第208話 奴隷たちの疑念

統一歴九十九年四月十八日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 リュウイチたちの暮らす陣営本部プラエトーリウムには汚れ物部屋ソルディドルムと呼ばれる他では見られない部屋があった。元々は奴隷用の寝室クビクルムの一つだったが、今はあらゆる家具が取り払われて物置のようになっている。この中に洗濯物や汚れ物ソルディダを入れておくと、毎日一回リュウイチが来て浄化魔法をかけるのだ。すると、洗濯物や汚れ物が一瞬でキレイになる。

 最初は洗濯や洗い物なんかは自分たちでやるとルクレティアや奴隷たちは言ったのだが、実際にやってみてもらうと一瞬で終わるしどんな汚れも洗うよりキレイに落ちてしまうものだから、リュウイチ関連の物とルクレティアや奴隷たちのの服や装具などは浄化魔法に頼るようになっていた。使用済みのオマルも蓋をしたまま中身を見ることなくキレイにできてしまうのだから楽なものである。

 で、個別に魔法をかけるのは手間なので一か所に集めてまとめて魔法をかけるようになったのだ。以後、洗濯物や汚れ物の一切合財がこの部屋に運び込まれるようになってしまっていた。


 その汚れ物部屋ソルディドルムと同じ並びにある奴隷用寝室クビクルムは現在物置として使われている。その物置の中で、リウィウスはリュキスカに頼まれたカニストルムを探していた。


「ん?・・・なんだとっつぁんリウィウスか、何やってんだ?」


「あ?ああ、カルスか・・・この辺にカゴ無かったか?」


「カゴ?何に使うんだい?」


オシメディアスプルムとか汗拭きスダリオを持ってくんだと」


「ふーん、こっちじゃねぇかな?」


 結局見つからずに探しているうちに、汚れ物を持ってきた他の奴隷仲間が同じように加わって行く。気づけば四人がかりでああでもないこうでもないとちょっとした騒ぎになっていた。


「ん?お前ぇら、何やってんだ?」


「ああ、ゴルディアヌス、カゴ探してんだがこの辺に良いの無かったか?」


「そっちのソレは違うのかい?」


「いや、アレはダメだ。汚ぇしみすぼらしすぎらぁ。」


「何に使うんだい?」


「赤ん坊のオシメディアスプルム汗拭きスダリオを持ってくんだ。」


オシメディアスプルム!?

 何でそんなものを?」


奥方様ドミナが赤ん坊連れてお出かけになるからさ。」


 奥方様ドミナとはリュキスカの事である。リュキスカは娼婦ではあったがリュウイチの手が付いたという事で彼らは早くもリュキスカを奥方扱いしているのだった。

 しかし、リュキスカもリュウイチや彼らと同様に軟禁されている身である。何か特別な事情でもない限り外出などできるわけがない。そのリュキスカの外出の準備と聞いてゴルディアヌスは当然思い浮かぶ疑問を口にする。


「ああん?どこへ?何しに?」


ティトゥス要塞カストルム・ティティだってさ。」


「何でさ?」


「何でって・・・知らねぇが行くことになったらしいぜ?

 今朝、クロエリアさんが奥方リュキスカ様んトコきて言われたそうだ。」


「クロエリアさんってスパルタカシアルクレティア様のお付きの?」


「他にいんめぇいないだろ?」


スパルタカシアルクレティア様ならもうお出かけになったぞ!?」


「「「「ええ!?」」」」


 全員の手が止まり、視線が一斉にゴルディアヌスに集中する。


「さっき迎えに来てた子爵家の馬車で、もちろんクロエリアさんも一緒だ。」


奥方様ドミナは?」


「一緒じゃなかったぞ?」


「「「「「・・・・・」」」」」


 奴隷たちは探し物そっちのけで話し始めた。


「べ、別々に行かれるとか?」

「たしかに、スパルタカシアルクレティア様と御一緒の馬車じゃ不味いだろうけど」

「にしたって時間までずらす必要はあんめぇ?」

「馬車は分けるにしたって一緒に行った方が護衛だって少なくて済むよな?」

「ホントにティトゥス要塞へお出かけになんのか?」

オレリウィウス奥方様ドミナから直接聞いたぞ?」

「そもそも何しに行くんだよ?

 奥方様ドミナはこの間まで《陶片テスタチェウス》で娼婦してらしたんだぞ。ティトゥスに用なんかないだろ?」

「いや、それは聞いて無いし・・・」

「今日じゃねぇとか!?」

「わ、わざと置いて行かれたとか?」

「えー、嫌がらせ!?」

貴族パトリキだからなぁ、そういう陰険な話って聞くよな?」

「待てお前ら、スパルタカシアルクレティア様だぞ!?

 リディア様に憧れておられる方がメデナ様の真似なんかするか?」

スパルタカシアルクレティア様はしなくても、お付きの侍女たちがスパルタカシアルクレティア様のために勝手に何かやる事だってあらぁな」

「だからって置いてってどうするよ?」

「「「「・・・・・」」」」


 全員が黙って一拍置いたところでゴルディアヌスが一つの答を思い付いた。


「まさか暗殺じゃ!?」

「「「「暗殺!?」」」」

「ああ、一人出遅れちまった奥方様ドミナが馬車で追っかけてる途中でに襲われて・・・ってぇ筋書よ。ありそうじゃねぇか!?」

「いやまて、何で奥方様ドミナを!?」

スパルタカシアルクレティア様にとっちゃ邪魔だからじゃねぇか!?」

「今ならまだも碌にいねぇし、狙いやすいよな?」

「ああ、なのにあんな良いべべ着てんだ、供回りも連れずに出歩いちゃ襲ってくれって言ってるようなもんだぜ。」

旦那様リュウイチの加護の無い外へ連れ出せるチャンスだしな。」

「だからって殺しちまって旦那様リュウイチの逆鱗に触れるような事するわけねぇだろ!?」

「だから野盗かなんかの仕業に見せかけんのよ。」

「お前ぇらいい加減に・・・」


『君ら何してんの?』


「「「「「!!!」」」」」


 噂話ゴシップに夢中で気づかなかったが、いつの間にか物置のすぐ外にリュウイチが立っていた。


旦那様ドミヌス!?

 あ、いやちょっと探し物を・・・」


『探し物?』


「へぇ、奥方様リュキスカがお出かけになるそうなんで、赤ん坊のオシメディアスプルム汗拭きスダリオを入れるカゴを御用意しようと。」


『おう・・・さすが、気が利くねぇ!?』


 彼らが自発的に探していると勘違いしたリュウイチが素直に感心すると、リウィウスは気まずそうに頭を掻いた。


「い、いやぁ・・・」


 探し物を手伝っていた奴隷の一人アウィトゥスがリュウイチに尋ねた。


「あ、あの旦那様ドミヌス奥方様リュキスカがお出かけになる事を御存知だったんですか?」


『あ?うん、今朝ルクレティアから聞かされたけど?』


 すると今度は別の奴隷ロムルスが質問する。


「その、スパルタカシアルクレティア様はもうお出かけになられたようですが、一緒に行かれるわけではなかったんですか?」


『ああ、ルクレティアは別の用事があるから先に行くって』


「じゃあ、奥方様リュキスカも今日これからティトゥス要塞へ行かれるんですね?」


『そう聞いてるけど?』


奥方様リュキスカだけで?」


『赤ん坊が一緒だろ?』


「「「「「・・・・・」」」」」


 奴隷たちの質問に答えるリュウイチの様子は呑気のんきそのものだった。

 その様子が逆に奴隷たちの不安をあおる・・・ひょっとして、さっき自分たちが想像していた事は現実になるんじゃないかと。


『それより今日の洗濯物とか汚れ物はもう入れてあるの?

 入れてあるなら浄化魔法を・・・』


「ド、旦那様ドミヌス!!」


 ゴルディアヌスが思いつめたように声をあげ、皆を驚かせた。


『な、何!?』


「も、もしかしたら奥方様リュキスカが危険かもしれません。」


『危険!?』


 ゴルディアヌスの突拍子もない発言にリュウイチは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「おい、ゴルディアヌスよせ!」


「いやとっつぁんリウィウス、用心に越したこたぁねぇぜ。」


『どういう事?』


 ゴルディアヌスは自分たちがさっき話していた陰謀論について説明して聞かせた。


「・・・てなわけで旦那様ドミヌス奥方様リュキスカの安全のために何か手を打たれた方がよろしいんじゃねぇかと思った次第でやす。」


 そりゃねぇだろ・・・というのがリュウイチの素直な感想である。だが、ゴルディアヌスは真剣そのものだったし、少なくとも彼は彼なりの忠誠心からそれを報告してきたわけだから一笑にすのも躊躇ためらわれる。

 リュウイチはひとまず彼らの考えに付き合う事にした。


『うーん、でも行くなとは言えないしなぁ。』


「そもそも何で奥方様リュキスカがティトゥスへ行かれるんで?」


『ああ、エルネスティーネさんが会いたいんだってさ。』


「「「「「侯爵夫人マルキオニッサが!?」」」」」


『うん、ほら、私が手ぇ出しちゃった女がどんな人か見たいんじゃない?』


スパルタカシアルクレティア様は?

 奥方様リュキスカが呼ばれた件とは関係ないんですか?」


『それもあるけど別件もあるらしいよ?

 だから時間をずらして先にそっちを片付けるって・・・』


奥方様リュキスカはお一人で行かれるんですか?」


『馬車を用意するって言ってたけどな・・・クィントゥスさんの護衛付きで』


 リュウイチは奴隷たちを無理やり黙らせることなく、彼らの疑問に丁寧に答える事で納得させる方法を選んだ。リウィウスは最初から陰謀論に懐疑的だったため、とっくに安心している・・・というより、陰謀論者の中心人物であるゴルディアヌスに呆れたような視線を送っていたが、ゴルディアヌスの方はまだ心配な様子だった。

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