第1104話 グルギア

統一歴九十九年五月十一日、午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



「わかりました! わかりました!」


 マルクスは白旗を揚げた。

 サウマンディアの息のかかった女をリュウイチの近くへ送り込む……今はリュウイチへ直接送り込めないが、しかし元・娼婦で従者を一人も連れていないリュキスカへの献上品として送り込み、あわよくばそこからリュウイチへ近づくか、それが叶わないまでもリュウイチの身辺の様子を逐一報告させて次回以降の“本命”の選定に役立てる。そのために用意したのが女奴隷セルウァグルギアだった。

 しかし、今はリュキスカが生理で夜伽よとぎが出来なくなっている。ルクレティアはまだグナエウス砦ブルグス・グナエイにいて帰ってこれない……つまりリュウイチの夜伽をする女は今一人もいない。

 一時的とはいえ女っ気が無くなっているリュウイチの前でグルギアの裸を見せ、リュウイチの興味をかせ、あわよくばリュキスカではなくリュウイチへ献上先を変更すようリュウイチ側から要望させる……それがマルクスの目論見だった。それが叶えばサウマンディアはリュキスカの従者というステップを踏まずに一挙にリュウイチへ直接女を送り込むことが可能となる。


 が、事はそこまでうまくは進まなかった。それができていればマルクスのサウマンディアでの評価は相当跳ね上がっただろうが、まあ仕方ない。だいたい、まだ失敗すると決まったわけではない。当初の予定通りグルギアをリュキスカに献上できさえすれば、今回の目的は達成したことになるのだ。リュキスカに女奴隷を献上するというアイディア自体はマルクスのものなのだから、それが成功しただけでもプブリウスのマルクスに対する評価は高まるに違いない。


「では、今後リュウイチ様や聖女様方サクラエに献上する奴隷セルウスは裸にして確認する手続きは省略いたしましょう。

 元々、買い手が求めなければしなくても良い手続きですからな。

 その代わり、瑕疵かしがあっても売り手側に責任を問えませんから、そこはよくご理解ください」


 何かを諦めたように脱力した様子でマルクスがそう言うと、リュウイチを含めそれを聞いていた貴族たち全員が安堵の溜息をついた。しかし、話がすべて終わったわけではない。マルクスはリュキスカに奴隷グルギアを献上せねばならず、そのためにはアルビオンニア貴族たちを納得させねばならぬのだ。

 いや、本来ならアルビオンニア貴族らに文句を言われる筋合いのものではないし、今はリュウイチの同意さえ得ればよい。というより、という形に持っていきたいのだ。が、今の様子ではアルビオンニア貴族らを納得させなければリュウイチはグルギアを受け取りはしないだろう。もしもこの場でリュウイチが受け取りを拒否すれば、グルギアの献上はリュキスカの復帰を待たねばならなくなる。そんなことになればアルビオンニア貴族らは何らかの対応をしてくるかもしれない。マルクスだってルクレティアに『勇者団』ブレーブス捕縛の協力を要請しに行かなければならないし、それがなくともいつまでもアルトリウシアに留まるわけにはいかないのだ。話は急がねばならない。


「では子爵閣下ウィケコメス、裸にはしないまでも女奴隷セルウァを検分なさるのでしょう?

 いかがいたしますか、この場へ連れて来てリュウイチ様の御前で御検分いただき、十分に御納得いただけるのでしたら我々としても望むところですが」


 ルキウスは思わず片眉を持ち上げた。奴隷の身元などどうせ怪しげなもの……高貴な者の傍に仕えるにあたわぬと断じてしまえばマルクスとて断念せざるを得まい。が、どうやらマルクスは奴隷の質について、アルビオンニア貴族らの検分にも堪えうるという自信を持っているようだ。

 ルキウスはエルネスティーネと目を見合わせ、それからリュウイチの方へ視線をやってアイコンタクトで同意を得るとマルクスに向き直った。


「本来ならリュウイチ様の御前に出る前に検分させていただきたかったですが、 伯爵閣下コメスがリュキスカ様に献上するために御選びになられた女奴隷セルウァだ。ここで無下に断るわけにもまいりますまい。

 マルクスウァレリウス・カストゥス殿も自信がおありのようですし、リュキスカ様に献上して良いかどうか、検分させていただきましょう」


 マルクスが背後に控えていたサウマンディア軍団第三大隊コホルス・テルティア・レギオニス・サウマンディイ大隊長ピルス・プリオルスプリウス・スエートーニウス・ヌミシウスを振り返ってうなずくと、彼はサッと小さく一礼し「連れてまいります」と一言断って部屋から退出して言った。この場には軍人は彼らを除けばアルビオンニアの将兵しかおらず、サウマンディア側の貴族の控室で待機しているグルギアを連れて来れる者が他に居なかったのだ。

 スプリウスが奴隷を連れに出ている間、間が空いてしまう。不意に出来てしまった沈黙の時間……マルクスは居心地の悪いその間を埋めるべく声を張った。


スプリウススエートーニウス女奴隷セルウァを連れてまいる前に出来る説明はしておきましょう。

 名はグルギアと申します。

 ヒトの女で、歳は二十一、レーマ人です。」


 やはり……

 ヒトの、それも妙齢の女か……

 リュキスカ様に献上すると言いながらその実狙っているのは……


 マルクスが女奴隷を献上すると言い出した瞬間から想像がついていたことだが、マルクスが妙な奴隷を連れていることに事前に気づいていなかった、あるいは気づいていても詳しく調べてなかった貴族たちは無言のまま表情を曇らせる。


「もちろん、瑕疵かしなどございません。

 上級貴族パトリキにも十分通用する礼儀作法と教養を納めております。」


 コンッコンッ・・・


 やや高い音がマルクスの演説を中断させた。入り口を守っていた衛兵が、手に持っていた槍の石突で床をノックしたのだ。誰かが来たことを告げる合図である。室内にいた全員がそちらへ視線を移したところで名乗り人ノーメンクラートルが声をあげた。


スプリウススエートーニウス・ヌミシウス殿が戻られました。」


「通せ!」


 アルトリウスに命じられた衛兵たちが左右から観音開きの扉を同時に引いて開くと、扉の向こうからスプリウスが現れた。背後に女奴隷を連れている。


「お待たせしました。

 ああ、彼女にははまだ知らせておりませんので、これからの会話もそのようにお願いします。

 さあ、中へ」


 スプリウスは居並ぶ貴族たちに断ると、後ろを振り返ってグルギアに中に入るよう命じる。グルギアはうつむき加減の顔をわずかに動かし、伏し目がちにサッと室内の貴族たちを見回すと部屋の中央に立っているマルクスの方へ向かって楚々そそと歩き始める。格好は奴隷そのものだが、その身のこなしは確かに貴族に通じる品があった。


「あれが?」

「痩せているな……貧相だ……」

「あんな女を?」


 グルギアを遠慮なく品定めする貴族たちの低い声がグルギアの耳に届いた。が、グルギアはそれに無視してマルクスのところまで歩調を乱すことなく歩み寄る。

 この世界ヴァーチャリアの一般的な女性美の基準はふくよかであることだ。無駄にぶくぶくと太った肥満をその「ふくよか」に含めるかどうかはまた意見が分かれるが、適度以上の皮下脂肪によって形作られる女性らしい身体の丸みこそが美女の条件とされている。ふくよかさこそは豊かさの裏打ちであり、貧困とは無縁の高貴さの現れなのだ。

 だというのにこのグルギアという女奴隷はどうだ。顔立ちこそ整っていて痘痕あばたもないが、体つきは酷く痩せていて頬もこけている。肌の血色もいいし、髪の毛も艶やかではあるが、どこか疲れたような雰囲気は隠しようもない。


 あれではリュウイチ様はお喜びになるまい……

 あのような女でリュウイチ様に取り入ろうとしたのか?

 なるほど、それでリュウイチ様ではなくリュキスカ様に献上しようというのか……


 アルビオンニア貴族たちは自分が貰うわけでもなかろうに警戒心を失望へと変えていた。

 実際、グルギアは伯爵家によって発見され、買い取られ、連れて来られる前はいかにも奴隷らしい過酷な生活を送っていた。リュウイチに献上するため、こんな貧相ではイカンと十分な食事を与えられるようにはなったものの、ほんの数日では体形に影響するには至らない。まして慣れない船旅と酷い船酔いで体調をすこし崩したため、せっかく要塞内の公衆浴場テルマエで身ぎれいにはしたものの、多少の化粧では誤魔化しきれない程度のやつれが残ってしまっていたのだった。

 たしかにこのような女で性欲をたかぶらせるようなレーマ貴族は居ないだろう。居たとすれば極一部の特殊な性的嗜好の持ち主だけに違いない。実際、リュウイチもどこか拍子抜けしたような気持になっていた。


マルクスウァレリウス・カストゥス殿……それが、献上する女奴隷セルウァですか?」


 ルキウスが呆れた様子で尋ねる。実際、もっとも痩せている者でさえ標準的なヒトより体躯の太いホブゴブリンにとって、ヒトは多少太っていてさえ「細すぎる」というのが印象だ。逆にヒトから見てホブゴブリンは筋肉ダルマといった印象なのだが……それを置いておいてもグルギアは痩せすぎている。背丈が高いから猶更なおさら身体の細さが際立って見えるのかもしれない。


 これでは……警戒するまでも無かったか……


 ルキウスでさえそう思ってしまっていた。


「いかにも!

 グルギアは確かに見た目は貧相ですが、グルギアの優れているのは教育です。

 先ほども申しましたように、上級貴族パトリキに通じるだけの礼儀作法と素養とを身に着けているのです」

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