静かに広がる波紋
第467話 ケーナーティオでの密談
統一歴九十九年五月五日、午後 - 《
礼拝で使われた南蛮ロウソクを調べたところ、ロウソクの芯から毒が出て来た。紙を細い管状に巻いて芯とし、その周囲に熱して溶けた蝋を塗り重ねて作る南蛮ロウソクは芯の中に空洞が出来る。燭台から抜き取って見ただけではごく普通のロウソクだったが、その管状になった芯の内側から黒い粉末が出てきたのだ。最初それはただの煤かと思われたが、その黒い粉末からは以前カール用にと教会から
その臭いはアルトリウスや他のホブゴブリンの
毒が仕込まれたロウソクが燃えることで、その毒の燃焼ガスを吸った者に症状が出た…アルトリウスたちはそう結論付けた。
どうやらカールに毒を盛ろうとしている者がいるのは間違いないらしい。そして、それは教会関係者か教会に近い人物だ。
だが、まだ断定までは出来なかった。
発見された黒い粉末はその見た目や臭いや症状などから、おそらく
麦に自然に生えるカビが毒素の原因である以上、小麦に混ざっていても「毒を盛られた」と断定することはできない。だが、今回のロウソクは明らかに人為的に仕込まれた物だ。
しかし、ロウソクは仕込まれたものだったとしても、前回の小麦も仕込まれた物だとは断定できない。つまり、意図的に毒を仕込まれたのは今回が初めてなのかもしれなかった。
また、今回はマティアス司祭をはじめ聖職者も巻き添えを食っている。ロウソクが燃やされた位置はカールよりもマティアス司祭の方がずっと近く、教会がカールを狙ったと考えるのは少し無理がある。マティアスの方が先に毒でやられる危険性が高いからだ。
それにあのロウソクは寄付された物を間違って持って来てしまったと言っていた。ロウソクを持ってきた張本人である
となれば、もしかして毒はカールではなく教会か教会関係者を狙って仕込まれた物が偶然カールの所へ回ってきたのだろうか?
いずれにせよ、今回も犯人を特定できなかった。少なくとも教会に関係している事は間違いないようなのだが・・・
釈然としないままその場は御流れとなった。毒が仕込まれたロウソクと、ロウソクから出て来た毒の現物は一応証拠品として保管し、それ以外はリュウイチの浄化魔法で清められたのちに使用人たちによって片付けられた。
エルネスティーネたちは子供たちの不安を取り除く意味からもう一泊することになったが、アルトリウスやその他の貴族たちはそれぞれの自宅へ戻ることとなる。
その中の一人、子爵家の
《陶片》は一帯を柵で囲われており、その出入り口には門が設置されている。通常、馬車の乗り入れは禁じられており、許可のない者は各門で停められ、馬車を門前で置いて歩いて入るか、さもなければ引き返すことを要求されるのだが、アグリッパは《陶片》に直接馬車を乗り入れることの出来る数少ない例外の一人だった。アルトリウシアの治安を担う法務官という地位にあればこそである。
アグリッパの馬車は《陶片》の主ともいえる
「お待たせしやした。」
香茶を楽しんでいたアグリッパの部屋に通された、ブッカにしては大柄な男はやや野太く低い声でそう挨拶した。
「いや、かまわん。約束の時刻より遅れたのは私の方だ。
それよりラウリよ。リクハルド卿は、お越しになられぬのかな?」
アグリッパは湯気の立つ
「へぃ、既にセーヘイムへ向かわれておりやす。
残念ですが、本日は…」
「いや、私が時間通りに来なかったのが悪いのだ。
謝らねばならないのは私の方だ。」
「恐れ入りやす。」
ラウリが
「まあ、そこへ掛けるがよい。
リクハルドヘイムの治安を預かるお前を寄こしたと言うことは、リクハルド卿はお前に代理を勤めさせるつもりなのであろう?」
「恐れ入りやす。
お話を伺うだけで済みそうなら、代わりに伺うように申しつかっておりやす。」
アグリッパはその返事を聞くと茶碗を
「香茶のおかわりだ。客人の分もな」
アグリッパがそう言うと店員は頭を下げて引き下がっていく。ラウリはそれを見て「失礼しやす」と小さく挨拶をし、椅子に座った。
「セーヘイムへ行かれたというのは、ひょっとしてこの間のヤルマリ橋の資材の件と関係があるのか?
香茶が来るまで本題とは関係のない世間話で時間をつぶそうと、アグリッパは話し始めた。自分の茶碗を再び手に取り、香茶の香りを楽しむ。
「恐れ入りやす。
その通りですが、関係無ぇこともねぇんでさ。」
「というと?」
「へぃ、資材が盗まれて工事が遅れたもんで、その分資材置き場が塞がったままになっちまいやしてね。
それで城下町再建のための資材置き場のアテが一つなくなっちまったもんで…」
ズズーッと音を立てて香茶を啜ってゴクリと飲み込むと、アグリッパは天井を見上げてハァーッと盛大に息を吐く。
「それでヘルマンニ卿に詫びにでも行ったのか?
いちいち義理堅いことだな…」
海軍基地城下町はヘルマンニの管轄する土地である。隣接するリクハルドヘイムとは行政区分が異なるので本来、リクハルドには何の権限も義務もない。しかし、海軍基地城下町の再建とヤルマリ橋の再建はどちらもリクハルドヘイムの大工が仕事を請け負っていた。復興工事の進捗についてはリクハルドが間接的にではあるが責任を負っているのである。
「まあ、そればかりじゃねぇんで…」
「まだ何かあるのか?」
「へぃ、資材置き場が不足するんで、
それを聞くとアグリッパは目を丸くしてラウリを見つめ、プッと噴出した。ラウリはバツの悪そうに苦笑いを浮かべる。
「ハッハッハ、調子のいいことだな。」
「へぃ、でもこんくれぇしねぇと復興を遅らせるわけには行かねぇんで…」
アグリッパはフンッと鼻を鳴らすと空になった茶碗を円卓に戻した。
「しかし、盗まれたと言う以上、下手人くらいは出してもらわんとな。
私とて
だがいくら帳尻を合わせ、子爵家や侯爵家から余計な支出を出さんようにしたとしても、領主様方の
肘掛けに体重をかけてわずかに身を乗り出し、アグリッパはラウリに釘を刺した。アグリッパはもちろん知っていた。ヤルマリ橋再建用資材を盗んだのがリクハルドの手下たちであることも、それがアルトリウシア平野からダイアウルフがセヴェリ川を渡って来たとしてもリクハルドヘイムへはやってこれないようにするためだということも。
資材が盗まれて工事を遅らせざるを得ないが、警備の不手際が原因だから資材の追加手配は自分たちでやる…リクハルドからは表向きそのように報告がなされている。工事が遅れること以外には子爵家にも侯爵家にも迷惑が掛からない。メルヒオールとアイゼンファウストの住民たちは復興が遅れてヤキモキするだろうが、ヤルマリ川以北の安全を確保するには確かに都合が良い。
だがリクハルドはそれに飽き足らず、ついでに資材置き場の不足を理由に現在使われていない海軍基地を借りることで一儲けしようというのだ。
海軍基地はヘルマンニの管轄だが、ヘルマンニたちはアンブースティアの復興支援に人をとられていて海軍基地はおろか海軍基地城下町の復興にさえ人手を割けない状態になっている。海軍基地城下町の復興にリクハルド配下の大工たちが投入されているのはそれが理由だ。
そこへ「使われていない海軍基地の土地を使わせてくれ。なに残骸の片付けもついでにやってやる」と、ついでに残骸処理の仕事を請け負おうというのだ。
「へぃ、それはもちろん、近いうちに捕まえて御覧に入れまさぁ。
キンナ様にはご迷惑をおかけしやすが、そん時は一つ、良しなに」
ラウリはペコリと頭を下げ、懐から革袋を一つ取り出すと円卓の上に置き、アグリッパの方へ差し出した。
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