第1413話 バレる隠し事

統一歴九十九年五月十二日・午後 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



『出てくるわよ』


 待つのも飽きて来た。やっぱり来るんじゃなかった。そんな風に後悔と退屈とを持て余していたゴルディアヌスの頭にトルキラの声が響き、部屋の中が何やらガヤガヤ騒がしくなったと思った直後に扉が開かれた。開かれた扉からネロが現れ、ゴルディアヌスを見つけると渋面を作る。


 ネロオメェなんかに用はねぇよ……


 ゴルディアヌスも一瞬渋面を作りかけたが、ネロに先導されてリュウイチとリュキスカが姿を現すとゴルディアヌスはすかさずリュウイチに駆け寄り、横に並んで歩きはじめる。


「お疲れ様で旦那様ドミヌス!」


『ゴルディアヌスか』


 いきなり擦り寄ってきたゴルディアヌスにリュウイチは怪訝な表情を見せる。ゴルディアヌスがリュウイチに寄ってくる時は大抵が遊びたい時だ。リュウイチの記憶にある限り、ゴルディアヌスが真面目な用事で自分から寄ってきたためしは無い。


『なんでフードなんか被ってるの?』


 屋内なのに『冒険者のマントサガム』のフードを被ったままのホブゴブリンはいかにも怪しい。


「えっ!? ああいや、コイツぁちょっと、外ぁ雨が降ってたもんで」


『今は屋内なんだから被る必要ないだろう。

 というか、頭に何か隠してんの、やけに盛り上がってるけど?』


 ゴルディアヌスはギクッとしてフードを両手で抑えた。もちろん、中のトルキラがつぶれないように気を付けてだが……


「いや、そんな、気のせいですよ?」


「ゴルディアヌス、ここには他の貴族ノビリタスの目もあるんだ。

 そんな中でお前だけフードを被ってたら変に目立つ!

 旦那様ドミヌスに恥をかかせる気か!?」


 リュウイチを先導するネロが見かねたのか、振り返りもせずに叱ってきた。ゴルディアヌスはネロに反発を覚えたが、しかし下手に反論も出来ない。さすがのゴルディアヌスもこんなところでネロと喧嘩をおっぱじめるわけにはいかない事ぐらいは理解していた。


 不味いぜ、トルキラ様ンことがバレちまう……


 ゴルディアヌスのフードに隠れたトルキラは小鳥の姿をした妖精であり、リュウイチにも内緒で《風の精霊ウインド・エレメンタル》が貸してくれた眷属だ。エルネスティーネの次女エルゼが、先週の日曜礼拝で起きたような騒ぎが再び起こるのではないかと不安がるので、その監視のために働いてもらっていたのだ。陣営本部プリンキピアに入る前にいったん外へ放してしまえばよかったのだが、裏口を警備していた兵士がゴルディアヌスに気を利かせて扉を開いてしまったこともあってトルキラを放すタイミングを逸してしまい、今の今までフードの中に隠し続けることになってしまったのだった。さすがに陣営本部の廊下で鳥を放すわけにはいかない。大騒ぎになるだろうことは目に見えている。それが只の小鳥ではなく妖精だと気づかれれば、《風の精霊》の力を勝手に借りたゴルディアヌスは何かの罰を受けることになるかもしれない。

 ゴルディアヌスとトルキラの窮地きゅうちを悟った《風の精霊》の念話がゴルディアヌスの頭に響く。


『トルキラ、短時間なら姿を消せるでしょう?

 今は未だゴルディアヌスの隣におわす尊い御方にお前の存在を気づかれるわけにはまいりません。

 ゴルディアヌスがフードを取ったら姿を風に替え、誰にも見られないようにこの場を離れなさい』


 どうやら《風の精霊》はゴルディアヌスとトルキラにだけ聞こえるように念話で話しているようだ。直後にトルキラの抗議の声が聞こえる。


『主様! 私もこの得難い機会に尊い御方に御挨拶申し上げたく存じます!』


 精霊エレメンタルや妖精といった霊的存在には人間社会のような礼儀作法は存在しない。純粋に力による上下関係があるだけだ。そして下位の者は上位にの者に崇敬の念を抱くのが当然であり、それを現さないのはむしろ無礼に当たる。下位すぎて目通りできないというような、人間の階級社会にはありがちなことが無い以上、トルキラの抗議は至極真っ当と言えた。


『いけません。

 いずれお前が目通りする機会は必ず作りますから、今は大人しく隠れなさい』


 《風の精霊》の叱責にトルキラの不満そうな気持が伝わって来る。ゴルディアヌスとしては思わず同情したくなるが、《風の精霊》の言っていることも事実。この件を知っているオトや、リュウイチとリュキスカぐらいなら目をつむってくれそうな気はするが、ネロや他の貴族たちの目があるところではさすがにマズイ。


『け、けど姿を消しても見つかっちまうんじゃねぇんですかぃ?

 相手は旦那様ドミヌスだぜ!?』


 脱げと言われてもフードを取らないゴルディアヌスに苛立ったネロが少し振り向き、抑えた声でゴルディアヌスを急かす。


「ゴルディアヌス、早くしろ!

 階段降りたら外の人間の目に触れるかもしれないんだぞ!?」


 先導のネロはもう階段を降りはじめていたし、リュウイチもゴルディアヌスも階段に差し掛かったところだった。二階はまだリュウイチの存在と降臨について知らされている者しかいないが、一階はそうでもない。階段周辺は一応人払いされているはずだが、中央のホールまでは人払いされていなかったしそこからならリュウイチたちがこれから降りようとしている階段まで視線が通る。チラリと隣を見上げると、リュウイチが怪訝そうな表情でゴルディアヌスを見下ろしていた。


「わ、わかったよ!」


『《風の精霊ウインド・エレメンタル》様、トルキラ様ぁ、フードは取らずにサガムごと脱ぐから、バレねぇようにおとなしくしててくれ』


 ネロに声を出して答えながらトルキラと《風の精霊》に念話で言うと、ゴルディアヌスはフードの中のトルキラの存在がバレないように、ゆっくりと『冒険者のマントサガム』を脱ぐと、フードの中のトルキラを包み込むように丸めて小脇に優しく抱えた。


 ネロは階段の踊り場で折り返す際にチラリとゴルディアヌスがサガムを脱いでいるのを確認すると「最初からそうしてりゃよかったのに」と誰にも聞こえない小声でつぶやいた。

 一行は何事も無いようにそのままネロに先導されて司令部プリンキピア裏口ポスティクムへ進み、全員がそこで改めて外套を纏いなおす。外はまだ雨が降っているから、陣営本部プリンキパーリスにたどり着くまでの間に濡れないようにするためだ。

 全員が雨に濡れる裏通りを進んでいると、ゴルディアヌスの頭に念話が届く。


『ゴルディアヌス、さっきのトルキラって誰のことか、あとで教えてくれる?』


「えっ!?」


 ゴルディアヌスは驚いて思わず声を上げた。その声に全員が驚き、ゴルディアヌスに注目する。


「何だゴルディアヌス、いきなり声を上げて?」


 振り返ったネロがゴルディアヌスをいぶかしむ。さっきの念話はリュウイチの声だった。だが、リュウイチは声には出さずに念話だけでゴルディアヌスに話しかけていたから、他の誰にも聞こえていなかったのだ。


「あ、いやぁ~、その……な、何でも、ねえよ」


 事情が分からないまま誤魔化そうとするゴルディアヌスの頭の中に、今度は《風の精霊》が話しかけて来た。


『ゴルディアヌス……アナタの念話は聞く人を特定できていませんでした。

 つまり、主様にも聞かれていたのです』


「何でも無いならさぁ、とっとと帰ろうよぅ」


 念話が聞こえてないらしいリュキスカがネロに進むように促し、ネロが「申し訳ありません奥方様ドミナ」と謝って再び進み始める。一行が前進を再開したのに愕然としたまま路上に取り残されたゴルディアヌスに再びリュウイチの念話が届いた。


『《風の精霊ウインド・エレメンタル》、君にも後で話を聞くからね?』


『承知しました』


 立ち尽くすゴルディアヌスの横を通り過ぎるオトが残念そうな顔でゴルディアヌスの方を見ていたことに、ゴルディアヌスは気づけなかった。

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