第1105話 グルギアの出自

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 一通りの売り文句を言い終えたマルクスはグルギアを振り返って命じる。


「さあ、ご挨拶申し上げるがいい」


 グルギアはそう命じられるとその場で両膝を突き、交差させた両手を軽く胸に添えると、「グルギアと申します、貴族様方ノビリタエ。」と言って頭を下げた。

 みすぼらしい女だった。身にまとっているのは既に初冬の寒さだというのに袖の無い膝下丈の貫頭衣トゥニカ一枚。それを腰のあたりで一本の紐で緩く縛っている。せた体つきもあいまってひどく寒そうに見える。実際に寒いのだろう、表に露出している肌が総じて青ざめており、唇は血色を失っている。挨拶の時の声も、わずかに震えているように聞こえた。

 もっとも、寒いのは事実であったがグルギアの顔を青ざめさせ、その声を震えさせていたのは寒さばかりではなかった。この後、服を脱がされて裸を見せなければならないという、これまで新しい主人へ売られるたびに経験してきた嫌な記憶が恐怖と絶望とを呼び覚ましていたのである。


 どこか冷めた様子でひざまずくグルギアを見下ろしたままルキウスはマルクスに尋ねた。


マルクスウァレリウス・カストゥス殿。

 この女奴隷セルウァの素養と礼儀作法とが優れていると申されたが、どこでどのように仕込まれたものか、経歴などは判明しておるのですか?」


「もちろんです。

 グルギアコレは実は上級貴族パトリキの生まれなのですよ。

 それも飛び切りの、聖貴族家コンセクラートゥムです。」


 マルクスの答えにアルビオンニア貴族たちは一斉に眉をひそめた。「実は高貴な生まれ」というのは、奴隷商が奴隷を高く売りつける時に口にするハッタリの定番だったからだ。そんなものをイチイチ真に受けるのは成金なりきん新興貴族ノビレスぐらいなものだろう。そんなものを真に受ける奴なんかいない。それらが本当なら、売られている奴隷の過半数は元・上級貴族になってしまう。実際に没落する下級貴族は確かに少なくないが、上級貴族が没落することは滅多にない。そんなにたくさん元・上級貴族の奴隷がいるわけもないのだ。


聖貴族家コンセクラートゥムですか……」


 薄笑いを浮かべあからさまに信じようとしていないルキウスにマルクスは可笑おかしそうに笑った。まあ、信じるわけもないかと当人も分かっていたからだ。が、信じようと信じまいとグルギアは本物の元・聖貴族であり、奴隷としてはとんでもないであることは事実だった。


「疑いたくなるのも無理はありません。

 ですが、本当なのです。

 グルギア自身は奴隷になった時、まだ子供だったのでありませんが、彼女の父親は貴族名鑑にもその名を乗せていましたよ」


 マルクスは手品の種明かしでもするようにそう言うと勿体もったいをつけるようにあえて間を開けてニヤリと笑った。


、ヘルミニウス・ラリキウスです。」


「「「「おおっ!?」」」」

「あの!?」

「ヘルミニウス氏族の……生き残りがいたのか!?」


 全員の耳に間違いなく届くように大きな声でマルクスが言うと、アルビオンニア貴族たちは一様に驚いた。訳が分からないという様子で呆気に取られているのはただ一人、リュウイチのみである。


 グルギウス・ヘルミニウス・ラリキウス……それがグルギアの父親の名前だった。ヘルミニウス氏族は有力な神官フラメンを輩出し続けたレーマ帝国の古い血統の貴族である。先祖が降臨者であったと名乗っているが確証はない。魔力は何代も前にとっくに失ってはいたが、代々精霊エレメンタルとの親和性が高く、魔力が無いために魔法は使えないものの、精霊を感知する能力に長けていたために精霊の声を聞く預言者プロフェータや精霊の気配から吉兆を占う鳥卜官アウグルといった役職の神官を数多く輩出し、聖貴族としての地位を保ち続けていた。ラリキウス家はそのヘルミニウス氏族の数ある分家の一つである。


 グルギウスは神官としてとある地方の雨乞いの儀式をしようとしていた。そしてそのためにムセイオンから特別に魔導具マジック・アイテムを貸し出してもらったのだが、あろうことかその魔導具を盗まれてしまった。そして魔導具窃盗の疑いをかけられ、無実の罪によって処刑されてしまったのである。その際、ラリキウス家の者たちは連座させられ、まだ子供だったグルギア自身も奴隷に堕とされてしまったのだった。

 通常、聖貴族がその地位を失うことはまず無いのだが、ヘルミニウス氏族は元々魔力を持っていなかったうえに分家の数も多かったため、聖貴族としての格式は低かった。それが世界的にも貴重な魔導具を奪ったというのだから、その地位も絶対ではなくなる。

 後にグルギウスが盗んだというのは事実ではなく、同じヘルミニウス氏族の別の貴族によって仕掛けられた冤罪であったことが明らかになるのだが、その時にはすでにグルギウスは処刑された後であり、グルギアを含む家族全員も既に奴隷として売り払われた後だった。

 マルクスはそのスキャンダラスな事件によって没落したラリキウス家の娘グルギアをたまたま見つけており、今回のために急いで買い求めたのである。


「グルギアがヘルミニウス・ラリキウスの娘であることは間違いございません。

 彼女の前の主人も、その前の主人も判明しており、確認を取ってあります。

 礼儀作法がちゃんとしているのは伯爵家で確認済みです。

 もちろん素養も申し分ありません。」


「ウ、ウホンッ!」


 エルネスティーネの脇に控えていた侯爵家筆頭家令ルーベルト・アンブロスがわざとらしく咳ばらいし、マルクスの話を中断させた。


「失礼しますマルクスウァレリウス・カストゥス殿。

 その、いわくのある女奴隷セルウァはその……大丈夫なのですか?

 ヘルミニウス氏族の娘を奴隷セルウスとして、ヘルミニウス氏族との関係が悪くなるのは困りますが……」


 ヘルミニウス氏族は魔力を持たないため各人の聖貴族としての地位は低いが、有力な神官を数多く輩出するだけあって一族全体でみるとレーマ帝国内での影響力は大きい。実際、レーマ帝国でヘルミニウス氏族出身の神官の居ない属州は無いほどで、アルビオンニア属州にもサウマンディア属州にもヘルミニウス氏族の神官はいた。もしもヘルミニウス氏族全体を敵に回せば非常に厄介なことになる。ルーベルトの懸念はあってしかるべきものだった。が、マルクスはカラカラと笑って見せる。


「それは心配ないでしょう。

 ヘルミニウス氏族はに関わった者すべてを既に絶縁しております。

 ラリキウス家が冤罪であったことが判明した時も、『魔導具マジック・アイテムを盗まれた責任はまぬがれない』と宗家当主が明言したそうです。

 だいたい、もしヘルミニウス氏族がラリキウス家を今も一族の一員と認めているのなら、グルギアとその兄弟たちはとっくに買い戻されて地位を回復している筈ではありませんか!?」

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