第385話 新たな不安要素

統一歴九十九年五月五日、未明 - ブルグトアドルフ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



「ルクレティア様!どういうことですか!?」


 ルクレティアたちの控える大広間プラエトーリウムへ大股でズカズカと乗り込んできたアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは開口一番問いただした。

 何について訊いているかはおおよそ見当は付いている。ルクレティアは最初は素直に謝るつもりだったが、セプティミウスの言いようがあまりのも頭ごなしだったため少し機嫌を損ねてしまった。

 ルクレティアはあえて椅子に座ったまま胸を張って凛と声を張る。身分はルクレティアの方が上なのだ。それも圧倒的に。自分に落ち度が無いとは言わないが、年長者とはいえ下級貴族ノビレスにすぎぬセプティミウスの頭ごなしな態度を受け入れるわけにはいかない。


「何のことでしょうか、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様?」


「何のことかではありません!

 《地の精霊アース・エレメンタル》様に賊を撃退させたというのは本当ですか!?」


 ルクレティアに詰め寄ろうとしたセプティミウスにクロエリアが立ちはだかる。


「お控えください、アヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様!

 こちらにおわすはルクレティア・スパルタカシア・リュウイチア様ですよ!?」


「むっ!?」


 セプティミウスはクロエリアと束の間睨みあったが、周囲の目もあって己の軽率を恥じると咳払いを一つして態度を改めた。


「これは、失礼した。

 何分、役目ゆえのこと、どうか許されよ。」


 クロエリアはルクレティアを振り返り、ルクレティアが無言のまま頷くのを確認するとセプティミウスの前から引き下がった。


「その話は半分は本当、半分は違います。」


「どういうことか、話を聞かせていただけますかな!?」


「もちろんです。その件につきましては私もアヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様にお詫びしなければなりません。」


 ルクレティアは自分の目の前のテーブルの脇に置かれた空いている椅子を指示さししめし、座るように促した。セプティミウスはルクレティアに一度御辞儀をしてから、示された椅子に腰を掛ける。


「まず、《地の精霊アース・エレメンタル》様が賊を追い払ったと言うのは事実です。ですが、これは私がやらせたものではありません。」


「すると、《地の精霊アース・エレメンタル》様が勝手に…オホンッ、御自おんみずからなされたことだと?」


「そうです。

 その、私も今しがた知ったのですけど、この指輪の《地の精霊アース・エレメンタル》様はリュウイチ様に従属なされておられるのです。」


 ルクレティアは手をテーブルの上に置き、右手の薬指に嵌った『地の指輪』 リング・オブ・アースを左手でさすりながら説明する。指輪を見るその表情は微妙だ。


「どういうことです?

 《地の精霊アース・エレメンタル》様はその指輪の持ち主に従属するものではないのですか!?」


 セプティミウスは怪訝な表情を浮かべた。

 魔導具マジック・アイテムでは定番の精霊エレメンタルの宿った指輪…それを嵌めた者は指輪に宿る精霊エレメンタルの力を自在に使うことが出来る。それは彼らが親しんだ御伽話おとぎばなしでの定番の設定だった。だからルクレティアもセプティミウスも、指輪に宿っている《地の精霊アース・エレメンタル》は無条件にルクレティアに従属しているものと思い込んでいたのだ。

 ルクレティアは首を振ってからセプティミウスの方を見た。


「この『地の指輪』リング・オブ・アースは《地の精霊アース・エレメンタル》様との意思疎通を援ける物なのだそうです。そして、この指輪を通して《地の精霊アース・エレメンタル》様に魔力を捧げ、 《地の精霊アース・エレメンタル》様の援けを得て地属性魔法を発動する…そういう魔導具マジック・アイテムです。

 特定の《地の精霊アース・エレメンタル》様を宿らせる物ではなく…」


「では、その《地の精霊アース・エレメンタル》様は?」


「はい、先ほども申しましたように、リュウイチ様の《地の精霊アース・エレメンタル》です。

 リュウイチ様より、この指輪を仮のしろとし、私の傍にあって私を助けるようにと、仰せつかっておられるそうです。

 ですから、私の願いを聞いてくださいますが、私に従っているわけではなかったのです。」


 この事実を《地の精霊アース・エレメンタル》から聞いたルクレティアの気持ちは複雑だった。自分の《地の精霊アース・エレメンタル》だと思っていたのにそうではなかった…それはルクレティアを少なからず失望させた。だがそれは同時にリュウイチからそれだけ守られている、特別扱いされているという事実を示すものでもあった。そしてルクレティアは同時に、自分が子ども扱いされているような気持にもなっていた。


「つまり、ルクレティア様はお命じにならなくとも、《地の精霊アース・エレメンタル》様がルクレティア様を守るために必要と思召おぼしめされれば、このように?」


 ルクレティアの物悲し気な表情からウソをついているわけではないこと、そしてルクレティア本人も残念に思っていることを察しながらも、確認のためにあえて問いかけるセプティミウスに、ルクレティアは無言のまま頷いた。


「ふぅ~む」


 セプティミウスはため息をついて天井を仰いだ。まさかこんなところに思わぬ不確定要素があったとは…。ルクレティアの説明が真実なら…もちろん真実だろうが…《地の精霊アース・エレメンタル》は状況次第では暴走しかねない危険をはらんでいることになる。しかも、リュウイチに直接従属しているということは、この《地の精霊アース・エレメンタル》はリュウイチ本人の分身のようなものだ。おそらく、ルクレティアでは制御できないほどの強大な力を持っている事だろう。そんなものが暴走し始めたら、彼らにそれを抑える術などありはしない。

 セプティミウスは天井を見上げたまま額を揉み、フンッと鼻を鳴らして気持ちを切り替えると改めてルクレティアの方を見た。


「わかりました。まあ、その…それは、もうどうしようもありません。

 ですが、その、動くのであればなるべく事前にお話しいただきたいものですな。我々にも都合がありますし、一応ルクレティア様の身辺を御守りするという任務は我々も等しくするものです。ご協力いただけるのならそれに越したことはありません。」


「分かっております。

 そのことは、私の方からも《地の精霊アース・エレメンタル》様にお願い申し上げました。」

 

 セプティミウスはクロエリアが差し出した茶碗ポクルムを受け取ると、熱い香茶をズズっと一口啜った。


「では、裏手の敵をどう追い払ったのか、どういう敵だったのかお教えいただけますかな?」


「はい」


 ルクレティアはそう言うと椅子から立ち上がり、テーブルに広げられていた地図を指で指示して説明を始めた。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様がおっしゃられるには、この裏手に残っている堀…ここを沼に変えたのだそうです。」


「沼!?」


 あまりにも突拍子もない話にセプティミウスは目を丸くした。


「はい、そして低位のモンスターを召喚して放っておいたのだとか…」


「低位のモンスターを!?」


「ええ、今回直接敵と対したのは沼スライムスワンプ・スライム足枷蔓ファダー・ヴァイン鬼火ウィル・オ・ザ・ウィスプだそうです。他にも川棲馬ケルピー水妖ノッケン川棲魔獣アーヴァンクなどを御用意されたとか…」


「そんなものを…」


 沼スライムスワンプ・スライム足枷蔓ファダー・ヴァインは割と珍しくも無いモンスターではある。脅威度の高いモンスターは大戦争以前にゲイマーガメルたちによって狩りつくされ、多くが絶滅させられてしまった歴史がある。しかし、スライムなどの脅威度の低い弱小モンスターたちは多くが生き残っていた。弱すぎてゲイマーガメルたちが興味を示さなかったからだ。

 そのためルクレティアが口にしたモンスターの内、沼スライムスワンプ・スライム足枷蔓ファダー・ヴァイン以外はほぼ伝説上の存在である。ウィル・オ・ザ・ウィスプは自然発生した個体の目撃事例が報告されているが、川棲馬ケルピー水妖ノッケンは長らく目撃情報が無く、絶滅したと思われている。限られた地域で川棲魔獣アーヴァンクは生息しているらしいが、アルビオンニアでの目撃情報はない。


「それで、賊に当たったモンスターたちはだいたいたおされてしまったらしいんですけど、でも賊はかなり混乱していたんだそうです。」


 そりゃそうだろうな…セプティミウスは呆れ顔でため息をついた。


「それで、それでもあきらめずにここへ乗り込もうとしたらしくて…」


「モンスターを退けたというのなら、当然でしょうな。」


 スライムや足枷蔓ファダー・ヴァインは大した強くも無いモンスターだ。兵どころかそこらの農民でも、畑に出てきた蛇を退治するくらいの感覚で対処できてしまう。いるはずの無いモンスターが現れて驚きはしただろうが、目的を放棄するほどのものではないだろう…いや、そういえば鬼火ウィル・オ・ザ・ウィスプもぶつけたんだったか?

 セプティミウスが気分を落ち着かせるために香茶を啜ると、ルクレティアは言いづらそうに続ける。


「それで、最後は魔法で追い払ったそうです。」


「魔法で!?」


 思わず手に取った茶碗ポクルムを叩きつけるようにテーブルに置き、セプティミウスは身を乗り出した。賊がぶつかったというモンスターはいずれもこの世界ヴァーチャリアでは珍しくも無いか、珍しくはあっても一応自然発生するものだ。だから知らぬ存ぜぬを通すことが出来るだろう。

 だが、魔法となると話は変わってくる。もし賊が魔法を目の当たりにし、それをどこかで吹聴されでもしたら、思わぬところからリュウイチの降臨はルクレティアが聖女サクルムになったことがバレてしまうかもしれない。


「はい、その、『石礫』ストーン・フォールという、石を飛ばしてぶつける魔法だそうで…遠くから飛ばしたから、魔法による攻撃だとは思わなかったはずだと…」


「む、むぅ…」


 どうやら、魔法を使うとしてもなるべく目立たないように配慮をしてもらえているということなのだろうか?少なくとも、魔法の使い手がここにいると知られてしまう危険性は心配するほどはなさそうだ。


「そ、それでは、その《地の精霊アース・エレメンタル》様が追い払われた敵はどういう者だったのでしょうか?」


「人数は、どうやら十人もいなかったようです。ヒトと、あとハーフエルフが混ざっていたとか…」


「ハーフエルフ!?」


 セプティミウスは目を剥いて驚き、思わず立ち上がった。

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