第519話 『魔力隠しの指輪』
統一歴九十九年五月七日、午前 - アルビオンニア市街地/アルビオンニウム
カエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子は馬車が
カエソーとメークミーをアルトリウシアまで運ぶ馬車はセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスから借りたのだが、どうも座り心地が良くない。
しかし、その対面…今メークミーが座っている方の座席は車両進行方向に背を向けて後ろ向きに座る席なのでそもそも人が座る頻度が高くないのだろう、座面のクッションには何の癖もついておらず、メークミーは座り心地に何の違和も感じていない。強いて言うなら、こんな世界の外れとも言える辺境なのに、馬車の乗り心地が意外に良いことに驚いていたくらいだ。
「しかし、今更ですが本当に良かったのですか?」
車窓の向こうの、
「何がですかな?」
「私の立場でこういうことを言うのもなんですが、ヴァナディーズの方をアルトリウシア経由でサウマンディウムへ移送し、閣下と私が船でサウマンディウムへ向かった方が良かったのではありませんか?」
自分がカエソーの立場ならそうする…メークミーはそう言いたいようだ。
メークミーのようにムセイオンで育てられた
そういう意識を持たせるのは彼らの能力を世界のため、社会のために存分に発揮してもらい、不届きなことにその力を使わなせないよう、各自に責任感を持たせることを目的とした、ムセイオンでは当たり前に行われている教育の成果だった。メークミーもまたそうした教育を施された一人であり、そのように自覚もしているし自負もある。
自分たち聖貴族は特別重要な存在なのだ。
そういう自覚のあるメークミーからすると、ヴァナディーズをサウマンディウムへ送りながら自分を後回しにする理由がわからない。『勇者団』は暗殺と救出という目的こそ違えど、ヴァナディーズとメークミーの二人を狙っているはずだ。とすれば、カエソーらからすればヴァナディーズとメークミーを守らねばならない。
船を一隻しか用意できず、しかも二人を同乗させることができないのであれば、より重要な方を先に送るのが妥当だろう。海を渡ってしまえば『勇者団』の手は届かなくなるが、後回しにされる方は『勇者団』が手を伸ばしてくる可能性が高いからだ。
もちろん、メークミーとしてはサウマンディウムへなど送られたくはない。『勇者団』の下へ戻りたいと思っていたし、ルクレティアにも興味を抱いており、できれば近くに居たいと思っていたからだ。
「何故、そう思われるのかは分かっているつもりです…」
カエソーはまさか会議の席で勢いでそう決めてしまったとは言えず、何とかごまかせないかと思案を巡らせた。
「と、おっしゃるからには、何か理由があってこのような?」
「もちろんです。
おそらく、直接海峡を渡った方が、こうして遠回りしてアルトリウシアから船に乗るよりも安全だとお思いなのでしょう?」
「安全?…ええ、まあ閣下のお立場からすれば安全という表現が正しいのでしょうな。」
カエソーからすれば『勇者団』に襲われて捕虜を奪われることはリスクであろうから、危機管理という観点からすればどちらがより安全かが選択の基準となる。しかし、メークミーからすればそれは救出を意味するのだから、『勇者団』襲撃の可能性はリスクではないし、「安全」という言葉で評価すべき事柄ではなくなる。メークミーはそこに違和を覚えたわけだが、カエソーはメークミーが浮かべた疑問符に言い訳のヒントを見出した。
「いえ、サンドウィッチ様にとっての安全を考慮したうえでの判断ですとも。」
「私の?」
いったい何を言い出すのだ?…メークミーの顔には驚きがありありと浮かんでいる。
「ええ、ここから船でまっすぐサウマンディウムまで渡れば、船で半日といったところでしょう。
ですが、アルビオン海峡は世界有数の海の難所です。
海峡の真ん中には絶えず渦が巻き、それに巻き込まれれば如何な大船とて無事では済みません。」
「つまり、船で渡ると海難の危険があるという事ですか?」
「ええ、その通り。
できれば、そのような危険は避けたいのです。
陸路なら沈む心配はない。」
我ながら良い理由を見つけた…カエソーは意外そうにしているメークミーに満足気にニコッと微笑みかける。
「しかし、アルトリウシアから船で渡るとしても、サウマンディウムへ行くには結局海峡を通るのでしょう?
同じことではないのですか?」
「いやいや、そんなことはありませんよ。
アルビオン海峡の渦は海峡の中心部分に発生します。だからアルビオンニウムからサウマンディウムへ直行しようとすれば、どうしたって渦巻く海峡中央を突破しなければならない。
ですが、アルトリウシアからなら海峡の入口から陸地に沿って航行すれば、海峡の渦を避けてサウマンディウムへたどり着くことができるのです。」
すまし顔で説明するカエソーにメークミーはなるほどとうなずいた。そういう事もあるのだろうと…実際、カエソーの説明にウソは無い。アルビオンニウム~サウマンディウム間よりも、アルトリウシア~サウマンディウム間のコースの方が安全なのは確かだった。
しかし、他所から来た船乗りならともかく、地元の船乗りにとってアルビオン海峡横断は絶対に避けねばならないほどの危険ではない。まして、サウマンディウムにはサウマンディア海軍の中でもベテラン船長が集中的に配置されており、ヴァナディーズを乗せた船の船長も決して素人ではなかった。
だが、他所から来て土地勘がなく、しかもムセイオンの中で箱入り状態で育ったメークミーはカエソーの言う事をそのまま信じてしまった。敵対していたはずの自分の安全に気を遣っていてもらえていたことに、メークミーは心を揺さぶられてしまう。
「なるほど…
ああ、まさか私の身を案じての判断だったとは思いませんでした。
これは、感謝申し上げねばなりませんな。」
「いえいえ、私自身の身の安全も考えてのことでありますから…
そうだ、お預かりしている
カエソーは丁度いいタイミングだと判断し、脇に置いておいた木箱を取り出す。
「私の魔道具…何でしょうか?」
「ええ、流石に武装はお返しすることはできませんが、これはどうやらお返ししても問題ないと判断したしましたので…」
カエソーが木箱から取り出したのは指輪だった。
「おお、まさか…本当に!?」
「ええ、その代わり、これからサウマンディウムへ着くまでの間、ムセイオンとは無関係な一般人としてふるまっていただきますが、よろしいですね?」
そう言いながらカエソーが差し出した指輪を、メークミーは大事そうに両手で受け取った。
「ああ、はいっ!もちろんですとも…それくらいは…ええ、どうせ今まで身分を隠していたのです。私としても、聖貴族がムセイオンを脱出したと騒がれたくはありませんから、協力しますとも!」
メークミーはカエソーの要請を快諾し、指輪をはめた。馬車は間もなくアルビオンニウムの市街地の中ほどを通り過ぎるところだった。
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