第518話 逃亡者

統一歴九十九年五月七日、午前 - アルビオンニウム市街地/アルビオンニウム



 火と煙と銃声に溢れた一昨夜が嘘のような静寂が支配する廃墟の中を、一人の男が西へ向かっていた。肌の黒い痩せぎすのその男は、肩にレーマ軍の短小銃マスケトーナを二丁担ぎ、三十数発の弾薬の入った肩掛けカバンを下げている。腰のベルトには使い慣れたナイフと、おそらくレーマ軍の短剣カッツバルゲル。短剣の方は慣れてないため納まりが悪く、歩くたびにブラブラ揺れて脚にぶつかって歩きにくいったらしょうがない。


 冗談じゃない、これ以上アイツらに付き合ってられるか…

 このままアイツ等と一緒に居たら、命がいくつあったって足りやしない。

 やっぱり俺は盗賊なんてがらじゃなかったんだ。

 大人しく、親方に従って炭を焼いてりゃよかったんだ。


 今更どうしようもない愚痴を頭の中でもてあそびながら西山地ヴェストリヒバーグを目指している。そこは土地勘があった。

 かつて彼は…今はエンテと名乗っている男は、フライターク山が噴火する前までは炭焼き職人として働いていた。山にこもり、木々を集めて適当な大きさに切りそろえ、一か所に積み上げる。その高さはそう、だいたい二ピルム半(約四・六メートル)ほどだろうか…結構な高さの山だ。その上から全体に土を被せ、積み上げた木に火を点けて蒸し焼きにして木炭を作る…それが彼の仕事だった。


 一度火を点けてから炭が出来上がるまで三~四日かかる。その間、土の間から湧き出て来る煙の様子を見ながら、土を払い除けて空気を送り込んで火を増したり、逆に土を被せて火勢を弱めたりして火加減を調節し続けねばならない。炭焼き職人にとって火加減は重要だ。土を被せて低温で不完全燃焼させるわけだから、うっかり《火の精霊ファイア・エレメンタル》が産まれて暴れ出すようなことはまず無いが、火加減次第で稼ぎがだいぶ変わって来る。上手にやれば薪の三割を灰にして七割ちかい薪を木炭にすることができるが、失敗すると四割以上を灰にして木炭が半分ほども取れないということもあるからだ。だから火を焚いている間はずっと交代で寝ずの番である。

 その前に木を集めるのにも、焼きあがった炭を街へ売りに行くのにもやはり数日かかり、一度の仕事でだいたい十日~半月…その間ずっと山にこもりっぱなしで、家に帰ることもなければ、当然風呂にも入らない。

 土と灰と木炭で手も身体も服も顔も真っ黒に汚し、強烈な酸っぱい汗の臭いを振りまきながら山から帰って来る炭焼き職人を歓迎してくれるのは木炭の仕入れ業者だけだ。その仕入れ業者にしたところで、木炭の納入が済みさえすれば後は用は無いとばかりに追い出しにかかる。そして、家への帰り道もずっと、すれ違う人すれ違う人すべての人から嫌な顔をされ、鼻を覆われ、時に揶揄からかわれ、あるいは罵倒される。


 正直言って、良い仕事じゃない。いや、ハッキリ言おう、それは世の中に様々にある「最悪の仕事」のうちの一つだ。やらずに済むなら誰もやりたくない仕事…その代表例の一つといってよい仕事である。


 わずかな稼ぎのために何で辛い思いをしたあげくに人々に罵倒されなければならないのか?

 すべての仕事は神が与えたもうた神聖な役割ではないのか?


 納得がいかなかった。ずっと不満だった。だからエンテはフライターク山が噴火してアルビオンニウムからシュバルツゼーブルグへ避難するのに機に、親方の元から逃げ出して炭焼きの仕事をやめたのだった。


 だが、避難民によって突如人口が二倍に膨れ上がったシュバルツゼーブルグにまともな仕事などあるわけもなかった。気づけば盗みを働くようになり、いつの間にか悪い仲間に付き合うようになっていた。そして挙句の果てに『勇者団ブレーブス』を名乗るおかしな連中に使われて、軍隊相手に戦争だ。冗談じゃない。


 一昨日の夜、エンテは気づいたのだ。ハッキリわかった。今、自分が一緒に行動している連中は、苦楽を共にしている連中は、仲間なんかじゃない。仲間として付き合っていい人間じゃない。盗賊だ。このままここに居たら地獄に落ちてしまう。いや、こここそが地獄なのかもしれない。

 エンテは一昨日の夜、そのことに気付いてからずっとなるべく一人で行動していた。仲間から精神的にのみならず物理的にも距離を開けるようにしていた。そして見た。見てしまった。盗賊団は廃墟の中で出くわした仲間と銃撃戦を始めてしまったのだ。

 それはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。同士討ちは背後からレーマ軍が現れても止むことは無かった。ヤロウ、仲間を撃ちやがって!と、頭に血が上った連中はレーマ軍から背後から撃たれながらも、自分たちに撃ちかけて来た盗賊との銃撃戦を止めることは無かった。彼らは文字通り死ぬまで戦い続けたのである。


 そうだ、ここにいたらいつか自分もああなっちまう。

 自分がならなくても、アイツ等がいつかあんな風に自分を撃ってくるようになるに違いない。

 アイツらは人間の形をした地獄そのものなんだ。


 エンテはそのことに気付いてしまった。気づいてしまった以上は逃げなければならない。仲間じゃない悪党どもから、あの『勇者団』を名乗る変な奴らから…アイツ等きっと悪魔の手先だ。付き合っちゃいけない相手だ。


 エンテは逃げることにした。幸い、一昨日の戦いで盗賊どもは半分以上死ぬか大怪我を負ってしまい、元気なのは三分の一ほどしかいない。おまけにどういうわけか『勇者団』の連中も被害を受けたのか、まともに動けないようだ。そのことは昨日一日、様子を見ていて確信した。


 逃げるなら今しかない!


 だが、そのままシュバルツゼーブルグを目指したところで逃げ切れないだろう。何故なら南には一昨日の戦に参加しなかった盗賊団がまだ何十人か残っているはずだし、エンテと同じように逃亡を企てた連中はみんな南へ逃げたからだ。

 つまり南には最初から警戒網が張られているし、逃亡者を捕まえる追手は南へ向かう可能性が高い。南へ逃げるのは、再び捕まえてもらいに行くようなものだ。


 だからエンテは西を選んだ。

 西山地はかつて炭焼きをしていた頃の土地勘がある。山小屋で身をひそめることは出来るだろうし、裏街道を通ればアルトリウシアへ抜けることもできる。裏街道は険しく馬車も馬も通れないし、既にだいぶ寒い時期になってきてはいるが、雪が降り始める前なら何とか歩いてアルトリウシアへ逃げることができるはずだ。

 それに何と言っても市街地はレーマ軍の勢力下だ。レーマ軍と再びぶつかることを恐れ、盗賊たちは追っては来れないに違いない。いや、そもそもエンテがいた第一軍は動ける人間は十人も残っていなかった。第三軍だって似たようなものだ。エンテがいなくなったことに気付いても追手を出そうとは思わないだろうし、『勇者団』の命令で捜索をするとしても南へ向かうはず。

 このままレーマ軍に見つからないように廃墟に隠れながら進めば、日が沈む前には市街地を抜けられるだろう。明日は西山地の山小屋に泊り、明後日には山を越える。早ければその次の日にはアルトリウシアだ。

 アルトリウシアは最近景気が良いって噂を聞いた。ハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱を起こして街が焼けちまったが、その復興で領主様が随分気前よく金をバラまいているらしい。今アルトリウシアへ行けばまともな仕事くらい見つけられるに違いない。


 エンテはちょうど隠れた廃墟の影に打ち捨てられたままになっている死体を見つけた。それは一昨日の夜、レーマ軍の銃弾に倒れた盗賊の死体だった。


 さっそく近づき、死体を漁る。

 何か手に入れば、アルトリウシアへ着いてから金に換えて仕事が見つかるまでの生活の足しに出来るかもしれない。


「ちっ…」


 金に換えられそうなものは持っていなかった。既にほかの奴に身包みを剥がされた後かと思ったが、それにしては腰にナイフが残ったままだ。すぐ隣に銃弾の入った雑囊ざつのうと短小銃が落ちている。

 つまり、この死体は別に身ぐるみはがされたわけではなく、最初から何も持ってなかったのだ。まあ、盗賊なんてそんなもんだろう。物持ちの良い奴なら盗賊になんてなるわけがない。

 エンテは溜息をつくと死体からナイフを奪い、死体が持っていた雑囊に入れて短小銃とひとまとめにして拾いあげた。その直後、突然背後から声をかけられエンテは背筋を凍らせた。


「よぉーし、動くな!」

 

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