第384話 想定外の被害

統一歴九十九年五月五日、未明 - ブルグトアドルフ宿駅マンシオー/アルビオンニウム



「では正面の警戒と死傷者の回収は警察消防隊ウィギレスに任せ、重装歩兵ホプロマクスは大至急ブルグトアドルフへ向かわせろ。

 《地の精霊アース・エレメンタル》様のお告げどおり、二個百人隊ケントゥリア相当の盗賊が待ち伏せをしているとなると、向かわせた騎兵エクィテスだけでは足らなくなる。」


 正面の敵を撃破した重装歩兵ホプロマクスが死傷者を回収しながら帰還中との報告を受けた軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスは地図に目を向けたまま命じると頭を抱えた。


 いったい何をやってるんだ…


 重装歩兵ホプロマクスの任務は正面で待ち構えている、おそらくブルグトアドルフへ向かう増援の足止めを目論んでいる盗賊たちを攻撃し、マールクス・アヴァロニウス・ガルバ率いる騎兵隊エクィテスの出撃を支援することだった。盗賊を追い払うことでも撃滅することでもない。

 ほんの二~三斉射せいしゃ行って賊どもをひるませたあと、重装歩兵ホプロマクス自身もブルグトアドルフへ向かわなければならない筈だったのだ。ところがブルグトアドルフへ向かうどころか逃げ散る賊共を追撃し始めてしまった。盗賊たちのあまりの逃げっぷりの良さが原因である。


 敵を一撃してひるませ、ブルグトアドルフへ向かう…そのことは百人隊長ケントゥリオにはもちろん説明してあった。だが、一撃してひるませるためにはそれなりのダメージを与えなければ、すぐに反転して攻撃してくる。そうすればブルグトアドルフへ向かう途中で、あるいは到着後に背後から奇襲を受けるかもしれない。百人隊長ケントゥリオはそれを恐れた。そして、盗賊たちがあまりにもあっけなく逃げたのを、あとで反転攻撃するための戦力温存策だと思い込んでしまったのだ。

 一個百人隊ケントゥリアに相当する戦力を抱えながら、ろくに被害を受けていない筈なのに反撃らしい反撃もせずに雲を霞と逃げ散ったのである。現場でそれを見ていた百人隊長ケントゥリオは盗賊たちが本気で逃げたとは信じられなかった。結果、百人隊長ケントゥリオは追撃を命じてしまう。


 愚策だった。

 森林は重装歩兵ホプロマクスが苦手とする地形である。しかも夜中で、土地勘もありはしない。盗賊たちは完全に恐慌状態パニックに陥って逃げに徹してくれたので被害は無かったが、もし盗賊たちが統率を回復して反撃に転じていたら大損害を被っていたかもしれない。

 だがそうはならなかった。重装歩兵ホプロマクスたちは逃げ去った盗賊たちを追いかけ、自らも森林の中へ散ってしまったのである。


 百人隊長ケントゥリオは部下たちが森の中へ突入し、あまりにも勢いよく逃げる盗賊たちに引き寄せられるように消えていくのを見てようやく自分の判断ミスに気付いたが、その時にはもう遅かった。

 再集結を命じるが信号弾を打ち上げても森の中からでは見えないし、あまりにも広い範囲に散った重装歩兵ホプロマクスたちには命令も届かない。伝令を走らせようにももう誰がどこに居るのか分からない状態になってしまったのだ。

 おかげでブルグトアドルフへ即座に向かわせるはずだった重装歩兵ホプロマクス百人隊ケントゥリアが一個丸々、半時間ちかくも遊兵化してしまっている。ブルグトアドルフは一刻を争う事態だと言うのにだ。


「まったく…誰か、香茶を頼む」


 頭を切り替えるべきだと気づき、セプティミウスは従兵にお茶を催促する。従兵が湯気の立ち昇る茶碗ポクルムを持ってくるのと、宿駅マンシオー車回しロータリーに設置したへ臨時の指揮所に新たな伝令が飛び込んできたのはほぼ同じようなタイミングの事だった。

 正門ポルタに飛び込んできた馬には騎兵エクェスの他に軽装歩兵ウェリテスが一人乗っていた。何事かと驚き、セプティミウスは椅子から立ち上がる。


「伝令!伝令!!」


 軽装歩兵ウェリテスはそう叫びながらおぼつかない調子で馬から降りると、セプティミウスの方へ駆け寄ってくる。


「何事か!?」


「伝令!!…ハァハァ、じ、自分は、カウデクスセルウィウス配下の連絡将校テッセラリウスストリウスです。報告します!」


 セルウィウスが寄こした伝令となると、持ってきた情報は今セプティミウスが関心を寄せている最大の懸念、ブルグトアドルフの情勢に違いない。周囲にいた者たちも含め一斉にストリウスに注目する。


「おう、どうなっておる!?」


「ハッ!

 ブルグトアドルフの賊は一掃しました!!」


 周囲から「おお~」という歓声が沸き起こる。セプティミウス自身も頬が緩むのを禁じ得なかった。だが続けて発せられた報告は彼らの歓心を帳消しにするには十分だった。


「されど!

 被害甚大!

 負傷者多数!!」


「何だと!?」


警察消防隊ウィギレスはほぼ壊滅、ツヴァイクシュテファン殿も消息不明!

 住民たちの犠牲も大きく、死傷者はおそらく百人近いかと…」


 セプティミウスの顔から血の気が引き始めた。


軽装歩兵ウェリテスは!?軽装歩兵ウェリテスの被害はどうなっておる?」


「ハッ!…自分が把握している限りでは、軽傷者が数名程度かと…」


 セプティミウスはふぅ~っと息を吐きながらドスンとよろける様に椅子に腰を降ろし、頭を抱える。


「それで、カウデクスセルウィウス隊長が…」


 ストリウスの一言にセプティミウスは自分が一人の世界に入り込みかけていたことに気付き、現実に引き戻された。バッと顔をあげストリウスの方を見る。


「そうだ、カウデクスセルウィウスは何と!?」


「ハッ、負傷者が多すぎて手が回りませぬ故、大至急救援を求むと…」


「う、うぅ~む…」


 セプティミウスは渋面を作って呻った。

 もちろん応援は派遣したい、派遣したいが派遣予定だった重装歩兵ホプロマクス一個百人隊ケントゥリアは今現在森に散ってしまって再集結に手間取っている状態だ。まさか、今宿駅マンシオーに残っている最後の百人隊ケントゥリアを派遣してここをもぬけの殻にするわけにもいかない。ここには守るべき要人とその従者たちがいて、背後の森には少数ながら賊が潜んでいるという情報もある。


「わかった、準備が整い次第派遣する。

 だが、今派遣予定だった百人隊ケントゥリアは出撃中でまだ戻って来ておらん。しばらく待ってもらうほかない。

 引き続き、このまま負傷者の救助と保護に当たれと伝えよ。」


 セプティミウスの下した結論は現状維持だった。彼としては他に何もできないのだからしょうがない。だが、現地でこの世の地獄ともいえる状況を見てきたストリウスからすれば手ブラで帰るわけにはいかなかった。


「せめて、怪我人たちをこちらに収容できませんか?

 今のままでは「ならん!」」


 セプティミウスはストリウスの提案を遮った。


「ここはここでまだ周囲に賊が潜んでおる。

 ここも安全というわけではない。」


「ですが、ここならまだ怪我人の手当てに当たれる人手があります。

 危険なのは向こうも同じ、ならせめて「いやっ!」」


 セプティミウスはやはり最後まで言わせなかった。

 ストリウスの言いたいことは分かる。被害に遭った住民や警察消防隊ウィギレスを助けることを考えればストリウスの言っていることは正しい。間違っていない。

 だが、彼の提案どおり住民を招き入れればどうなるか?

 セプティミウスが最優先しなければならないのはルクレティアの警護だ。住民の保護はで協力しているにすぎない。優先順位を覆すわけにはいかないのだ。

 ここで住民を宿駅マンシオーに招き入れればルクレティアの警護に様々な問題を生じる。守りにくくなる。ルクレティアをはじめ使用人たちは総出で怪我人の手当てを始めてしまうだろう。万が一、その時に盗賊が反転して攻勢をしかけてくれば怪我人は邪魔になるし、ルクレティアや使用人たちの保護もしにくくなる。それに盗賊は大胆不敵にも住民に偽装してセプティミウスたちを騙したばかりではないか…また住民に化けて内部に潜り込んでこないとも限らない。シュテファンの安否も不明となった今、押し寄せてくる住民たちが本物かどうか見極める手段など何一つないのだ。


「それは、ダメだ…忘れるな。我々には任務があることを。」


 しかし、却下の理由をあからさまに言うことは出来ない。周囲にいる軍団兵レギオナリウスたちは全員が平民プレブスなのだ。ルクレティアを守らねばならないから住民を見捨てるなどとハッキリ言えば、ルクレティアの立場を悪くするし平民プレブス上級貴族パトリキの階級間のひずみを生み出す事にもなってしまう。


「!…で、ですがそれでは住民たちは…」


「そうだな…ポーションは放出する。包帯もだ。

 だが、それ以上は…「報告します!」」


 セプティミウスが言葉選びに苦心しているところで、ルクレティアの下へ送った連絡将校テッセラリウスが返ってきた。

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