ブルグトアドルフの被害

第383話 戦況報告

統一歴九十九年五月五日、未明 - ブルグトアドルフ宿駅/アルビオンニウム



 ブルグトアドルフ宿駅マンシオー・ブルグトアドルフィはかつてのブルグスだった施設を解体して宿駅マンシオーに作り変えられたものではあったが、解体に手間がかかりそうな構造物や宿駅マンシオーに流用できそうな建物は残され、最小限の改装を施してそのまま使われている。ここ、貴人用宿舎プラエトーリウムはその最たるもので、ブルグスだった頃の司令部プリンキピアの内装をわずかに整えた以外はブルグス時代のまま今も使われていた。

 今、ルクレティアたちが控えている大広間プラエトーリウムはここがかつてブルグスだった頃は中央作戦会議室プリンキパリス・ロクス・コロッキオとして使われていた部屋であり、現在まさに建築当初の目的通りの使われ方をしている。


 とはいっても護衛隊長のセルウィウス・カウデクスはもちろん、今回の戦闘の総指揮を執っている軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムのセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスさえもここには居ない。室内にいる男女のほとんどは軍人でも何でもない、ルクレティアやセプティミウスの供回りの使用人たちばかりであり、軍人は彼らを身辺警護を命じられた数名の重装歩兵ホプロマクスだけである。警護対象は建物内に分散されているよりも一か所にまとまってくれていた方が守りやすい…それだけの理由でこの建物で一番広いこの場所に集められていただけだった。

 ただ、それでも一応今回の旅の主役であるルクレティアを落ち着かせるため、定期的に伝令役を務める連絡将校テッセラリウスがやって来ては、ルクレティアの前に広げられた地図を指示さししめして逐一状況を説明していた。セプティミウスは要領の良い連絡将校テッセラリウスを選んでくれたようで、軍事には素人のルクレティアたちでも、彼の説明を聞くことで状況が次第に改善してきていることが理解でき、室内には徐々に安堵の空気が広がってきている。


「では、正面の賊は追い払えたのですね?」


 連絡将校テッセラリウスの説明を聞いたルクレティアが目の前に広げられた地図に落としていた視線を上げ、連絡将校テッセラリウスの顔へと向けて尋ねる。


「はい、賊は既に逃げ散っており残っていません。

 我が重装歩兵ホプロマクスは逃げる賊を追いかけましたが、賊は東の谷筋の向こうまで逃げてしまい、それ以上の追撃は却って危険と判断し撤収しました。

 今は死傷者の回収を行っております。」


 宿駅マンシオーの真向かいにある第三中継基地スタティオ・テルティア東側で行われた戦闘は一方的な展開で推移し、ごく短時間で終了していた。

 ルクレティアを通じて《地の精霊アース・エレメンタル》からより正確な敵の位置を把握した彼らは、最も敵が集中している北東方面の森に向けて一斉射撃を浴びせると同時に、十六発もの投擲爆弾グラナートゥムを一斉に投擲した。


 森林のような障害物の多い場所での爆弾の使用は威力がどうしても減じられてしまう傾向がある。だがハンマー投げの要領で運搬用のバッグごと木立の中へ向かって投げ込まれた投擲爆弾グラナートゥムは、投擲とうてきの際に振り回すのにも使われるバッグの肩紐が樹々の枝に引っかかるなどし、ある物は枝にぶら下がり、またある物は引っかかったことで落下が遅れたため、半数近い七発もの投擲爆弾グラナートゥムが理想的な空中爆発を起こした。

 本来、敵の銃撃を避けるには絶好の森林に隠れていたにもかかわらず、盗賊たちは頭上、あるいは頭や肩ぐらいの高さで爆発した投擲爆弾グラナートゥムの破片を浴びることとなったのである。


 その周辺には約五十人の盗賊が隠れていた。もっとも、広く散開さんかいしていたため実際に縦断や爆弾の破片が飛んでくる場所にいた盗賊は二十人もいない。最初の一斉射撃で被害を受けた者は一人もいなかったくらいだ。そして空中で爆発した投擲爆弾グラナートゥムは八人を死傷させた。実際の被害はその程度ではあったが、その被害がもたらした影響は甚大だった。


 北東方面に広く散開して布陣していた五十人の盗賊たちのど真ん中で爆発した十六発の投擲爆弾グラナートゥムは破片を飛び散らせるだけではなく、爆発音と大量の煙をまき散らした。その範囲に隠れていた盗賊はざっと二十名…実際に死傷したのは八名だが、それ以外の者たちは突然の音と爆風によるショックで感覚が麻痺したところを、煙によって視界まで奪われてしまう。煙で周囲が見えない上に一時的に聴覚が麻痺し、音も聞こえなくなってしまった彼らはパニックを起こした。怪我をしているしていないに拘わらず混乱し、恐怖に駆られて叫んだ。

 彼らの左右に布陣していた者たちもまた、状況を完全に見誤った。連続した爆発音と膨大かつ濃密な煙幕。そして悲鳴と絶叫…それにより、戦場という状況にまったく慣れていない彼らは煙で覆われた場所より向こう側にいる仲間全員がたったの一撃でやられてしまったと勘違いしてしまったのだ。


 五十人ちかく仲間が安全と思っていた森に隠れていたのにいきなり攻撃され、しかもたったの一撃で四十人近くやられてしまった!?


 そこへ追い打ちの様に撃ち込まれた一斉射撃の銃声は、銃弾が自分たちの方には飛んできていなかったにもかかわらず、被害を受けていなかった者たちの士気を完全に粉砕してしまった。盗賊たちは我先にと悲鳴を上げながら逃げ出してしまったのである。

 その後、重装歩兵ホプロマクスの戦列は四十人くらいが隠れているとされていた南東方面に向きを変えはじめたところで、南東に隠れていた盗賊から散発的な銃撃を受けたが、被害らしい被害はまったく受けなかった。短小銃マスケートゥムの扱いに不慣れな素人が、闇夜に慌ててぶっ放したところで命中なんか期待できるわけがない。重装歩兵ホプロマクスの方向転換が完了したころには銃撃はほぼ止んでおり、まだ一撃も受けていないにもかかわらず盗賊たちは算を乱して逃げ出してしまっていた。


 所要時間は五分もかかっていただろうか?

 戦列歩兵戦術が主流のこの世界ヴァーチャリアでの戦闘としては異例ともいえるほど短い時間で決着はついてしまった。追撃戦は行われたが、さすがに逃げに徹した盗賊は速く、重装備の重装歩兵ホプロマクスの足では負いきれなかった。戦果は投擲爆弾グラナートゥムで死傷した八名と、逃げる途中で転んで足をくじくなどした不運な盗賊たち四名ほどに留まっている。


 重装歩兵ホプロマクスたちは土地勘の全くない森での深追いを避け、今は連絡将校テッセラリウスが報告した通り死傷者の捜索と回収に専念している…わけではなかった。森林に散ってしまった重装歩兵ホプロマクスたちには撤収命令が届かず、届いても帰り道がわからず、再集結に苦労している。本当はブルグトアドルフにすぐに増援として向かわねばならないのだが、味方部隊が混乱していると報告してルクレティアたちを不安にさせないため、連絡将校テッセラリウスは死傷者の回収と言うもっともらしいウソをついていた。

 この世界ヴァーチャリアでは死体を放置するとゾンビ化する恐れがあり、戦闘後の死体の処理はかなり徹底して行わなければならないため、それなりに説得力のあるウソではあった。もっとも、死体捜索は夜が明けてからでも十分であり、今あえて急いで死傷者を回収しなければならない理由などない。


「では、ブルグトアドルフの状況はどうなっていますか?」


「そちらはまだ何とも、ですが我が騎兵隊エクィテスが向かっており、今頃はブルグトアドルフに到着しておるはずです。

 状況は間もなく明らかになるでしょう。」


 おそらく盗賊たちが罠を張っていたであろうブルグトアドルフの町、そこへ救援に向かったシュテファン・ツヴァイク率いる警察消防隊ウィギレスとセルウィウスの軽装歩兵ウェリテスたちに罠の危険性を報せ、必要とあらば支援することを命ぜられたマールクス・アヴァロニウス・ガルバの騎兵隊エクィテスは、重装歩兵ホプロマクスによる攻撃開始にタイミングを合わせる形で宿駅マンシオーから飛び出して行っていた。重装歩兵ホプロマクスによる攻撃は盗賊たちの注目を引き付け、マールクスたちの出撃を支援する必要から実行に移されたものだった。


「ブルグトアドルフの状況次第ではありますが、周辺の賊はおおむね撃退できたものとアヴァロニウス・レピドゥスセプティミウス様はお考えです。

 ですが、裏手に潜んでいるという少人数の動静が未だはっきりしません。どうかご油断召されませぬよう、今しばらくこのままお待ちください。」


 連絡将校テッセラリウスはルクレティアたちの不安を和らげるのが仕事ではあったが、かといって気分が弛緩して油断が生じては警備に支障が出る。室内でルクレティアたちと共に待機している使用人たちの緊張感が必要以上に緩まないよう、注意喚起をするのを忘れなかった。

 セプティミウスは手元に残っている重装歩兵ホプロマクス二個百人隊ケントゥリアのうち、一個を正面に潜んでいる盗賊撃退に当て、残り一個のうち二個十人隊コントゥベルニウムにルクレティアらの直掩を命じた。そして残り八個十人隊コントゥベルニウムの半数を予備戦力として保持し、四個十人隊コントゥベルニウムに裏からの侵入に備えて宿駅マンシオー内各所に潜ませている。どこから誰が侵入しても、どれかの十人隊コントゥベルニウムが気づいて対処できるはずだった。


 その防衛体制について既に説明は受けていたが、戦況が収束に向かいつつある今になってもまだ裏手からの侵入者は現れていない。ルクレティアは自然と、そばにはべる《地の精霊アース・エレメンタル》へ視線を向けた。裏の森に少人数の“敵”が潜んでいると教えてくれたのは《地の精霊アース・エレメンタル》だったからだ。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様…」


 ルクレティアが呼びかけると、《地の精霊アース・エレメンタル》は「何だ?」と言う風にルクレティアの方を振り返る。


「《地の精霊アース・エレメンタル》様、どうかお教えください。

 裏に潜んでいた賊は今どのような様子でしょうか?」


 ルクレティアが《地の精霊アース・エレメンタル》に問いかけると、その答えにはやはり興味があるのだろう、連絡将校テッセラリウスを含め周囲にいる全員がルクレティアと《地の精霊アース・エレメンタル》に注目する。

 だが、《地の精霊アース・エレメンタル》の答えは意外なものだった。


『わからん』


「わから…ない?」


 困惑しているルクレティアの様子に、《地の精霊アース・エレメンタル》の念話を聞き取ることの出来ない周囲の者たちは状況がつかめず、互いに顔を見合わせる。


『ここへ来ようとしたが、ワシが用意した罠にかかって逃げ帰った。

 もう遠くへ行ってしまったから、今どうしているのかわからん。』


「えっと…」


『使い魔を使えば探せるが?』


「いえ、そこまでしていただく必要はございません。

 ですが、恐れ入ります。罠とはいったい?」


『連中のいた森とここの間に沼を作り出し、低位のモンスターを召喚した。』


「モンスター!?」


 ルクレティアが目を丸くして驚くと、室内に「モンスターとは何事だ?」とざわめきが起る。


沼スライムスワンプ・スライム足枷蔓ファダー・ヴァイン鬼火ウィル・オ・ザ・ウィスプなどだ…

 しつこいから最後は石礫ストーン・フォールで追い払った。』

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