第1127話 暴走の理由

統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ルーベルトはコクリと大きく頷き、香茶で一旦舌を湿らせてから続けた。


『勇者団』ブレーブスの正体は言うまでもありません。

 ムセイオンの聖貴族コンセクラートゥス、ハーフエルフ様です。

 伯爵閣下ドミヌス・コメスは彼らの身柄を欲しております。

 それについて我々は文句を言うつもりはありません。我々の側には既にリュウイチ様がおわしますから、数人程度のハーフエルフをサウマンディアに譲ることには依存はありません。

 アルビオンニアはリュウイチ様を、サウマンディアは『勇者団』ブレーブスを……そのようにすることは、明文化どころか口約束すらしてませんが、おそらく予定調和でしょう。無言の合意があったと、我々は考えています。」


 その部分に何の異論もないラーウスはコクリと頷き、ルーベルトは話を続ける。


「ですが、『勇者団』ブレーブスはブルグトアドルフで罪を犯しました。

 ライムント街道では中継基地スタティオをいくつか破壊され、ブルグトアドルフでは百人を超える死傷者を出して街が壊滅状態……無視できぬほど大きな被害です。

 ゆえに、アルビオンニア我々には賠償を請求する権利がある……私はそのことを訴え、サウマンディアに釘をさしました。」


 そうだったか? ……ラーウスの記憶ではルーベルトは取り調べが終わったら聖貴族たちを引き渡すように要求していたはずだった。リュウイチをアルビオンニアで、『勇者団』をサウマンディアで分けるというようなことは言っていたような気がしない。が、メモを取っていたわけでもなかったし、今は確認のしようもない。


 記憶が改竄かいざんされたか?


 過去の自分の発言や行動……その中で都合の悪いものは「いってない」「やってない」「真意はこうだった」みたいに事実と異なるように言い出す者は少なくない。特に他人から追及されている場面ではそうだ。自分を守ろうとする本能が、無意識に自らの記憶を改竄し、都合の悪い部分を正当化してしまうのである。

 ルーベルトのこれもそれではないか? ……ラーウスは怪訝けげんな表情でルーベルトを見つめ、嘆息しながら言った。


「少なくとも、マルクスウァレリウス・カストゥス殿はを理解なされておられたように見えました。

 ですが、は誤解なされたかもしれませんな。」


 もしかしたらリュウイチと『勇者団』を分けるという話は真実で、ルーベルトは最初にあえて強く要求することで、その後のやり取りを優位に進めて適当な落としどころを見つけるつもりでいたのかもしれない。だとすれば今、ルーベルトは嘘をついてるわけでも記憶を改竄してしまったわけでもないのかもしれない。

 しかしマルクスはルーベルトの要求に対し、その場で回答せずにサウマンディウムに持ち帰ると言った。これはつまりルーベルトの真意を見抜けなかったことを意味する。ルーベルトはじっくり話し合いをするつもりでいたのに、交渉に不馴れたマルクスがルーベルトの意思を過剰に受け取って論戦から撤退してしまったということなのかもしれないが、もしそうならルーベルトの試みは失敗に終わったということなのだろう。

 それを自覚しているのかどうかは分からないが、ルーベルトは目を閉じ首を振ってみせた。


「残念なことです。

 ですが、誤解されてしまったのも仕方なかったかもしれません。」


 おや……自らの失敗だったと認めるのか?


 人間、立場が大きく、責任が重くなってくると自らの過ちを認めることが難しくなっていく。それは必ずしもその人自身の人格的な問題ではない。重い責任を伴う立場で何事かを成すには、周囲の信用や信頼が何よりも大切だ。というより、そうした信頼や信用を集めるからこそ、責任は重くなる。それが過ちを犯したからといって軽々に認めては、信用や信頼は失われることになるだろう。

 逆ではないか?……そう思われるのは当然だ。過ちは過ちと認めるからこそ、その人と安心して付き合うことが出来る。それは一つの真実ではある。が、重い責任ある人物が過ちを認めれば、その影響は広い範囲に及ぶのもまた事実なのだ。


 一つの事業を進める際に責任者の過ちによって事故が起きたとしよう。一人の被害者に謝罪し、損害を補償して事業の進展影響を及ぼすよりは、その被害者を無視して事業を進展させ、結果的に事業に携わる十人を幸福へ導いた方が良い……人道主義・人権主義・平等主義といった価値観とは決して相容れないが、そうした考え方は現実に存在する。専制主義や封建主義の世界では、むしろそちらの考えの方が主流であろう。そしてそうした考え方を信じ、受け入れ続けた者は自らの失敗を糊塗ことすることに疑問を抱かなくなる。少なくともそれによって、自分より高位の有力者を怒らせてしまう可能性がない限りは……。

 ルーベルトもまたそうした貴族的な感覚の持ち主だ。そのルーベルトが自分のせいでマルクスを誤解させてしまったと認めるのは、ラーウスには少し意外ではあった。が、ラーウスは少し楽観的過ぎたかもしれない。


「何せあの後、軍が『勇者団』ブレーブス対応に非協力的な態度をとってしまったのですからな。」


「!?」


 ルーベルトがそれまでと同じ淡々とした口調で続けると、ラーウスは思わず目を剥いた。


軍団われわれのせいだとおっしゃりたいのですか?」


「そうは申しません!」


 その表情からは先ほどまでの笑みは消えている。

 冗談ではない! 確かにルーベルトが『勇者団』の身柄の引き渡しを要求し、マルクスが持ち帰って検討することになった後、アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアはアルトリウシアへ帰還するルクレティアを追いかけてくるであろう『勇者団』に対処するため、ルクレティアによる協力を拒絶したうえにカエソーが捕虜を連れてアルトリウシアを通過することを拒絶した。しかしそれはリュウイチと『勇者団』の衝突という最悪の事態を避けるため、そしてルクレティアの一日でも早い帰還を実現してリュウイチの近辺を固めるために必要な処置だったはずだ。それはルーベルトを含む他の家臣団たちもあの場で同意したはずである。

 それなのにそれを持ちだしてマルクスを暴走させた責任を負わされたのではたまったものではない。だいたい、ラーウスはあの時あの発表には関わっていない。ゴティクスの発表した内容についてラーウスは知らされていなかったのだ。


「しかし今……」


「まぁまぁ」


 血相けっそうを変えるラーウスにルーベルトは両手をかざしてなだめた。


「誰のせいだなどと申すつもりはありません。

 だいたいゴティクスカエソーニウス・カトゥス殿の報告だって、ラーウスガローニウス・コルウス殿もあの時初めて知らされたのでしょう?」


 身を乗り出し気味だったラーウスはその一言で椅子から浮かしかけていた腰を落ち着かせる。人間、自分自身が責められている時と他人が責められている時では受け止め方がどうしても異なるものだ。ラーウスも自分の所属する軍団が批判されていると感じて感情をたかぶらせていたのだが、ここでルーベルトによってラーウス自身と発表を実際に行ったゴティクスが切り離されて定義付けられたことで、ラーウスは自分が責められているわけではないと気づいたのだ。

 落ち着きを取り戻した若き参謀ラーウスに宰相ルーベルトは続ける。


「私の主張は元々アルビオンニアの欲するところでしたし、軍団レギオーの現状説明も今後の方針も理にかなった事でした。

 どちらが悪かったというわけではなく、たまたまタイミングが重なってしまったのが悪かったのです。」


「……そしてアルビオンニアわれわれ『勇者団』ブレーブスを我が物にしようとしていると誤解されたマルクスウァレリウス・カストゥス殿は暴挙に出られた……?」


「そうです!」


侯爵夫人ドミナ・マルキオニッサはそのようにお考えなのですね?」


「そうです、私も奥様ドミナのその予想はあり得るかもしれないと今では考えております。」


 フーッ……ラーウスは溜息を背中を背もたれに預けた。

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