いたメルヒオールからすれば一抹の不安を覚えないわけにはいかない。草を刈られていない部分を守らなくてよいのかというメルヒオールの疑問には答えてなかったからだ。


「そりゃ、突撃してくるってぇんなら確かに草ぁ刈ったここんトコを目指すだろうけどよ。連中、数が少ねぇんだろ?

 正面切って突撃なんてして来ねえんじゃねぇのかい?

 こっそりこっちの藪のどっかを通ってくる心配しなくていいのかよ?」


「川の対岸から藪のこちら側の様子は見えません。

 除草したこの部分にこれだけ厳重な警戒が敷かれているのを見れば、藪の残っている部分はその向こう側に防衛線が敷かれていると予測するでしょう。いずれにせよ、川を渡ればここで警戒している兵士の目には留まりますから、不用意に接近してくることはありません。」


 ゴティクスの説明はメルヒオールの不安を払拭できなかった。メルヒオールは地図を見下ろしながら背もたれに背中を預け鼻から不満そうに息を吐き出す。その心中を察し、ウェスパシアヌスは宥めるように言った。


アイゼンファウストメルヒオール卿、いずれにせよ兵が足らんのです。

 もし、現在動員している兵力を全体に分散配置すれば、兵力が薄くなりすぎて防衛線としての機能を果たせなくなります。

 それよりは最弱点となるこの部分に兵力を集中配置すれば、他の部分は見えませんから兵力が隠れていると相手に想像させることができます。結果的に、最小の兵力で最大の防御力を期待できるのですよ。」


 それを聞いてメルヒオールはガバッと上体を起こした。


「それだよ!

 兵隊さんレギオナリウスの数、もっと増やせねぇのかよ!?」


 また始まった…と、軍人たちは内心でため息を漏らす。


アイゼンファウストメルヒオール卿、何度も申し上げておりますが現在動員できる最大兵力がここアイゼンファウストに展開しています。

 アイゼンファウスト地区の復旧復興事業、さらにはアイゼンファウストメルヒオール卿ご自身が所望しょもうされたブルグス建造のために…ここで更に兵力を防衛線に割けば、それだけ復旧復興や砦建造が遅れることになってしまいます。」


 軍団幕僚のアシナ・バエビウス・カエピオが渋面と愛想笑いが混ざった複雑な表情を浮かべ説明する。これは誰もが何度も繰り返した説明だった。

 だが、メルヒオールは似たような表情を返して指摘する。


「そりゃありがてぇと思ってるけどよ。

 知ってんだぜ?

 まだ、マニウス要塞にゃあ虎の子の兵隊が残ってんじゃねぇか。特別大隊コホルス・エクシミウスってぇ呼ばれてる大隊コホルスが丸ごと一個よ?」


「いや、ちょっと待ってください。」


 軍人たちの表情が一斉に変わった。驚いているというよりも誤魔化し笑いを前面に出したような困ったような、何とも言えない表情を一様に浮かべている。

 クィントゥス率いる特務大隊の存在は一般に公表されてないが、軍団レギオー内ではその存在が周知されている。第一大隊コホルス・プリマの一部であるはずの彼らが特別扱いされている事に、軍団内で疑問を抱かれないようにするにはそうする方が良かったからだ。

 そして現在マニウス要塞に収容されている避難民たちがアイゼンファウスト地区の住人たちである以上、特務大隊の存在をメルヒオールに知られていたとしても不思議ではない。不思議ではないが、だからと言ってつつかれて痛くないわけでもなかった。

 ゴティクスが慌てて取りつくろう。


「あれはマニウス要塞に滞在なさる上級貴族パトリキの警備のための部隊でして…」


「何言ってんだよ、マニウス要塞ん中にゃあ女子供ばっかじゃねぇか。一体何から上級貴族様を守ろうってぇんだい?

 まして一個大隊も必要ないだろ!?」


「いえ、そのうち半分は既に別の任務でアルビオンニウムへ派遣されていて、本当に割ける兵力は無いんですよ。」


「アルビオンニウムぅ!?

 こんな時期に何だってそんなところへ?」


 メルヒオールは決して自分の事しか考えていないわけではない。だが、メルヒオールは自分の治めるアイゼンファウスト地区が対ハン支援軍アウクシリア・ハンの最前線であると認識している。つまり最重要地点ということだ。

 その最重要地点の防衛をおろそかにして、貴重な兵力全く関係の無いアルビオンニウムへ送るというのは、にわかに納得のいく話ではない。


「あ~…それはルク…スパルタカシア様の護衛と…」


「スパルタカシア様の護衛ならスパルタカシウス家の兵隊の仕事だろ!?」


「いえ、アルビオンニウムでサウマンディアからの増援部隊を受け入れる都合もあるのですよ。それで、ティトゥス街道の再開通を急ぐことになったのです。」


「何で今頃ティトゥス街道を?」


「え~、オホン…それはエッケ島の叛乱軍が島の北岸に砲台を築いているという報告があり、どうやらトゥーレ水道を封鎖する兆候があるのです。」


「トゥーレ水道を!?

 そしたらお前ぇ、アルトリウシアは…」


 メルヒオールは絶句した。メルヒオールだってセーヘイムを中心とする水上交通網がアルトリウシアにとってどれだけ大切かは分かっているし、彼自身も交易船を一隻所有している。下級貴族である彼は自前の交易船で交易をおこなう特権を持っていたからだ。


「ええ、グナエウス街道は冬になれば通れなくなりますから、トゥーレ水道を封鎖されればアルトリウシアは窒息しかねません。ですので、今の内にティトゥス街道を再開通させて、トゥーレ水道が封鎖されたとしてもサウマンディアやライムント地方との連絡を確保するのです。」


 メルヒオールの青ざめた様子から、どうやら納得してくれそうだと一息ついたゴティクスだったが、メルヒオールは諦めたわけではなかった。


「分かったぜ、半分がアルビオンニウムへ行ったってのはよ。

 だがもう半分残ってるわけだろ?

 だったら、三個百人隊は居るじゃねぇか。

 どうせ今の態勢だって長くは維持できねぇんだし、上級貴族の警備なら百人隊一個ありゃ十分だろ?」


 メルヒオールが納得するまで、軍人たちはそれから半時間ほども話を続けなければならなかった。

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