第238話 第一次交渉

統一歴九十九年四月二十日、午前 - セーヘイム迎賓館/アルトリウシア



 イェルナクらハン支援軍アウクシリア・ハンの一行が滞在しているセーヘイムの迎賓館ホスピティオの周辺には相変わらずハン族への憎悪をたぎらせた群衆が集まっていたが、三日目ともなるとその数はさすがに大きく減じており、数十人程度にまで減っていた。いくらハン族憎しと言えども皆が皆暇ではないのだ。

 アルトリウシアの人口の多くを占めていた貧民パウペルはその大部分がアルビオンニウムから着の身着のままで流れ着いた避難民であり、無職同然のその日暮らしの身であったが、先の叛乱事件を経た今では多くの者が何らかの職を得ている。ルキウスからの資金援助を受けた郷士ドゥーチェらが臨時で住民たちを根こそぎ復旧復興事業のために雇い入れているからだった。その郷士ドゥーチェたちには昨日、ルキウスから「住民たちがセーヘイムへ押しかけないようにしろ」とお達しがあり、住民たちが地区の外へ出るのは制限されるようになっている。

 しかし、商人などの地区をまたいでの移動を禁じるわけにはいかなかったし、もともと有職者で今現在も郷士ドゥーチェに雇い入れられているわけではない住民たちもある程度はいたため、その中から暇な人間がセーヘイムの迎賓館ホスピティオへ押しかけているような状態だった。


 おかげで迎賓館ホスピティオ前に集まる群衆は尽きはしなかったが、その数は大幅に減少し警備に従事している兵士らの負担は大きく低下している。

 警備にあたっていたのはセーヘイムの水兵とアンブースティアの復旧復興支援にあたっていたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの部隊だったわけだが、どちらも本職の戦闘要員ではなかった。水兵たちは現役兵士ではあったが船乗りとしての仕事が主で白兵戦は軍団兵レギオナリウスほど得意ではなかったし、スタティウスが引き連れていた軍団兵レギオナリウスは実は正規兵ではなくアンブースティア支援のために臨時に招集された復帰兵エウォカトゥス…つまり一度引退した軍団レギオーOBたちだったのだ。


 アンブースティアの郷士ドゥーチェティグリスの強い要求によって軍団兵レギオナリウスを派遣することにはなったが、現役軍団兵レギオナリウスは絶対数が不足している。どう工面してもアンブースティアへ派遣する人員を確保できなかったため、やむを得ず普段はマニウス要塞カストルム・マニの砲座で砲兵要員として働いている復帰兵エウォカトゥスの一部を臨時に軍団レギオーへ編入し、スタティウスの指揮下に臨時に部隊を編成したのだった。当然、部隊での白兵戦闘訓練なんてやってないし、個人としても白兵戦の訓練なんて現役を退いて以来何年もやってないという老兵ばかりだった。士気は高いし経験も豊富だが、体力的にはあまり期待できない…そんな集団だったのである。もしも昨日や一昨日、群衆たちが暴発していたらおそらく守り切れなかっただろう。

 

 そんな兵士らの緊張の夜は明け、昨日の午後からは警備にあたる兵士の数も大幅に減じ、今は二百人体制で迎賓館ホスピティオを守っている。予備として百人が完全武装をして待機しているが、残りの三百人は先に解散し元の任務へ復帰していた。そして突然降ってわいた警備任務に就いて二回目の朝食を摂った残りの兵士らも、元の任務へ戻る時間が近づきつつあった。



「では子爵公子アルトリウス閣下、昨日のイェルナクのお伝えした要望についてお返事をお聞かせいただけるのでしょうか?」


 応接室タブリヌムでアルトリウスとヘルマンニを迎えたイェルナクは挨拶を済ませ席に着くとさっそく切り出した。


「まずは貴官イェルナクの要求についてはすべて侯爵夫人エルネスティーネ子爵ルキウスに伝えたことを申し上げておく。」


「ありがとうございます、閣下アルトリウス。」


 イェルナクは慇懃いんぎんに会釈した。顔には愛想笑いが張り付いているが、目は笑っていない。


「端的に結論から言おう。

 補給については基本的に了承する。」


「基本的に…ですか?」


「その通りだ。補給はするが、問題はその量だ。そちらの人数を確認させていただきたい。

 エッケ島の貴軍が今現在何人いるかわからない状態ではどれだけの食料を運び込めばいいかわからん。もしかしたら貴官は事件前と同量の食料だけで構わないというかもしれないが、皇帝陛下へ色々ご報告申し上げねばならないのでな。」


「おっしゃる通りです。

 ひとまず合計人数は五百二十三名分とご報告させていただきます。」


 ハン支援軍アウクシリア・ハンは十日の戦闘で甚大と言って良い人的被害を出してはいたが、その被害以上の民間人を拉致している。叛乱以前と同量の食料では不足してしまうため、拉致した民間人の分を余分に調達しなければならなかった。


「五百二十三名・・・間違いないか?」


「間違いございません。」


 アルトリウスが確認を求めると、イェルナクは断言した。


「はて、事件前よりも人数が増えておるようだが?」


「昨日ご説明いたしましたように、わが軍は十日の事件当日に複数の容疑者を逮捕し、また相当数の住民をしております。その人数分も含まれております。」


「なるほど…それは了解したが、内訳を知る必要があるな。

 承知しておると思うが貴軍将兵の給与や食料等の分は皇帝陛下に請求せねばならんが、貴軍が保護したという民間人や逮捕した容疑者の分は請求するわけにはいかんのだ。」


「おお、そういえばそうですな。

 しかし、今現在イェルナクは合計人数しか把握しておりません。」


「では名簿をご用意いただけるかな?

 貴軍将兵はもちろん、貴軍のもとにいる民間人の分もだ。」


「民間人の分もですか?」


 イェルナクは意外そうに尋ねた。


「もちろんだ。民間人はそもそも侯爵家や子爵家が食料を供給すべき対象ではない。つまり、後日供給した食料の代金を請求せねばならん。そのためには誰がどれだけ食料の供給を受けたか把握せねばならんからな。

 貴軍が代わりに代金を払うというのなら我々が把握する必要はなくなるが、今度は貴軍がどの民間人を保護し養っているか、皇帝陛下に報告せねばならなくなるだろう?」


「な、なるほど・・・」


「我々も事件被害者と生存者の集計を急いでおるところでもあるし、侯爵家も子爵家も今回の被害の復旧復興のため莫大な財政出動を強いられており余裕がない。

 だから名簿は正確に作成し提出してもらわないと困る。我々が把握している戸籍上に存在しない人物については、さすがに補給の対象から外さざるを得ん。」


「ぐっ…わ、わかりました。では後日名簿を作成しお届けしましょう。

 それで、補給は名簿の後という事になるのでしょうか?」


「ひとまず事件前に貴軍が受けていた四百五人の二日分の食料は用意した。

 それは貴官イェルナクが乗って来た貨物船クナールに積めるのはそれくらいだろうと思ってな。

 不足分は名簿が届き次第、調整しよう。

 何かご不明な点はおありかな?」


「二日分を受け取るとして、その後はどうなりましょうか?」


 この質問にはヘルマンニが答えた。


「エッケ島はちけぇし、毎日まいんちこっちの貨物船クナールで届けよう。間違って攻撃せんようにしてくれ。」


「名簿が届き精査が終わるまでは四百五人分しか届けることが出来ん。

 なにせ、事件の被害を受けたこちらの住民たちへも供給せねばならんのでな。調整が難しいのだ。」


 ヘルマンニの後をすぐに引き継ぐ形でアルトリウスが説明したが、これを聞いてイェルナクはわずかに顔をしかめた。四百五人分では百十八人分不足する。もちろん、彼らはアルトリウシアから脱出するにあたって十分な食料を持ち出していたが、エッケ島という予定外の場所に漂着せざるを得なかったこともあり、食糧計画が大幅に狂っていた。実は座礁した『バランベル』号が離床する際、一時的に船から降ろした食料の一部が喪失していたのと、船倉に収めていた穀物が浸水によって海水に浸かってしまいダメになっていたのだ。今後どうなるかわからない状況でこれ以上備蓄を減らしたくない。すぐにでも五百二十三人分の食料を確保するつもりで乗り込んできていたイェルナクにとって、この回答は予想外だった。


「わかりました。名簿は急ぐとしましょう。

 それから忘れていましたがダイアウルフ八十一頭分の飼料も供給を受けたいのですが。」


「さて、それは事件前の頭数ではないか?

 こちらで何頭か死体を回収しているが・・・」


「おお、そうでしたか?

 イェルナクはダイアウルフの数については把握しておりませんでしたので・・・」


 ウソだった。イェルナクは実際は把握している。

 ダイアウルフは大喰らいだ。先の作戦で喪失したダイアウルフ分の飼料(肉)を不足する人間の食料に流用しようと一瞬考えたイェルナクだったが、さすがにごまかせないようだ。


「ではその分の集計結果も名簿とともにいただけますかな?」


「分かりました。

 しかし、食料につきましてはやはり五百二十三人全員分の供給をお受けしたい。」


 イェルナクは先ほどまでの困惑したような態度を急に改めた。まるで腹を決めたとでもいうような雰囲気で新たな要求を提示する。

 それを聞いたアルトリウスとヘルマンニは少し驚いた様子でイェルナクを見た。


「ですから、それは名簿を精査した後で」


「いえ、精査した後の調整は代金ででもできるでしょう。

 それまで民間人を飢えさせるわけにもいきません。」


「ではもし名簿に不備というか、戸籍にない…領主の庇護に外の者がいた場合はどうされますか?」


「それは我々で代金を負担しましょう。」


 この決断はイェルナクの独断だった。当初は自分たちの負担をなるべくなしに食料を確保するつもりだったが、十分な食料が確保できないよりは多少の負担は目をつむるしかない。


「いいでしょう。それではその通りに・・・補給の件でほかにご質問は?」


「いえ、イェルナクにはありません。」


「よろしい、次に降臨者様についてですが・・・貴官のおっしゃったメルクリウス団のことも含め事実関係を調査することになりました。」


「ということは?」


「それだけです。降臨者が本当にアルトリウシアにいるかどうかも確認できておりませんから、それ以上は何とも・・・結果は分かり次第ご報告しましょう。」


「なるほど・・・わかりました。

 では、今回の交渉はこれで以上ですな?」


 ひとまず食料問題だけでもめどを付けたイェルナクが話を切り上げようとしたところで、ヘルマンニが割り込んだ。


「その前に二つばかり、こちらから要求せにゃならんことがありましてな。」

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