第449話 歩けるようになったカール

統一歴九十九年五月四日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルビオンニア属州領主ドミナ・プロウィンキアエ・アルビオンニイエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人マルキオニッサは土曜日になると娘たちと共に家臣団を率いてマニウス要塞へ赴き、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアをはじめ、アルトリウシアの復興事業に従事している軍部を視察し、復興事業の進捗状況を確認することになっている。そして、叔父でありアルビオンニア軍団軍団長レがトゥス・レギオニス・アルビオンニアであるアロイス・キュッテルの下で軍事の実務を師事している息子カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子マルキオーと家族水入らずの時を過ごすのだ。

 翌日は家族そろって日曜礼拝をし、カールのみ引き続きマニウス要塞へ残して自身は娘たちや家臣団と共にティトゥス要塞カストルム・ティティへ戻る。これが公に公表されているエルネスティーネの週末だ。もちろん実際のところは公式発表とは異なっている。


 エルネスティーネが娘たちと共に家臣団を率いてマニウス要塞へ行くことは合っている。そして、軍団レギオーを視察したり軍団幕僚らトリブニ・ミリトゥムと進捗状況を確認するのも事実だ。だがその後は公式発表と事実の間に乖離かいりがあった。

 カールはアロイスに師事するためにマニウス要塞に移り住んでいるわけではなく、アルトリウシア復興資金融資の人質として降臨者リュウイチに預けてある状態だ。そして、それさえも実は名目上のことにすぎず、本当は『《レアル》の恩寵おんちょう独占』を回避しつつカールの病気を降臨者リュウイチに治してもらうのが目的だったりする。


 その目的は果たされ、一時期は植物状態になっていたカールはリュウイチの治癒魔法によって回復している。意識が戻り、も治ったようで、以前のように骨がしなったり簡単に骨折したりということのなくなったカールは、毎日リハビリに励んでいる。アルビノという体質は治らなかったが、リュウイチに光耐性を強化する防御魔法をかけてもらうことで、魔法の効果時間中は日中でも屋外に出ることが出来るようになっていたカールは、塞ぎ込みがちだった以前とは比べ物にならないくらい明るく元気になっている。


 息子を立派に育て上げ、亡き夫の跡を継がせる。それは夫マクシミリアンの死を目の当たりにしたエルネスティーネを立ち直らせ、今日まで女属州領主ドミナ・プロウィンキアエとしての務めを果たさせた最大の原動力だった。

 彼女が気丈にも侯爵夫人マルキオニッサという称号に相応しい振る舞いや働きを示し続けているのも、すべては息子カールに夫の残した属州領主ドミヌス・プロウィンキアエという地位と財産を引き継がせたいがためである。

 その彼女にとって息子カールの無事と成長は何よりも優先すべきことであり、それを見守ることが彼女の心の糧となる。週末のカールとの再会は、そう言う意味で彼女にとって大切なイベントとなっている。


「母上!僕、歩けるようになったよ!!」


 要塞司令部プリンキピアでの会議を終え、リュウイチとカールがいる陣営本部プリンキパーリスを訪れたエルネスティーネを喜ばせたのは、一週間ぶりに会った息子カールからの報告だった。


「カール!おおカール、本当なのカール!?」


 二本の自分の脚で立って出迎えてくれたカールの報告に、エルネスティーネは先週に引き続きまたもやリュウイチへの挨拶を忘れてカールに駆け寄り抱きついてしまう。

 あり得べかざるエルネスティーネの醜態にカールの姉でありエルネスティーネの長女であるディートリンデはやはり先週同様、母の姿に驚き、年齢に似つかわしくない態度でリュウイチへの謝罪と挨拶をするのだった。


「母様!?

 リュウイチ様、母がとんだ失礼を!

 どうかお許しください。」


『いや、大丈夫だよディートリンデちゃん。

 さすが侯爵令嬢だけあって礼儀正しいね。』


「勿体ない御言葉、身に余る光栄に存じます。

 リュウイチ様には弟カールがいつもお世話になっており、また領民たちのために多大なるご援助をたまわり、どれだけ感謝してもしたりません。」


 ディートリンデはまだ十一歳のはずだが、あまりにも大人びた受け答えにリュウイチは思わずタジタジになってしまう。リュウイチは《レアル》では年齢だけは立派な中年独身男性ではあったが、高校卒業以来ずっとトラック・ドライバーだった男で、社交の場での礼儀作法などまったくわきまえていなかった。そして、普段なら何事か助言をしてくれるルクレティアはアルビオンニウムへ行っていてここには居ない。

 どうしたもんかと内心冷や汗をかき始めたところでエルネスティーネが戻ってきた。


「ああ、リュウイチ様失礼しました。

 挨拶が遅れて申し訳ありません。

 カールがお世話になって、本当にありがとうございます。」


『いえ、とんでもありません。

 代わりにディートリンデちゃんが随分と立派な挨拶をしてくれましたから、どうぞご安心ください。』


「お褒めにあずかり恐縮です。

 この子もまだまだようやく挨拶だけ覚えたところでして、本当ならリュウイチ様の御前に出すには早いのですが…」


 普通、貴族の子弟はある程度の年齢に達して礼儀作法をちゃんと身につけ、公式の場に出しても醜態を晒すことのないようにしてから初めて「お披露目」を経て、社交界にデビューする。それまでは親戚やよほど近しい相手を除き、他の貴族らの目に触れないようにするものだ。本来ならわずか十一歳の娘を自分たちよりも身分の高い降臨者に会わせるなどあり得ないことである。にもかかわらずディートリンデや、わずか三歳のエルゼがリュウイチと直接会っているのは、やはり偽装のためであった。


 カールはあくまでもアロイスに師事するためにマニウス要塞へ来ていることになっている。そしてエルネスティーネは家族そろって日曜礼拝をするために来ているのであるから、そこにディートリンデやエルゼを伴わないとおかしなことになってしまう。

 家族一緒にマニウス要塞で日曜礼拝を行うとなれば、カールは昼間は外に出れないことになっているのだからカールが起居している陣営本部の寝室クビクルムでやらざるを得ない。そして家族一緒に日曜礼拝するためにエルネスティーネは来ているのだから、そこに娘たちを伴わないわけにはいかない。リュウイチに会わせないように娘たちだけ別の宿舎を用意すべきなのだろうが、それだと外から見た時に「何で侯爵令嬢だけ別の建物なんだ?」と要らぬ疑念を招くことになってしまう。

 何せマニウス要塞にはまだ避難民が大量に収容されている。陣営本部周辺は立ち入り禁止にされているとはいえ、建物の隙間などから陣営本部に人が出入りする様子ぐらいは見えてしまうのだ。

 結果、ディートリンデやエルゼもリュウイチのいる陣営本部へ連れて来ざるを得なくなってしまっていた。そのことは、一応事前にリュウイチの承諾を得てある。…が、エルネスティーネからすれば、やはり失礼が無いか心配ではあるし気にならないと言うわけでは決してない。


『大丈夫ですよ。私よりもよほど立派に礼儀作法を身につけてらっしゃる。

 むしろ、私の方が不調法ぶちょうほうで恥ずかしいくらいです。』


「まあ、ご謙遜けんそんを。」


『いえいえ、謙遜ではありませんよ。

 私がディートリンデちゃんぐらいの時なんかたろくに挨拶も出来ないただのガキンチョでしたから…まあ、こんなところで立ち話も何ですから、奥へ参りましょう。』


 リュウイチにそう促され、エルネスティーネは子供たちと共に奥へ進む。

 このあと、エルネスティーネはリュウイチとの会食を予定している。それまではまだ時間があるため、子供たちはそれぞれ自分たちの寝室へ一旦入り、それから子供たち同士で遊んで時間をつぶすことになっている。その間、エルネスティーネはリュウイチとお茶でも飲みながら、ルクレティアを聖女サクラにしたいきさつについて話を聞きたいと考えていた。ルキウスから詳しい話を聞けなかった以上、自分で聞ける範囲の事は聞いておかねばならない。

 しかし、エルネスティーネの目論見は叶わなかった。


「母上!僕、庭園ここを歩いて一周できるよ!

 今から一周するから見てて!!」


 カールが突然そう言って、庭園ペリスティリウムを囲む回廊ペリスタイルを歩き始めたのである。


「まあカール!危ないわ!大丈夫なの!?」


「大丈夫だよ母上!見ててよ!ほら!歩けるよ!!」


 驚くエルネスティーネの目の前で、さっきまで何かに掴まりながら立っていたカールは廊下の真ん中を歩き始めた。何にも掴まらず、両手をわずかに左右に広げて、ヤジロベエのようにフラフラとバランスを取りながら・・・。


『エルネスティーネさん、どうぞ見てあげてください。

 カール君は本当に歩けるようになったんですよ。』


「ええ、ええ!…本当に!ああカール、アナタ本当に!!」


 エルネスティーネは言葉にならない感嘆を漏らしながら、カールがフラフラしながらも細い足を踏ん張ってヨタヨタ歩く後を追った。カールが自分の脚で一人で立って歩く姿は数年ぶりのことだった。

 アルビノの彼はいつしかになり、ちょっと何かにぶつかっただけで骨折するようになってから一人で歩くのを止められていた。下手に転べばそれだけで命の危険があると思われていたからだ。そして運動する機会のなくなった彼の手足はどんどんやせ細り、ついには自力で立ち上がるのも難しい身体になってしまっていた。移動するにはもう、誰かに抱きかかえられなければならなくなっていたのである。


 それがリュウイチの魔法のサポートがあったとはいえ、わずか二週間の間に自力で歩けるようになった。それはエルネスティーネにとって、まさに奇跡のような出来事だったのである。もはやエルネスティーネの頭からはルクレティアの事なんかきれいさっぱり消えてしまっていた。


「おお、カール!カール!

 クラーラ!!見てちょうだい!!カールが!カールが歩いてるわ!!

 リンデ!!カールが!カールが歩いてるのよ!!」


 カールは母に、姉や妹たちに、そして侍女たちに見守られながら歩いた。白い顔を真っ赤にし、ゼェゼェと肩で息を試、全身汗まみれになって、フラフラと、ゆっくり歩き続ける。その後ろをエルネスティーネが心配そうに、いつでも手を出せるように、だが同時に涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらついて歩く。普通に歩いて一周二分もかからないような回廊を、途中で休憩を挟みながら三十分以上の時間をかけ、カールは見事に歩き切った。


「母上!見た!?見てくれた!?歩いたよ!僕歩いたよ!!」


「おおカール!!見たわ!ああ見たわよ!!」


 歩き切り、フラフラになっりながらも誇らしげに振り返るカールを、エルネスティーネは駆け寄って跪き、思いっきり抱きしめたのだった。

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