第465話 現場確認

統一歴九十九年五月五日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニ/アルトリウシア



『今も具合の悪い人はステータスが「毒」になってますね…』


「「「毒…」」」


 リュウイチの報告を聞いた一同の反応はすべて同じようなものだった。内心、そうであろうと予想はしていたのだろう。

 最初はリュウイチから聞いていた一酸化炭素中毒であろうと予想していたのだが、笑い出したとか顔色が青くなった等の一酸化炭素中毒ではあり得ない症状から『それは一酸化炭素中毒じゃないっぽいですね。』と否定されてしまっていたのだ。

 言われてみれば部屋を閉め切っていたとはいえ、室内にいた人数はいつもより少なかったし、狭く締め切った部屋で火をたくさん燃やすと一酸化炭素中毒になると聞かされて以来、礼拝中に灯すロウソクの数もだいぶ減らしている。何本かが通常のロウソクよりも激しく燃える南蛮ロウソクに入れ替わったからといって、おそらくロウソクを減らす以前を上回るほどの火にはならない筈だった。

 そしてマティアス司祭は異常な魔力は感じてないと言っていたから、魔法やモンスターといったものが原因とも思えない。ならば、考えられるのは毒だけであろう。たしかに、顔色が悪くなる、幻覚、幻聴、頭痛、嘔吐などの症状は毒麦を食べさせられた時のカールの症状と似ている。


「ですが、私たちは礼拝中は何も口にしておりません。

 礼拝の前に香茶は飲みましたが、飲んでなかった者にも症状がでているのです。

 いったい、いつどこで毒を盛られたんでしょう?」


 エルネスティーネは苦悶の表情を浮かべ、手で額を抑えた。別にまだ頭痛がするわけではない。


 聖職者たちは既に一足先にティトゥス要塞城下町カナバエ・カストラ・ティティへ送り返しており、ここには残っていない。彼らを送り返した後、要塞司令部プリンキピアで待たされていたリュウイチが陣営本部プラエトーリウムへ戻され、早速リュウイチにカールの状態を確認してもらい、そしてカールと一緒に礼拝を受けていた侯爵家の家族や使用人たちの状態を調べてもらった。

 その際、魔法で解毒もしてもらっている。おかげで全員が体調を回復していた。


『その時の茶碗なんかは残っていますか?』


「一応、確保してはあります。

 ですが、残念ながらもう洗ってしまったそうで、毒を仕込まれていたとしても分からなくなっているかもしれません。」


 アルトリウスが残念そうに報告するとリュウイチも小さくため息をついた。


『まあ仕方ありません。では現場を確認してみましょうか。

 寝室クビクルムはまだ片付けてはいないのでしょう?』


「はい、そのようにお申し付けくださいましたので、あえて片づけはしておりません。

 ですが、てっきりイッサンカタンスだと思っていたので、窓を開けて暗幕を外してしまっているそうです。」


 陣営本部で礼拝中にまた一酸化炭素中毒が起きたらしい…そう要塞司令部へ報告が来た時、アルトリウスは既に報告会を終えていたため、リュウイチとリュキスカと共に別室に移って香茶を楽しんでいた。聖職者がマニウス要塞カストルム・マニにいる間はリュウイチたちを陣営本部へ戻すわけにはいかなかったから、聖職者たちが帰るまで香茶を飲みながらの雑談で時間をつぶしていたのだ。

 報告に来た連絡将校テッセラリウスから耳打ちされた時、アルトリウスは驚きを隠せなかった。コボルトの血を引くハーフコボルトであるため、リュウイチがこの世界ヴァーチャリアで会った人物の中で最も人間離れした風貌の持ち主であるアルトリウスではあったが、立ち居振る舞いは普段から実に貴公子然としている。そのアルトリウスもリュウイチが時折やらかすことに驚くことはままあったが、この世界ヴァーチャリアの人間同士の間でのやり取りの中で、そのような表情を見せることはリュウイチの記憶にはほとんどなかった。それゆえ、リュウイチは自然と何かあったかと気になってしまう。


『何かあったのですか?』


 その一言にアルトリウスは自分が表情をコントロールしきれていない事に気付いた。そして同時に話すべきかどうか躊躇した。

 陣営本部にはまだキリスト教聖職者たちがいる。彼らはまだリュウイチの事を知らないし、今の段階で知られるのは好ましくない。ここでもし事実を伝えてリュウイチが陣営本部に飛んで戻りでもしたら、聖職者たちにリュウイチの降臨がバレてしまうかもしれない…それを懸念したのだ。

 しかし、事はリュウイチの住まう陣営本部での出来事であるし、現在侯爵公子のカール・フォン・アルビオンニアはリュウイチの庇護下にある。もしも、このことを伏せてリュウイチの庇護下にあるカールの身に何かあれば、リュウイチの名誉を傷つけることになってしまう…上級貴族パトリキであるアルトリウスは実に貴族ノビリタスらしい発想でそう考え、受け取った報告内容をリュウイチに話すことにした。


「陣営本部で何かあったようです。

 礼拝中の侯爵家の皆様が突然体調を崩されたとか…

 幸い症状は軽く、全員命に別状はなさそうです。

 聞いたところイッサンカタヌス中毒かと思われますが、もしかしたらまた毒かもしれません。」


 アルトリウスはそのようにリュウイチに報告したのだが、全部話すべきだと決断した覚悟が強すぎたのか、本来言わなくていい「毒かも」と余計な一言まで言ってしまう。が、今回に限ってはその余計な一言が幸いした。事故ではなく事件の可能性があることを臭わされたリュウイチが『じゃあ、現場はなるべくそのまま残すようにしてください』と指示を与えたのだ。

 その指示はアルトリウスから従兵らを通じて陣営本部へ伝達され、危うく気を利かせた使用人たちによって現場が片付けられる寸前のところで“待った”がかけられたのだった。


 アルトリウスたちはリュウイチの奴隷のロムルスの案内で現場となったカールの寝室へ向かう。そこは確かにいつもと違って扉も窓も開け放たれていて、暗幕も取り除かれていた。外からでも室内の様子がある程度うかがえるような状態だった。

 室内を覗くとえたような臭いがして、アルトリウスは思わず顔をしかめた。見ると床には吐瀉物としゃぶつが点々としている。


「う、これは…」


 このような汚物の残された場所に高貴な人物を招き入れて良いはずがない。アルトリウスは立ち止まり、手で鼻を抑えてロムルスの顔を見た。


「おい、いくら何でもこれは…」


「すいません…手を付けるなとのお達しでしたので…」


 ロムルスはアルトリウスが何を言おうとしたのか気づき、慌てて辺りを見回した。片付ける道具…いや、それよりも誰かに手伝わせて…


『どうかしたんですか?』


 すぐ後ろにいたリュウイチがアルトリウスとロムルスの態度の急変に気付いて声をかける。


「い、いえ!その…現場を残せとの仰せでしたので…その…が少々…」


 アルトリウスは吐瀉物だけでも片付けさせるつもりだったが、アルトリウスの言う「汚れ」が何なのかリュウイチもすぐに気づいた。吐瀉物は室内だけではなく、庭園ペリスティリウム回廊ペリスタイルにも残されていたからだ。


『ああ、ゲロですか!?』


「申し訳ございません、すぐに片付けさせますので!!」


 アルトリウスは鼻を手で押さえながらもロムルスを見ると、ロムルスは既に掃除道具と手伝ってくれる仲間の確保のために駆け出していた。


『いや!片付けなくていいです!』


「し、しかし…」


『いやいや、もしも飲み物か食べ物に毒が盛られたなら、ゲロの中にも毒が残ってるはずです。』


 リュウイチはそう言って苦笑いを浮かべると、すぐ近くの…回廊のすぐ脇に落ちていた吐瀉物に近づいて手をかざした。


『ディテクト・ステータス…いや、違った。

 ディテクト・エンチャント…』


 アルトリウスにしろエルネスティーネにしろ、周囲にいた者たちは「そんなものから手がかりが得られるのか」と驚き、感心する。


『…毒は含まれてないですね。一応、他のも診て見ましょう。

 片付けるのはその後でお願いします。

 あ、いや、私が浄化魔法で片付けますよ。』


「いえっ!これくらいリュウイチ様を煩わせるわけには!!」


 アルトリウスが慌てて遠慮したが、リュウイチは笑って言った。


『これを片付けると言っても、どうせ最後は“汚れ物部屋ソルディドルム”に運び込んで浄化魔法で処理するんですから、同じですよ。』

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