第752話 牽制の意味

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「牽制?」


 執政官コンスルフースス・タウルス・アヴァロニクスの言葉にコルネイルス・コッスス・アルウィナはいぶかし気に眉を寄せる。


「逆の立場になって考えてみてください。

 コッススコルネリウス卿が皇帝インペラートルです。」


 フーススがそう言うとコルネリウスはフッとその肥満体を揺すって皮肉めいた笑みを浮かべた。守旧派の中心的存在である彼からすれば酷い冗談のように思えたのかもしれない。フーススはコルネリウスの反応を無視して続けた。


「南の辺境で降臨が起きたという報告が届きました。

 けいならどうなさいますか?」


 挑みかかるような上目遣うわめづかいはフーススの癖だ。背の低さを子供のころから揶揄からかわれることの多かった彼は、低い姿勢からのタックルで自分を馬鹿にしてきた相手を突き倒し、力づくで黙らせてきていた。その姿勢は大人になった今でも癖となって残っている。周囲の人間はほとんど全員自分より背が高い。だから自分より体格の優れた相手に挑みかかるような癖がつい出てしまう。これは彼が『怒れる猛牛イラトゥス・タウルス』とあだ名される理由の一つでもあった。

 筋肉の塊のような男にその鋭い眼光で見上げられて怖気おじけづかない者などそうそうあるものではない。コルネリウスも身じろぐように上体を引き、自分に向かって唸る狂犬でも見下ろすかのように無言のまま唇を震わせた。


「そ、そりゃ……」


元老院われわれに知られないうちに手を打とうとするでしょう?」


「あ?……ああ……」


 コルネリウスが答える前にフーススは先取りし、頭の中で答えをまとめる前だったコルネリウスは思わずそのまま頷き返す。相手をひるませておいて予想外の答えが返って来る前に自分の都合の良い方向へ話を進める、フーススのテクニックの一つだ。


「そう、降臨が起きたとすれば皇帝の専権事項だ。」


 そう言うとフーススは上体を起こし、まるで信じがたいスキャンダルでも耳にしたかのように目を丸くし、両手を広げて同室する全員に訴えかける。


元老院われわれにイチイチ相談するはずもない!

 自分で勝手に動き、自分で勝手に処理できるんです。」


「!……そんなことを許せばっ」


 コルネリウスは仰け反らせていた上体を起こした。重厚な造りの椅子が似合わぬ軋み音を立てる。

 もしフーススが言うようなことになれば、せっかく回復しつつある元老院セナートスの権威は低下し、皇帝の権威が再び高まることになってしまう。それは守旧派議員団にとって、コルネリウスにとって到底許せることではなかった。

 話に乗って頭を突き出したコルネリウスを捕まえるようにフーススは再び上体を前のめりにする。


「そうっ!」


「!?」


 待ってましたと言わんばかりのフーススにコルネリウスは反応できず、思わずそのまま、フーススと顔を付き合わせたまま息を飲んで固まってしまう。


「降臨者を利用して皇帝の権威を高めるでしょう。

 そして、何一つ対応できなかった元老院われわれの権威は地に堕ちてしまいます。」


 違いますか?……視線でそう問いかけてくるフーススにコルネリウスは否定も何もできなかった。ううむ……と低く唸りながら上体を再び引き、椅子にその巨体を押し込める。

 フーススはコルネリウスが引っ込んだのを見ると再びその筋肉で無理やり太らせた小柄な身体を伸びあがらせ、呆気にとられたかのように二人の様子を見守っていた同僚議員たちに向かって手品の種明かしでもするように話し始める。


「だが、皇帝が報告を見るより先に我々が乗り込んできた。

 これによって皇帝は元老院われわれが降臨について既に知ってしまっていることを知ったのです。」


「そして皇帝は、元老院われわれをないがしろにできなくなったということかね?」


 主席元老院議員プリンケプス・セナートスピウス・ネラーティウス・アハーラはその風貌どおりの落ち着いた雰囲気で相槌を打つように尋ねた。フーススはコクリと頷き、話を続ける。


元老院われわれが知らなければ、皇帝は元老院われわれに知らせることなく勝手に使者を送り、皇帝こそがレーマの代表と宣言し、他の者がレーマの代表として降臨者と交渉を持てないようにすることもできたでしょう。

 ですが、我々の方が先に降臨を知り、皇帝にそれを伝えた。それによって皇帝は自分だけで対応することができなくなったのです。」


「だ、だが皇帝は元老院われわれとは無関係に使者を送ると言ったぞ!?」


 コルネリウスがフーススの説明に納得しかねたように渋面を作って言うと、フーススは悪戯っぽく微笑んだ。


「しかし元老院われわれが使者を送ることを認めたではありませんか!?

 我々みんなが居る前で、『元老院セナートスが代表者を送りたいというのなら好きにするがよい。』とハッキリと言った。そうでしょう!?」


「う……ああ、しかし……」


「皇帝は元老院われわれが使者を送ることを認めた以上、元老院われわれの使者が降臨者と交渉を持てないように働きかけることができなくなったのです。」


「あ……」


 コルネリウスはようやくフーススの言わんとしていることを理解したようだ。先ほどまでの困惑に満ちていた表情から力が抜ける。

 それを見てフーススも緊張を解いた。上体を起こし、背もたれに預け、この日はじめて余裕に満ちた様子を見せた。


「これでもしも元老院われわれの送った使者が謁見を許されず、その使命を果たせなければ、その時は皇帝の不実を責めればよいのです。」


 自分より一回りも若いフーススのドヤ顔を、文字通り口を阿呆あほうのように開けて見ていたコルネイルスは、いつの間にか同室している同僚議員たちの視線が自分に集中していることに気づいた。


「ウッ、ウンッ!」


 慌てて咳払いをして姿勢を正す。


 ひょっとして分かってなかったのは私だけだったのか?


 居住いずままいを取りつくろうコルネリウスを横目に、今度はピウスが懸念を口にする。


「皇帝を牽制するのは良いとしても、結局皇帝に先手を打たれることは変わらんではないかね?」


 ピウスの口調にはフーススを責めるような様子はない。彼がこのような懸念を口にした目的は、疑問を投げかけて答えを得ることにはなく、全員の注目をコルネイルスから離すことにあった。コルネイルスは守旧派では重鎮であり、影響力が大きい。彼に居心地の悪い思いをさせると、彼の気持ちが現在守旧派の牽引役になっているフーススから離れてしまい、結果的に守旧派の結束が乱れてしまうことになりかねなかったからだ。

 そのピウスの配慮に気づいた者は残念ながら誰もいなかった。フーススは両眉をヒョイと持ち上げ、口をわずかに尖らせてフンッと小さく鼻を鳴らすと、どうしようもないと言わんばかりに首を振った。


「それは仕方ありません。

 レーマ本国の外は皇帝の領域だ。

 先ほど、みんなが言ったように属州領主ドミヌス・プロウィンキアエどもは皆が皆、皇帝の味方なのです。」


 こればかりはフーススと言えどもお手上げだった。元老院守旧派が皇帝に対して優位に立てるのは、レーマ本国内においてだけなのだ。

 もちろん、属州領主や地方領主ドミヌス・テリットリイに対して元老院が全く無力というわけではない。元老院も領主貴族パトリキたちに対して影響力を及ぼせるよう、様々な手は打っていたのだ。

 たとえば彼らの元にはレーマ本国から財務官クァエストル法務官プラエトルが派遣されており、彼らの抱える辺境軍リミタネイの各軍団レギオーには元老院議員が軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムとして派遣されることになっている。領主たちの動向は常に監視できるよう制度を整えていたのだ。

 が、そうした監視体制も決して万全ではない。何せ元老院議員の半数近くが属州や藩王国から派遣された代表者であり、属州領主や藩王の代弁者なのだ。本国から地方に派遣される官僚のすべてが元老院守旧派の影響下にあるわけではなかったし、軍団に派遣される元老院議員も実際に現地に赴任する者などほとんどおらず、監視体制構築のための制度が、腐敗した元老院議員自身の手によって形骸化されてしまってもいるのだった。

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