第468話 急報に振り回される子爵公子閣下

統一歴九十九年五月五日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストリ・マニ/アルトリウシア



 アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシアであり、現在は領主代行も勤めるアルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子はちょうど御風呂バルネウムに入って身体を洗おうとしているところだった。


 日中、陣営本部プラエトーリウムのカールの寝室クビクルムで起きた事件は降臨者リュウイチの助力を得て現場で調べられる限りの調査を終え、ひとまず法務官プラエトルのアグリッパ・アルビニウス・キンナに内偵を命じたうえで現場は片付けさせている。

 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人とその家族は本来の予定ではティトゥス要塞カストルム・ティティへ帰っているはずであったが、予定を変更してもう一泊することとなった。エルネスティーネをはじめとする侯爵家一家と礼拝に同席していた家来たちはいずれもリュウイチの回復魔法によって既に回復していたが、子供たちの…特に嫡子であり一人家族から離れてマニウス要塞カストルム・マニで生活しているカール・フォン・アルビオンニア侯爵公子の心的ケアを考えての事だ。


 エルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人は礼拝の後、日頃の御心労から貧血を起こされたため、カール・フォン・アルビオンニア侯爵公子の下で一泊休養を御取りになられることと相成った…公式にはそう言う風に発表されることになっている。


 カールは毒を盛られた…それはカール本人には今更隠しようのない事実である。彼は毒の入った麦を食べさせられ、手足を焼くような苦痛と幻覚や幻聴に苦しめられ、そして実際に死の淵に立たされた。

 それをリュウイチによって助けられ、魔法によって外に出歩くとも出来るようにしてもらえたことでかなり前向きになったカールだったが、先々週に再び毒麦を食べさせられて苦しんだあげくの今日の出来事である。しかも、毒の経路に教会が絡んでる可能性があり、おまけに自分自身のみならず礼拝に参加していた全員が被害に会ったのだ。わずか八歳の子供に平常心を保っていられるわけがない。

 当人は聖職者たちが立ち去った後、リュウイチに魔法をかけてもらって回復したのちは気丈にも元気に振舞っているが、どうみても空元気である。元気すぎるのだ。家族の気持ちを想っての事だろうが、周囲の大人からすると子供に気を遣わせてしまっている事のほうがよっぽど辛い。

 カールのことを常に第一に考えるエルネスティーネが予定を変更するくらいは当然のことと言えるだろう。


 アルトリウスとしても無関心ではいられない。事はアルトリウシア子爵領で起こっているのだ。まして同じ領主貴族パトリキであり、子を持つ親である。エルネスティーネやカールを取り巻く家来衆の気持ちは痛いほど共感を覚えざるを得ない。同じ親として、そして領内の治安に責任を持つ領主貴族として、事件の処理に全力で取り組むつもりではいる。

 しかし、現状では犯人とその目的を調べる以上の事は難しい。警備体制は今でも既にいっぱいいっぱいというところである。リュウイチの秘匿をおろそかには出来ないからだ。

 リュウイチの力で守ってもらえれば簡単だが、下手をすると犯人にリュウイチの存在を知られてしまう。犯人が単独犯なら捕まえるなり殺害するなりすればそこから秘密が漏れるのを防げるかもしれないが、背後に何者かが存在するならばそこからどのような影響が生じるか分からない。

 既に彼らは「《レアル》の恩寵おんちょう独占」という厄介な爆弾を抱えてしまっているからだ。おそらくは大丈夫だ、まだ言い逃れは出来る…そう思える程度に納めているとはいえ、リュウイチの世話になっている事には変わりない。これ以上何かあれば、《レアル》の恩寵独占を咎められる可能性が高くなってくる。


 侯爵家の日曜礼拝も取りやめることはできない。世間には熱心なキリスト教徒として知られるエルネスティーネがカールの日曜礼拝を取りやめたとなれば、大きな話題になるだろう。様々な憶測を呼ぶだろうし、侯爵家と教会の関係もどうなるかわからない。

 となれば日曜礼拝はこれまでどおりに継続するほかないのだが、犯人が特定できておらず、しかも教会との関係がどうなっているのか、教会そのものが関っているのかどうかが分からないのだから、マティアス司祭らにリュウイチの存在を打ち明けるわけにもいかない。

 かといって教会を大っぴらに捜査するわけにもいかない。そもそも貴族ノビリタスが毒を盛ったとか盛られたなんていうのは醜聞以外の何物でもないのだ。貴族…特に上級貴族パトリキともなればそうした醜聞によって己の権威が傷つくことを最も嫌う。

 それに教会関係者が毒を盛ってカールを暗殺しようとしたなんて話が広がれば、再び教会と侯爵家の関係は確実に悪化するだろう。キリスト教に懐疑的な非キリスト教徒の領民たちはほぼ無条件に侯爵家を支持するだろうが、ランツクネヒト族は敬虔なキリスト教徒が大半であり、教会の側を支持する可能性が高い。アルビオンニアが再び、キリスト教徒対非キリスト教徒で分断されてしまう危険性すらある。


 アルトリウシアがその震源地になるのはまっぴらごめんだ。


 ともかく、対処は慎重を要する。安易な行動は厳に慎まねばならない。それを思うと頭が痛くなってきそうだ。


「子爵公子閣下!」


「何だ?」


「報告します!

 リュウイチ様が、再び《地の精霊アース・エレメンタル》様が魔力をお使いになられたと申されました!」


 リュウイチの住む陣営本部に隣接する自身の陣営本部で風呂に入るべく服を脱ごうとしている時にその報告を受け取ったアルトリウスは、脱ぎかけていた服を急いで着なおしリュウイチのいる方の陣営本部へと急いだ。本当なら急いで風呂で身を清め、身形みなりを整えてからリュウイチの陣営本部に戻り、エルネスティーネを交えての晩餐会ケーナに参加し、そして急いで家族の待つ自宅へ帰るつもりだった。彼はここ数日、思うように帰宅できていなかったのだ。

 だが、リュウイチに関する問題は放置するわけにはいかない。小さな問題と思える事であろうと、下手に放置すれば彼は永遠に帰れなくなるかもしれないのだから。


軍団長閣下レガトゥス・レギオニス!」


 隣接する陣営本部同士を直接結ぶ裏口ポスティクムを通る最短ルートでリュウイチの陣営本部に戻ったアルトリウスを、リュウイチの奴隷でありアルトリウスの被保護民クリエンテスでもあるネロが出迎えた。


「ネロか、リュウイチ様はどちらにおわす?

 《地の精霊》様が魔法を使われたと言うのは本当か!?」


 裏口から庭園ペリスティリウムを囲む回廊ペリスタイルへ向けて大股で歩きながらアルトリウスは、ネロの前で立ち止まることなく尋ねた。ネロはアルトリウスの斜め後ろを小走りで追従しながら報告する。大柄なアルトリウスが速足で歩くと、普通のホブゴブリンは走らなければついて行けない。


旦那様ドミヌスはいつもの小食堂トリクリニウム・ミヌスです。

 奥方様ドミナと御一緒に香茶を召し上がっておられたのですが、急に御顔を曇らせられまして…」


 アルトリウスは回廊を出ると左に折れ、庭園を挟んでリュウイチの寝室クビクルムの真向かいにある小食堂へそのままの勢いで進んだ。そして小食堂の手前まで来ると立ち止まり、服装を確認する。


「着衣に乱れはないか?

 ちょっと確認してくれ!」


 自分でも正装トガに乱れがないか首を捩って確認しつつ、自分では見えない部分をネロに確認させる。


「だ、大丈夫です。」


「よし、じゃあ頼む。」


 アルトリウスはそう言うと姿勢を正した。ネロはそのまま小食堂の入口の扉を開けると、中にいるリュウイチに報告した。


「旦那様、アルトリウシア領主代行、アルトリウシア軍団長レガトゥス・レギオニス・アルトリウシア、アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子閣下がお見えになられました!」

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