第466話 毒の経路

統一歴九十九年五月五日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニ/アルトリウシア



 カールの寝室クビクルムの内外に残されていた礼拝参列者たちの吐瀉物としゃぶつをリュウイチはすべて調べたが毒は検出されなかった。


に毒が残っていないということは、毒を盛られたわけではないと言う事なのでしょうか?」


 くぐもった声でアルトリウスが疑問を口にした。鼻を抑えているせいだ。

 扉も窓も開け放たれて風通しを良くしているとはいえ、数人分の吐瀉物が残された室内には悪臭が充満している。特にヒト種よりも嗅覚に優れたホブゴブリンにはキツいらしく、現場検証についてきた貴族ノビリタスたちは全員が鼻を覆っている。

 最後の吐瀉物を調べるためにしゃがみ込んでいたリュウイチは立ち上がり、振り返って答えた。


『食べ物や飲み物に毒を混ぜたわけではないのかもしれません。

 少なくとも、口から身体に入れたものではないのでしょう。』


 全員が同じタイミングで発症したということは、同じタイミングで毒を摂取したと考えるのが妥当だ。礼拝が始まる前は、参列した使用人の半数は室外で各々の仕事をしていたし、一緒に何か飲食を共にしたという事はない。吐瀉物に毒が残っていなかったことからも、飲食物に毒が混入されていた可能性は否定されていいだろう。


「では一体どうやって!?

 全員、何かを口にしたわけでもありませんし、毒を塗られた刃物で傷つけられたと言うこともありません。なのに、どうやって毒を?」


 エルネスティーネが血の気の引いた顔をゆがめて不安そうに尋ねる。食べ物や飲み物に毒が仕込まれたのであれば、料理人を監視したり毒見役をおくことで防ぐことができるだろう。毒を塗った刃物も護衛によって防ぐことができる。

 しかし、今回のように飲食物に毒を仕込んだわけでもなく、刃物も使っていないとなればどうやって防げばいいのかわからない。目に見えない手段での攻撃…相手が何者かもわからず、手段もわからないでは攻撃を防ぎようがない。


「本当に毒で間違いないのですか?」


 子爵家法務官プラエトル・ウィケコメティスアグリッパ・アルビニウス・キンナが懐疑的な表情でリュウイチを見つめながら尋ねると、他の者が一斉にアグリッパに視線を向ける。


「リュウイチ様を疑っておるのかアルビニウス・キンナ?」


 寄りにもよって自分の家の家臣が降臨者を疑うような発言をしたことにアルトリウスは驚き、慌てた。降臨者の発言を疑って降臨者の不興を買っては何が起こるか分かったものではない。


「いえ、そうではありません。

 以前のイッサンカタヌスの例もありますから、毒を盛られずとも毒と同じ症状を示す何かを体内に取り込んでしまった可能性もあるかと愚考いたしまた。

 決して、リュウイチ様がウソをついているというつもりはありません。どうかご容赦のほどを。」


 アグリッパはさほど取り乱した様子もなくアルトリウスに弁明し、リュウイチに向かってうやうやしく頭を下げる。アグリッパ以外の全員が恐る恐るリュウイチの顔色をうかがうと、リュウイチは特に機嫌悪そうな様子も見せずに口角を吊り上げていた。


『いや、そういう疑問を持たれるのは当然ですから、お気になさらず。

 確かに、意図的に毒物を用いたわけではなく、何らかの事故である可能性はあります。

 ですが、症状の重かった人のステータスは「毒」になっていましたし、全員が一斉に体調を崩したという事は、全員が同じタイミングで何らかの毒物を体内に取り込んだからに違いありません。

 犯人が誰で何か目的があって毒を仕込んだかどうかはともかく、こうして大勢が一斉に毒物を身体に取り込んでしまったのなら、まずはその原因を調べない事には同じ事故が繰り返されてしまうのではありませんか?』


 リュウイチが静かにそう言うとアグリッパは下げていた頭を再び下げ直した。


「まさにおっしゃられる通りでございます。

 どうか愚かなわが身をお許し下さい。」


『別に責めてはいませんから、どうぞ頭をあげてください。

 それよりも、どうやって室内にいた人たちに毒を取り込ませたのかを調べないと…』


 そう言うとリュウイチはアグリッパに興味を無くしたかのように室内を見回し始めた。アルトリウスはリュウイチとアグリッパを交互に見比べてから、アグリッパが許されたと判断しリュウイチに礼を言う。


「家臣の御無礼をお許しいただきありがとうございます、リュウイチ様。」


『いえ、無礼など働いていませんよ。

 それよりも、この部屋でいつもと違う物はありませんか?

 普段は無いのに今回だけある物とか…』


 リュウイチは赦すの許さないだの、礼がどうの言葉遣いがどうのと言った話を面倒に感じるたちだった。そして面倒なことを避けたいがために、話題を早く切り替えようと調査に没頭しているフリを演じる。

 リュウイチに言われて貴族や使用人たちは室内を見回した。アグリッパも頭をあげて、周囲を見回す。


「いつもは無くて今日だけあると言えばこの祭壇ですが…」


 アグリッパはカールの日曜礼拝のために亡父マクシミリアンが造らせた組み立て式の祭壇を見て言った。全体を金箔で覆った祭壇の存在感は強烈で、日中の日の光の挿し込む中で見ると悪趣味なほど派手に見える。ただでさえ全体がキンピカな上に、所々に埋め込まれた銀や宝石、螺鈿らでん象嵌ぞうがん細工がギラギラと輝きを放ち、眩しいほどである。だが、この悪趣味なほど派手な祭壇も、暗幕を張り巡らした暗い室内に置いて、ロウソクの微かな光で照らして見ると、上品かつ荘厳な雰囲気を醸し出すのだ。


「その祭壇は亡き夫マクシミリアンがカールのために造らせ、使用し続けているものです。

 普段は仕舞ってありますが、日曜礼拝の時だけ当家の使用人たちの手によって、こうやって組み立てて設置しておりますの。」


 それは貴族たちは全員が知っていることではあったが、リュウイチは知らないのでエルネスティーネが説明する。エルネスティーネにとってこの祭壇は宗教的な意味でも神聖なものではあったが、それ以上に亡き夫と家族の大切な思い出の象徴として大切なものだった。


『この、祭壇の上に並んでる品々もそうなんですか?』


 祭壇の上面には豪華な刺繍の施されたテーブル掛けのようなものが敷かれており、その上には食器と燭台が並んで置かれている。祭壇の奥の一段高いところにはキリスト像と、その両脇に六体ずつの十二使徒の像が並んでいた。その背面には更に豪華な祭壇飾璧レトロアルタレが飾られている。


「ええ、ええっと、ああ、そうだわ、それも返さないと…

 燭台と、食器類は当家の物ですわ。ですがその後ろのキリストと十二使徒の像は教会からお借りしているものですの。その後ろの祭壇飾璧も当家のですけど…」


 本来、礼拝は教会か、自宅でするにしても専用に設えた礼拝場で行うべきものである。だが、アルビノで外に出れないためカールは自分の寝室で礼拝を行わねばならない。そのため、教会からキリストと十二使徒を招いて礼拝を行うという形式をとるようにマクシミリアンが考え出した、一種の演出であった。

 祭壇の上に並べられた食器類も最後の晩餐を模したものであり、侯爵家が、カールがキリストと十二使徒を招待して、教会から来ていただくという形式を整えるための小道具である。キリストと十二使徒の像もこのために侯爵家で用意し、教会に預けてあるものだった。一応、教会に奉納した形になってはいるが、教会はそれらの像を侯爵家の礼拝以外には用いないので、実質的に侯爵家専用となっている。


 リュウイチは祭壇や祭壇の上に並べられた品々を一つ一つ目で見て観察はしたが、特に手に取ったり“鑑定”したりはしなかった。おそらく神聖なものとされている品物に安易に手を振れることに抵抗があったし、それらから室内に毒が放出されたようには思えなかったからだ。


『う~ん、これらじゃなさそうだなぁ…』


「ああ、そう言えば!」


 大切な祭壇や装飾品が心配でどこかハラハラした様子でリュウイチを見守っていたエルネスティーネは急に何かを思い出したように声を上げた。


『何です?』


「そう言えばその燭台のロウソク!

 それだけがいつものとは違いますわ!」

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