第386話 対応方針

統一歴九十九年五月五日、未明 - ブルグトアドルフ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



「ハーフエルフ!?」


 セプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは驚き、思わず立ち上がった。

 この世界ヴァーチャリアにもエルフと呼ばれる種族はいるが、これはタマタマ森の中で見られた際のシルエットが似ていたせいで、誤ってそう呼ばれるようになってしまっただけで《レアル》で知られているエルフとは全然異なる存在だ。実際、ヒトとの間に子を成すことは出来ない。


 《レアル》で知られているエルフはこの世界ヴァーチャリアではハイエルフと呼ばれている。そして、ハイエルフは全員がゲイマーガメルであり、ヒト以外の種族では珍しいことにヒトとの間に子を成せる種族でもあった。この世界ヴァーチャリアに降臨したハイエルフの何人かが非常にな人物で、おかげで数百人の子供が遺されている。ハーフエルフはその数百人の子供のみであり、ゲイマーガメルの中でも特に魔力の強いハイエルフの血を直接引く以上、並の聖貴族コンセクラトゥムでは束になっても太刀打ちできないほどの魔力を持っている。


 ただ、ハーフエルフは成長が遅く、実年齢数十歳でも肉体は子供のままなので今現在全員がムセイオンで隔離され、他のゲイマーガメルの子孫らと共に特別な教育を施されているはずであった。こんなところにいるはずがない。セプティミウスが驚くのも無理はなかった。


「はい…でも、いずれも大した力は無かったとおっしゃっておられました。」


 ルクレティアは自身でも信じられないように、だが《地の精霊アース・エレメンタル》が言うのだから仕方ないじゃないと拗ねるような態度で言った。


「いや、お待ちください。

 ハーフエルフで大した力はないという事はないでしょう!?」


「はい、私もそう思うのですが…《地の精霊アース・エレメンタル》様にとってはさほどでも無いようで…」


 考えてみればゲイマーガメルを一掃した《暗黒騎士ダークナイト》が使役する《地の精霊アース・エレメンタル》である。その強さを基準にすれば、ゲイマーガメル本人であっても「大したことない」存在なのかもしれない。

 セプティミウスはよろけるように再び椅子に腰を降ろし、額の汗を拭った。


「な、なるほど…ですが、ハーフエルフがこんなところにいるとなると大問題です。これは子爵や伯爵どころか、レーマにまで報告しなければなりますまい。」


「やはり、そうなりますか?」


 ルクレティアは身を乗り出して尋ねた。自分でも問題の大きさは分かっている。だが、問題が大きすぎて却って信じられなくなっていたのだ。こういう場合、問題を理解し、自分と同じ常識で考えてくれる他の人物を目の当たりにすることで、ようやく半信半疑だった問題に向き合うことができる。今のルクレティアの心理状態はそういう状態だった。

 セプティミウスの考えが自分と同じであったこと…その安心感から、ルクレティアは無意識に韜晦とうかいしそうになっていた問題に向き合えそうな期待を持ったのだ。


「ええ…いや、しかし、追い払うだけで済んで良かったのかもしれませんな。

 下手に捕まえたり殺したりでもした日にはどうなっていたことか…ともかく、その事実だけは早馬で報告しておきましょう。」


 降臨者の血を引く聖貴族コンセクラトゥムこの世界ヴァーチャリアでは貴重な存在である。特に精霊エレメンタルを使役できるほどの魔力を持つ者が居れば、鉄や陶磁器、ガラスといった高温でなければ加工できない製品を生産できるようになるし、農林業や漁業にも大きく寄与する。聖貴族コンセクラトゥムの数をどれだけ多く抱えることができるかは国力を大きくする鍵であり、どれだけ多く聖貴族コンセクラトゥムを増やせるかはこの世界ヴァーチャリアの平和的発展にとって重要な問題であった。


 そんな状況であるから、聖貴族コンセクラトゥムの中でも最大級の魔力を有するとされるハーフエルフは最も貴重な存在である。最高度の教育を施して活躍してもらわなければならないし、多少人格に問題があったりして本人が活躍できないとしても、子供を増やす事ぐらいには役に立つ。むしろ、それこそが今現在、ハーフエルフに求められている最大の役割であるとすらいえた。

 そのハーフエルフを間違って殺しでもしたら、どんな騒ぎになるか分かったものではない。誰もその責任など取れないのだ。


 いずれにせよ、そんなハーフエルフがムセイオンから遠く離れたこんな辺境に来ている。しかも、よりにもよって盗賊を率いて上級貴族パトリキ軍団レギオーに牙をむいたとなれば大問題だ。彼らだけでは対処のしようがない。


「それはそうと…」


 敵の中にハーフエルフがいた。その問題は大きいがそれに関しては一区切りついたと判断したルクレティアは話題を切り替えることにし、姿勢を正した。


「戦況はどうなのですか?

 《地の精霊アース・エレメンタル》様のお告げでは、ブルグトアドルフの敵は既にいなくなったようですが…」


 セプティミウスも話題を切り替えたかったのだろう、香茶を一口啜ってすぐに答えた。


「先ほど伝令が到着しました。

 賊は既に一掃されたそうです。ただ…」


 セプティミウスはもう一口、お茶を啜る。


「ただ?」


「賊はブルグトアドルフで罠を張っておったようです。

 詳細はわかりませんが、どういうわけか軽装歩兵ウェリテスは難を逃れたようですが、警察消防隊ウィギレスに甚大な被害が生じており、住民にも多数の死傷者がでているとか…それでカウデクスセルウィウスが救援を求めて来ております。」


 ルクレティアが目を丸くした。


「まあ!いったいどれほどの怪我人が!?」


「正確な数値は分かりませんが、連絡将校テッセラリウスは百人近いと申しておりました。」


 百人近い怪我人…その数値を聞いてルクレティアは一瞬茫然とする。百人という数字は大きくはないように一瞬思えた。つい最近までアルトリウシアで数千数万という被災者の様々な報告に接してきたせいで感覚が麻痺しているのだろう。だが、冷静に考えれば百人の怪我人というのは決して小さい数字ではない。

 ルクレティアは胸に手を当て、一旦自分を落ち着かせる。


「ブルグトアドルフの町はそれほど大きい町ではなかったと記憶しております。」


ツヴァイクシュテファン殿の話では二百もおらんとのことでしたな…」


「では住民の半分が怪我をしているということではありませんか!

 殺された方も多いのでしょう!?」


「そう…でしょうな…」


「急いで救援に向かわなければ!」


 ルクレティアは決然と立ち上がった。それを見てセプティミウスは慌てて止める。


「ま、待ってください!」


「何故です!?

 もう敵はいないのですよ?」


「現在、重装歩兵ホプロマクス百人隊ケントゥリア一個を派遣すべく準備中です。

 それに賊は去ったと言っても、またいつ戻ってくるかわかりません。

 どうかお任せください。」


「怪我人は百人ちかくいるのでしょう!?

 ならばそれで手が足りるわけないではありませんか!

 百人隊ケントゥリアって実際には百人もいないのでしょう?」


 怪我人に十分な手当てをしようと思ったら、怪我人一人に対して二人は必要になる。重傷者なら更に必要になることもある。ルクレティアの認識では仮に怪我人が百人いるというのであれば、単純計算で二百人は必要な筈だった。

 百人隊ケントゥリアという呼称に反して、実際に軍団兵レギオナリウスが百人いるわけではない。百人隊ケントゥリアという呼称はいわば便宜上のもので、まとまって戦列を形成する部隊の最小単位として使われ続けているに過ぎなかった。アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアなどでは昔ながらの八十人態勢が維持されているが、実戦経験に乏しい地域の地方軍リミタネイ軍団レギオーでは六十人態勢が一般化しており、今後五十人態勢へ移行しようという動きも見られ始めているほどである。

 そうした具体的な数値まではルクレティアの知るところではなかったが、額面より人数が少ないと言う程度の事は知っていた。であるならば、人数は足りるわけはない。


「確かに、百人隊ケントゥリアは百人もいません。軍団兵レギオナリウスだけで八十人、それに百人隊長ケントゥリオ下士官セスクィプリカーリウスが数名です。

 ですが向こうには既にカウデクスセルウィウス率いる百人隊ケントゥリアが行っていますし、手持ちの騎兵隊エクィテスも増派してあります。

 これで二百人近くにはなります。」


「でも、さきほど敵がいつ戻ってくるか分からないとおっしゃったではありませんか!?

 ならば軍団兵レギオナリウスのいくらかは怪我人の手当てではなく、周囲の警戒もしなければならないのではありませんか?」


「それはそうですが…ここをもぬけの殻にするわけにはいきません。」


「私たちを守るために軍団兵レギオナリウスを残す必要があるのであれば、私たちの方がブルグトアドルフへ行けばよいのです。

 そうすれば怪我人を手当てする人数を確保できて、しかも守るべき軍団兵レギオナリウスも減らさなくて済みます!

 そうではありませんか!?」


「ルクレティア様!」


 ルクレティアを守るために兵士を動かせないというのであれば、ルクレティア自身がブルグトアドルフへ赴く。そうすれば今ここにいる兵士以外の全員が怪我人の手当てに当たることが出来、なおかつルクレティアの警護もできるし、盗賊どもが戻って来ても町や住民たちを守ることが出来る。ルクレティアにとってそれはとても良いアイディアに思えた。実際、住民を救うことを第一に考えるのであれば、それは正しい選択と言える。

 だが、セプティミウスは頑として受け入れなかった。


「守らねばならないのは御身おんみばかりではありません!」


「っ!!・・・・・」


 思わず声を荒げたセプティミウスの迫力にルクレティアは思わずたじろいだ。室内のすべての者たちが今、固唾を飲んでセプティミウスに注目していた。

 セプティミウスは周囲の目に自分が上級貴族パトリキに対して取るべきではない態度をとったことに気付き、だが立場上引き下がることもできず、一回だけ深呼吸して気持ちを落ち着けると話をつづけた。


「大きな声を出して申し訳ありません。ですが、どうかお考え下さい。

 今、ここを放置して我々が丸ごとブルグトアドルフへ行けばどうなりますか?

 そりゃ住民たちは救えるでしょう。ですが、ここはどうなりますか!?

 我々はこの宿駅マンシオー中継基地スタティオも守らねばなりません。

 特に中継基地スタティオには武器や弾薬が貯蔵されています。

 それが賊の手に渡ってしまえば、それらが我々が居なくなった後で警察消防隊ウィギレスや住民たちに向けられるのですよ?」

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