第753話 議員アントニウス

統一歴九十九年五月九日、昼 ‐ 元老院議事堂クリア・クレメンティア/レーマ



「『仕方ありません』では済まされんぞ!?」


 居住まいを整えおえたコルネイルス・コッスス・アルウィナが躊躇ためらいがちにではあるが、フースス・タウルス・アヴァロニクスになじる様に苦言を呈する。


元老院われわれが独自の使者を出せるよう言質げんちをとったといっても、同時に向こうからも釘を刺されたではないか‥‥‥」


「ああ、レムシウス・エブルヌス卿が戻ってからとかいう話ですか?」


「そうだ!

 そのレムシウス‥‥‥何とかとかいう奴は存じておるのか?

 彼は若すぎるとか言っておられたようだが?」


 コルネイルスは元老院セナートスでは知らぬ者の無い重要人物である。上級貴族パトリキの中でもその体格から抱くイメージ通りの裕福な家柄で、元老院議員セナートルの中には彼から何らかの支援を受けて議席を確保している者も少なくない。残念ながら政治的な頭は今一つだが、その影響力は守旧派議員の中では一番だろう。当然、彼自身の顔も広い。

 そんなコルネイルスでもアントニウス・レムシウス・エブルヌスの名は記憶になかった。守旧派の主だった議員や、皇帝派の議員については彼はだいたい顔と名前が一致する。そのコルネイルスが思い出せないということは、守旧派や皇帝派ではない可能性が高い。少なくとも守旧派ではないはずだ。

 そしてコルネイルスのその予想は当たっていた。フーススは顔を面倒くさそうに顔をしかめながら答える。


「いや、私も詳しくは存じませんが一応調べさせました。

 中道派の若手です。」


「中道派だと?」


「成り上がりの商貴族ノビレスですよ。

 元は象牙商人で、商売のために元老院議員セナートルになったようですな。」


 フーススが憮然とした表情でそう答えると、何人かの議員がため息を漏らした。


「なるほど……元老院セナートスの代表など務まるわけがにないな。」

「当たり前だ、そんな奴に代表なんか任せられるものかっ!」


 商売の基本は余っている物を足らない所へ供給することだ。たとえば食料を生産する農場から、食料を消費する都市部へ食料を運び売りさばく。だが、地元の生産物を近隣の消費地へ運んでも得られる利益はたかが知れている。競合する商人が多いから過当競争に陥りやすく、どうしても利益率が低くならざるを得ないからだ。

 だがこれが遠くの珍しい物を扱うとなると利益率は格段に高くなる。競合する商売敵の数が減るから利益率を高く設定できるようになるからだ。だが、現在の大協約体制では加盟国同士の、特にレーマ帝国と啓展宗教諸国連合側との相互不干渉が大原則となっている。宗教的に、文化的に、そして政治的に互いに影響しあわないようにするため、貿易も為政者たちの管理下で行わなければならないことになっていた。このため、レーマ帝国では属州や藩王国の境界を跨いで貿易する場合、領主の特許を得なければならないと法で定められていた。

 この決まりにより、貿易は取引ごとに上級貴族パトリキの特許を得るか、あるいは貴族の御用商人の指名を受けるかしなければ出来ないことになっている。おかげで貿易をしたい商人たちは何とか貴族の御用商人に取り立ててもらうか、あるいは取引のための特許を得るために、安くないを払わねばならなくなった。

 だがこれではせっかくの貿易のが減ってしまう。貿易であげた利益をとして貴族に吸い上げられてしまうからだ。このは税金と並んで貿易商たちの悩みの種だった。

 ところが、この制度の抜け道を見つけ出し、そしてついに突破を果たした商人が現れた。アントニウス・レムシウス・エブルヌスとその父である。

 

 貴族の管理下でなければ貿易が出来ないのなら、自分が貴族になってしまえばよいではないか‥‥‥


 それを実現するためにアントニウスは元老院議員選挙に立候補し、エブルヌス家の財力とコネを駆使し、商人上がりの下級貴族ノビレスながらもついに元老院議員に当選したのだった。

 元老院議員になれば自動的に爵位がもらえ、上級貴族パトリキの仲間入りを果たすことができる。それによって自分自身で自由に貿易を行えるようになるし、御用商人を指名して特許を発行する権利も得られるのだ。


 そんな目的で元老院議員になったのだから、アントニウスは政治活動なんかほとんどであり、元老院での派閥争いにはほとんど加わっていなかった。むしろ商売を守るためには目立ってはならない。いわゆる中道派と呼ばれるどっちつかずの立ち位置を守りつつ、目立たぬように目立たぬように活動し続けていたのだ。

 であるから、当然アントニウスのことなど誰の記憶にも残っていなかった。だいたい元老院議員は現在六百人もいるのである。そのうち多少なりとも目立って人に顔と名前を知られているような議員はせいぜい四~五十人といったところだ。任期一期か二期ほど勤めては消えていく泡沫ほうまつ議員も少なくないのだから、なるべく目立たないよう、政治活動しないようにしてきたアントニウスのことなど記憶に残るわけがない。


「何でそんな奴がアルビオンニアなんぞに行っておったのだ?」


 理解できん‥‥‥困惑を絵に描いたような表情でコルネイルスは両手を広げて見せる。大成した商人が何をどう間違えたのか、政治に色気をだして元老院議員になってしまう例はアントニウスが初めてではない。貿易のために元老院議員になったのはアントニウスが初めてだったかもしれないが、商人が議員になって政治を志す例は意外と珍しくないのだ。人間、財を得ると次は名誉が欲しくなるものらしく、どうやら名誉欲しさに政治家を志し、そして政治家としての実績と爵位を得たことで満足して任期満了で引退する‥‥‥そのような議員は意外といた。コルネイルスやフーススみたいに政治家一族出身議員からすると彼らはナンパな不良議員なわけだが、そういう不良議員たちは目立つことはしたがるくせに目立たないことは一切したがらない。レーマ本国から離れて地方へ赴くなど、彼らがもっとも嫌う仕事の一つである。

 アントニウスのこともそうした不良議員の一人だと見做みなしていたコルネイルスにとって、アントニウスがアルビオンニアなどというレーマから最も遠く離れた属州に行っているなど信じがたいことだった。


「いや、元々はオリエネシア属州の方へ行っておったようです。」


「オリエネシア?

 東ではないか!?」


「ほら、例の新たに見つかったとかいう金鉱の視察ですよ。

 その途中でメルクリウス発見の報を聞き、急遽きゅうきょサウマンディアへ向かったようなのです。」


 フーススの説明にコルネイルスの表情は困惑から渋面へと一気に変わった。


「ああ、あの一件か‥‥‥」


 レーマで盛んにおこなわれて社会問題と化している金貨投資……これによって金貨の価格が暴騰を続けており、金銀比価きんぎんひかはもはや制御不能な状態に陥ってしまっている。その対策の一つとしてオリエネシア属州で近年見つかったとされる金鉱の開発が元老院で持ち上がっており、何人かの元老院議員が視察に派遣されていたのだが、アントニウスはその派遣された視察団の一員だったのだ。

 そしてコルネイルスが渋面を作ったのは、コルネイルス自身が金貨投資に一枚嚙んでいたからだった。せっかく暴騰し続けている金貨の価値を下げられては儲けが減ってしまう。コルネイルスは色々と裏から手をまわしてオリエネシアの金鉱開発を遅らせようと画策かくさくし、オリエネシアへの視察団派遣も一年以上遅らせることに成功していたのだが、この件に関しては問題解決を急ぐ議員の方が圧倒的に多く、コルネイルスと言えどもこれ以上の妨害は出来ないでいたのだ。


「それで、そのレムシウス卿とやらは何でサウマンディアへ向かったのだ?

 金鉱の視察を終えたのならすぐにレーマへ帰ってきそうなものではないか。」


 金鉱開発を妨害したかったコルネイルスだったが、金鉱の可能性に興味が無いわけでは決してない。金鉱が金貨暴騰の対策になり得るほどの金の算出が見込めるのならば、手持ちの金貨を値が下がる前に売りさばいてしまわなければならないだろうし、金鉱が有望ではないのなら金貨の値上がりはまだ続く可能性が高い。

 情報は早い方が良いが、その情報を持っているはず視察団はまだレーマに帰ってきていなかった。


「ですから、メルクリウスですよ。

 彼はサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムなんです。」

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