第66話 御前尋問

統一歴九十九年四月十日、午後 - バランベル船上/アルトリウシア



 どのような世界であっても社会格差は必ず生じる。

 「富の再分配」という概念が普及し、それを取り入れた社会制度を採用したとしても、せいぜい格差を小さくすることが出来る程度だ。社会が完全に共産主義化したとしても貧富の格差をゼロにすることなど出来はしない。

 ましてや、社会制度の未発達な世界においてはなおさらで、持てる者と持たざる者の格差は身分制度というものを成立させる格好の土壌となる。


 ハン族の場合は種族的背景もあってその辺の因果関係が実に分かりやすい。

 ハン族はゴブリンからなる狩猟民族だった。ダイアウルフをはじめとする猛獣に囲まれた環境でゴブリンは狩る側であると同時に狩られる側でもあった。

 強いゴブリンは小動物を狩って食料を得、猛獣のあぎとから逃れる事が出来るが、弱いゴブリンは狩りも下手だし猛獣にも狩られやすい。集団で狩りをする場合も、弱いゴブリンは勢子せこなどの脇役や囮役などの危険な役をやらされ、獲物にトドメを刺すような重要な役は強いゴブリンが担う。

 そうして得た食料は強い者から優先的に分配される。

 弱いゴブリンに食料を優先して強いゴブリンが力を発揮できなくなれば、その集団は狩りが出来なくなって食料を得られなくなってしまうのだから、強いゴブリンが優先的に食料を得るのは、狩猟民族社会全体の利益を考えれば当たり前のことだ。


 ただ、その状態が長く続くと、強いゴブリンと弱いゴブリンの格差が固定化していくことになる。強いゴブリンは強いゴブリンを産むが、弱いゴブリンは弱いゴブリンしか生まない。

 やがて、強いゴブリンは自分の子にも食料を優先的に食べさせるようになり、栄養状態に恵まれた強いゴブリンの一族は代を重ねるにしたがいホブゴブリン化していくことになった。


 ここまで来ると、社会的格差は文字通り目に見える形で明確なものとなる。

 ゴブリンは圧倒的強さを誇るホブゴブリンにはまず勝てない。

 栄養状態の良い環境に置かれたゴブリンがホブゴブリン化するのに、少なくとも三世代くらい要すると言われており、貧困化したホブゴブリンがゴブリン化するのにもそれくらいかかると言われているから、一度ホブゴブリン化した一族とゴブリンの一族が社会的立場を入れ替える事はまず無いと言って良いだろう。


 それは偉大な降臨者バランベルによって文明をもたらされ、ゴブリンがダイアウルフに騎乗するようになってからも変わらなかった。

 自然発生した格差は時を経るに従い絶対的なものとなり、身分制度として社会に根付き、完全に固定化してしまう。

 必然的にハン族の中でホブゴブリンは王族や貴族として君臨し、ゴブリンは平民としてホブゴブリンの支配を受けるようになった。


 固定化した身分格差は社会が成熟していくに従い細分化し、複雑化し、絶対化し、それは当然のこととして認識されるようになり、常識に組み込まれる。

 そして身分差別が生み出され、最終的には文化として定着する。


 息子を救ってくれた恩があるとはいえエラクの弟であるオクタルが一介の騎兵に過ぎぬゴブリンのドナートに、まるで友人のように接していたのは異例中の異例と言って良いだろう。

 エラクのムズクがその名を記憶にとどめていた事も、ましてエラク自らゴブリン個人を指名して召喚し謁見を許すなど、歴史を振り返っても数えるほどしか前例は無い。


 王弟オクタルに対し物怖ものおじすることなくリクハルドの裏切りを報告し、撤収と放火を献策したドナートはそれだけでも豪胆ごうたんと称されて良いほどの胆力の持ち主ではあったが、さすがに大貴族ホブゴブリンに囲まれて玉座ぎょくざの前に引きずり出されたとあっては生きた心地がしなかった。



「ドナートよ、奮戦大儀ふんせんたいぎであった。

 戦況についてそこのアーディンより報告を受けておるが、勿体もったいなくも王陛下にあらせられては、そなたより詳細を確認したく思召おぼしめされ、此度こたびの召喚と相成あいなった。

 心して答申とうしんするがよい。」


「ははっ」


 玉座のに響くディンキジクの声に答えるドナートの声は明らかに上ずっていた。

 跪きかしこまる彼の額に戦場でも垂らしたことのない変な汗がつたう。


「問おう、リクハルドが裏切ったとはまことか?」


王弟殿下オクタル率いる軍を攻撃してきたのはリクハルド軍で相違ないか?」


 ムズクの声がおごそかに響き、それに続いてディンキジクがドナートへ質問を中継する。身分の低すぎるドナートとエラクであるムズクが直接言葉を交わすことなど許されないため、このような面倒くさい方法を採っていた。

 いや、これでも一応かなり簡略化している。

 本来ならドナートはホブゴブリンの上司に詳細を説明し、それを上司が部隊長へ報告し、部隊長がディンキジクに報告し、そしてディンキジクがムズクや他の幕僚たちに報告するという手順を踏まねばならないのだ。

 当然だが、回答する際もドナートはムズクへ直接答えることはせず、まずディンキジクへ答え、それをディンキジクがムズクへ中継する手順を踏むことになる。


「はっ、海軍基地門前で王弟殿下を攻撃した軍は《陶片テスタチェウス》の者たちで、それを率いていたのはコボルトらしき巨漢でした。」


「王陛下、オクタル様を攻撃したのはリクハルド殿に間違いないようです。」


 無論、ムズクはドナートの発言を直接耳にしているしディンキジクが中継するまでもなく回答の内容を理解していた。

 ディンキジクの答えを待たず、ムズクは沈痛な面持おももちで左手を額に当てた。


「何故だ、何故リクハルドめはオクタルを・・・」


 やはりムズクにとってもリクハルドの裏切りは全くの予想外だったのだ。

 ショックを隠し切れないムズクに何と声をかけて良いか分からず沈黙してしまったディンキジクに代わりイェルナクが口を開いた。


「お待ちください陛下。

 リクハルド殿は我らが盟友。何の理由も無く我らに弓引くとは思えません。

 たしか、計画では我らが騎兵隊が《陶片》を偽装攻撃する事になっていました。

 思うに本来ならば被害の出る筈の無い偽装攻撃のはずが、何かの手違いで看過しえぬ被害を生じさせ、リクハルド殿をして発奮はっぷんせしめたのやもしれませぬ。」


「ドナートよ、《陶片》への攻撃はどのように行ったのだ?」


 イェルナクの進言を受けて、ディンキジクがドナートへ問いかけた。


「はっ、《陶片》の西門前に人だかりが出来ておりましたので、その群衆の頭上に向けて全員で投擲爆弾グラナートゥムを一斉投擲しました。」


「何だと!?」


 ドナートの回答にディンキジクは我が耳を疑った。ムズクも思わず顔をあげ、目の前で跪くゴブリンドナートを見つめる。

 全員の視線がドナートへ集中する中、イェルナクだけがそれ見た事かと言わんばかりに笑みを浮かべていた。


「何故そんなことをした!?

 計画では被害の出ない場所を選んで攻撃する手筈だったではないか!!


「はっ、おそれながら、申し上げます。我らが・・・」


「黙れ!!」


 ディンキジクの問いに答えようとしたドナートをイェルナクが怒鳴りつけた。


「やはり下民ゴブリンめの失態が原因ではないか!

 群衆の頭上へ爆弾を降らせたとあらば被害は甚大なものとなろう。リクハルド殿とて逆上するは必定ひつじょう!」


「待たれよ、イェルナク殿!」


 ディンキジクはドナートに罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせはじめたイェルナクを制止しようとしたが、イェルナクは止まらなかった。そのまま玉座に向かいこうべを垂れる。


「王陛下!

 リクハルド殿の攻撃はこの者ドナートの不始末が引き起こしたものにございます。

 ですが、ご安心ください。

 私が行ってリクハルド殿の誤解を解き、関係を修復してご覧に入れましょう。

 今ならまだ間に合います。

 どうか、私めをリクハルド殿のもとへ御遣おつかわしください。」


「イェルナク殿!

 先ほどの報告を聞いておろう?

 既に門前町カバナエは火の海。王陛下が貴公を使者につかわそうとて、行く道が残されておるまい。」


 ディンキジクの冷静な指摘を受け、道が閉ざされていた事を思い出したイェルナクは再びドナートをにらみつけた。


「うぬぬ・・・そういえばこやつはオクタル様に街へ火を放てと余計な進言をしたそうだな!?

 何たる邪知じゃち

 よもやこうなることを見越してか!?

 どこまで我が計画を台無しにしてくれるのだ!?」


「落ち着かれよイェルナク殿!

 街に火を放たねば今頃リクハルド軍はここまで攻めて来ておろう。

 さすればオクタル様のみならず、我らもこの世ならざるところへ送られておった筈。街に火を放った事は間違っておらぬ。」


 普段のイェルナクらしからぬ激昂ぶりに違和を覚えざるを得ないディンキジクだったが、エラクの御前でもあることだし何とか宥めようとする。しかし、イェルナクは尚もドナート批判をやめようとしない。

 ドナートは身動き一つせず黙って耐えていた。


「そのリクハルド殿の攻撃を呼び込んだのはこやつドナートなのだぞ!?

 忌々しい下民ゴブリン風情がようもやってくれたものよ。」


「静まれ、イェルナク!」


 なおも続きそうだったイェルナクの罵詈雑言を止めたのはムズクだった。ムズクはイェルナクがわめき散らす中もずっと目の前でうずくまるドナートを見据えていた。


「ドナートよ、再び問う。

 何故、本来の計画通りに攻撃せなんだか?」


「何故、そなたは計画通りの偽装攻撃ではなく、群衆を狙って攻撃したのか、お答えせよ。」


「ハッ、我らが両要塞カストラへの陽動ようどう作戦を経て《陶片》へ突入しようとした際、《陶片》の門は固く閉ざされており、門の内側より一斉射撃を受けました。」

 

 ドナートが答申しきらぬうちにイェルナクが大声で否定した。


「嘘だ!!

 陛下、この者ドナートは嘘をついております。

 リクハルド殿がそのようなことをするはずがありませぬ。」


「イェルナク殿、控えられよ。

 エラクの御前ですぞ!

 ・・・・・で、ドナートよ、続けて答えよ。

 《陶片》から先に攻撃されたのだな?」


 ディンキジクはイェルナクを制止してドナートへ回答を促した。


「私はティトゥス要塞カストルム・ティティ襲撃しゅうげき隊の半数が一撃でたおされるのをこの目で見ました。

 それで自分の方にも銃口が向けられているのに気づき、道を外れて逃げたところへ一斉射撃を浴びました。」


「まだ嘘を重ねるか、この卑しい下民ゴブリンめ!

 エラクよ!このような者に耳を貸してはなりませんぞ!!」


 ドナートの答申を再びイェルナクが否定する。


「待たれよイェルナク殿!

 確かに騎兵隊は出撃前の半数以下にまで数を減らしておる。

 朝は二十七騎出て行ったのに帰ってきたのはティトゥス要塞襲撃隊の三騎とこのドナート率いるマニウス要塞カストルム・マニ襲撃隊九騎の十二騎だけだ。

 安易に嘘と否定はできん。」


「損害があったからと言って《陶片》からの攻撃のものとは限るまい!?

 要塞襲撃で生じた損害を《陶片》からの攻撃によるものだと嘘をつくことだってできるではないか!」


 このイェルナクの言い分にはさすがのディンキジクも呆れ果て、それまで表情を極力出さぬようにしていた顔をあからさまにしかめてみせた。


「何故そんなことをせねばならんのだ?」


「ハッ、知れた事!

 リクハルド殿の攻撃が自分のせいではないと言い逃れるためではないか!」


 鼻で笑うように吐き捨てるイェルナクの態度は腹に据えかねたディンキジクだったが、次の瞬間再びムズクが口を開いたためそれ以上は黙らざるを得なかった。


「よい!

 ではドナートよ、あくまでも先に攻撃をしかけてきたのはリクハルドなのだな?

 だから偽装攻撃ではなく、本気で群衆を攻撃したのだな?」


エラクよ!

 このような者の嘘に騙されてはなりませぬ!」


 イェルナクは食い下がったがムズクの気持ちを変えることは出来なかった。


「良いのだイェルナク。

 いずれにせよ、リクハルドめがオクタルを害した事に変わりない。」


「ですからそれは何かの間違いにございます。

 私めを使者に立ててくだされば、リクハルド殿と和解してご覧に入れます。」


「我らはここをつのだ。

 今更リクハルドと和解して何になる?

 もうリクハルドの事は捨て置くが良い!

 そなたイェルナクもこれ以上リクハルドのことを口にするな。」


「・・・ははっ」


 ムズクにここまでハッキリ言われてしまってはイェルナクも引き下がらざるを得なかった。

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