第464話 悪魔の不在証言

統一歴九十九年五月五日、午後 - マニウス要塞陣営本部プラエトーリウム・カストラ・マニ/アルトリウシア



「それで、侯爵夫人マルキオニッサとカール閣下は無事なんだな?」


「はい、侯爵夫人は意識を回復されました。

 カール閣下も御無事ですが、ご家族を心配なさっておいでです。」


 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子は要塞司令部プリンキピアから陣営本部プラエトーリウムへ大股で足早に歩きながら、報告してきた従兵に状況を確認する。ただでさえガタイの大きいハーフコボルトのアルトリウスがそのように速足で歩くと、ただのホブゴブリンに過ぎない従者たちはほぼ小走りに近い格好でついて行かねばならない。

 裏口ポスティクムを通り抜け、庭園ペリスティリウムに出ると回廊ペリスタイルを使用人たちがあわただしく行き来している。カールの寝室クビクルムは扉も窓も開け放たれており、無人と化した寝室の真ん中には薄暗い室内だからこそ美しく見えるキンピカの祭壇が場違いなくらいに目立って見えていた。


「侯爵夫人は?」


「こちらです。」


 従兵に案内され、アルトリウスは食堂トリクリニウムへ通される。そこにはカール以外の侯爵家の一同と聖職者たちが寝椅子クビレに腰掛け、休んでいた。


「侯爵夫人!?ご無事ですか?」


「ああ、アルトリウス…ええ、まだ少し頭が痛いけど大丈夫よ。」


 エルネスティーネは抱きかかえていた末娘のカロリーネを覗き込んでいたが、アルトリウスが呼びかけると沈痛そうな顔を上げ、無理やり微笑んで見せた。横に座っているディートリンデやエルゼもグッタリして具合が悪そうである。


「何があったのですか?」


 アルトリウスが尋ねるとエルネスティーネは頭が痛いのか額を指先で押さえながらチラリと、向かいに座る聖職者らに視線を向けて答えた。


「わかりませんわ。何が起こったのか…

 礼拝をしていたの…でも途中から頭が痛くなり始めて、それで…我慢していたのだけど、その内誰かが急に笑い始めたの。」


「笑った?」


 アルトリウスは思わず顔をしかめ訊き返した。


「ええ、そうよ。侍女の一人だったわ…それから、他にも二人、三人と笑い始めて…そのうち具合が悪くなる者が次々と…私も急に胸が悪くなって…」


 そう言うとエルネスティーネはその時の吐き気を思い出したのか拳を作って口元を抑えた。ディートリンデもその時の自分の醜態を思い出し、隣に座る母にギュッと抱きつき、エルネスティーネはその肩を優しく抱いてやる。

 すると、侯爵夫人一家の座る寝椅子の向かいに座っていた聖職者たちの中から修道女がパッと顔を上げてアルトリウスに訴えた。


「悪魔です!悪魔が現れたんですわ!!」


「悪魔!?」


 さすがにアルトリウスも呆れとも驚きともつかぬ表情を作った。


「はい、悪魔です。あの時、あの部屋に悪魔が現れて、人々を害そうとしたんですわ!

 だからみんな気が触れたようになって「よしなさい!」…司祭様!!」


 修道女の訴えをマティアス司祭が遮った。


「悪魔などいない。あの場にそんなものはいなかった。」


「ですが司祭様!」


「これほど大人数に一度に害をなせるほど強い悪魔がいたのなら、気づけない筈はありません。あれは悪魔の仕業などではない。」


 この世界ヴァーチャリアでは基本的に魔力を有し、操れる者が神官になる。だがレーマ正教会は元々政治的理由によって結成された宗教団体であったため、必ずしも魔力が無くても聖職者になることができた。司祭や、それ以上の階級の者であっても、組織運営の必要性から魔力の無い者が役職に就くことは珍しくない。むしろ、魔力を持つ聖職者より魔力を持たない聖職者の方が多いという、この世界を見渡しても極めて稀有な宗教団体であった。

 そんな中でマティアスは例外的な人物だった。レーマ正教会の聖職者の中ではトップクラスの魔力を有する司祭であり、低位の治癒魔法ぐらいなら使うことができたし、ある程度強い精霊エレメンタルやモンスターを感知することもできた。そして、それゆえにレーマ正教会内で確たる地位を築いた魔力の権威でもある。その彼がここアルトリウシアで司祭をしているのももちろん理由があった。

 

 かつてカールが産まれたばかりの頃、肌が異様に白く赤い瞳を持って生まれた彼を見た当時のアルビオンニウム正教会の司祭はカールを「悪魔憑あくまつきだ」と言った。カールには悪魔がいている、殺さねばならない。殺さないにしても、侯爵家を継がせてはならないと。それを聞いたカールの父親であり当時の属州領主ドミヌス・プロウィンキアエであったマクシミリアン・フォン・アルビオンニア侯爵は激怒した。

 侯爵家と教会の関係は見る間に悪化し、アルビオンニウムの住民たちは司祭を支持する教会派と、マクシミリアンを支持する領主派に分かれて反目するようになってしまった。熱心なキリスト教徒の多いランツクネヒト族の多いアルビオンニウムで、ランツクネヒト族の大部分が教会派に付いてしまったのだ。

 しかし、ランツクネヒト族が多いとは言ってもアルビオンニウムの人口の半分にも満たない。さらにランツクネヒト族の中にも少数ながら領主派は存在した。そして、元々キリスト教に対してあまり面白く思っていなかった非キリスト教徒たちが一斉に領主派に加わり、ここぞとばかりにキリスト教会への批判を展開しはじめた。このため、アルビオンニウム市内において教会派と領主派の対立が深刻なものとなってしまう。このころ、アルビオンニウムで起きた暴力事件や殺人事件の二割近くが教会派と領主派の対立に関係するものだった。


 マティアスはそんな事態の収拾と教会と侯爵家の関係修復のためにアルビオンニウムへ派遣された司祭だった。レーマ正教会の中で魔力の権威であるマティアスが「悪魔憑きではない」と断ずれば、他の魔力を持たない、あるいは魔力の弱い聖職者たちはそれ以上何も言えなくなる。そして実際にアルビオンニウムへ着任したマティアスが診たところ、カールからもその周囲からも異常な魔力などは感じられなかった。

 教会派を率いてカールを悪魔憑きだと主張した司祭はマティアスが着任する直前に謎の急死を遂げ、マティアスが「悪魔憑きではない」と宣言したことによって事態は急速に鎮静化に向かう。

 悪魔憑きだと疑う声がまったく無くなったわけではなかったが、それでも大っぴらにカールを批判する声は無くなり、侯爵家と教会の関係も修復へ向かった。その後も再び悪魔憑きという噂が再燃しないようにするため、マティアスはアルビオンニウムに留まり続け、現在もこうして侯爵家の礼拝を担当し続けている。

 つまり、カールの魔力の監視と、そしてカールが悪魔憑きではないと確認し、証言し続けるのは、マティアスにとってきわめて重大な任務なのだった。


 マティアスはハンカチで額の汗を拭い、アルトリウスに顔を向けると断言した。


「あの時、そのような者はいませんでした。

 そのような強い魔力など私は感じておりません。

 子爵公子閣下ウィケコメス、すみません。どうかこの者ザスキアをお許しください。」


 アルトリウスの目をジッとまっすぐ見つめ、マティアスは修道女の非礼を詫びた。アルトリウスはマティアスの目をジッと見つめ、それから修道女の方をチラリと見た後でフッとマティアスに微笑みかけた。


「はい、スパルタカシア様がおられない今、アルトリウシアで一番の魔力の持ち主はマティアス司祭様をおいて他にありません。

 司祭様がそうおっしゃるのであれば、そうなのでしょう。

 もちろん彼女のことも咎めるつもりはございません。どうぞご安心ください。」


 アルトリウスがそう言うと、マティアスは礼を言うようにいまだ具合の悪そうな顔に微笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る