第1126話 グルギアの疑問

統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐ マニウス要塞カストルム・マニ幕僚宿舎プラエトーリウム・トリブニ/アルトリウシア



「新しい主人ドミヌスのこと?」


「……はい。」


 バルビヌスがいぶかしむように訊き返すと、グルギアはバルビヌスを正面から見据えて頷いた。バルビヌスの目には、燭台の小さく頼りない炎に照らされたグルギアの目は先刻の貴族たちの前で醜態をさらしてしまっていた時のような弱々しさは感じられない。どうやら本格的に回復し、意識もしっかりとしているようだ。何かの気の迷いや興味本位で尋ねているわけではないのだろう。しかし、今の段階で教えてやれることは何もない。


「済まんが詳しいことは何も言えん。

 お前が本当にあの方々に傍仕そばづかえすることが決まれば別だが、あの方々について話すことは禁じられておるのだ。

 無論、お前も外で今日拝謁した方々についてしゃべってはならん。」


隊長様ドミヌス・トリブヌスは私が召し上げられるだろうとおっしゃってくださいましたではありませんか?」


「正式に決まったものではない。」


 食い下がるグルギアにバルビヌスは悪い冗談でも聞かされたかのように顔を背けた。


「ワシの個人的な感想にすぎん。」


 言うんじゃなかった。少なくともグルギアコイツに聞かれたのは失敗だったかもしれん……バルビヌスの表情にはそんな後悔がアリアリと浮かんでいる。それは昼間見れば大して目立たなかったかもしれないが、暗い室内でたった一つの燭台の炎に照らされた彼の顔は、刻まれた皺も手伝って陰影が強調されて本当に忌々しそうだ。


 怒らせてしまった!?


 グルギアは一瞬ひるみ、無意識に身を引く。その気配にバルビヌスは顔は背けたまま目だけでチラリとグルギアの方を見た。彼女の顔にはおびえとも不安ともとれる表情が浮かんで見える。やはり暗さと頼りない光が強調する陰影によって、その表情は実際よりも少しばかり強調されてしまったようだ。バルビヌスはグルギアの予想以上の反応に内心で驚き、顔を背けたままではあったが思わず目を見開いてしまう。それに気づいたグルギアは不安を勇気に替えた。


マルクスウァレリウス様からは、大変高貴な御方だと伺っております。」


「んっ!?……ぬううん……」


 グルギアに虚を突かれたようなバルビヌスは唸りながらも慌てて視線を逸らせる。グルギアはバルビヌスの表情の変化にチャンスを見出す。バルビヌスはグルギアを拒絶しているわけではなく、口を滑らせてしまうのを恐れているのだ。ならば……グルギアはカマをかけてみることにした。


「ですが、まさか聖貴族様ドミヌス・コンセクラトゥスだとは思いませんでした。

 まさかあれほどの御方とは……」


 バルビヌスはギョッとして目を見開き、視線をグルギアに戻した。彼の目に映るグルギアの表情には自信に満ちた笑みが浮かんでいる。


「まさか!……そうか、お前も女神官フラミナだったか!?」


 バルビヌスの漏らした言葉にグルギアはニィっと笑い、その怪しい笑みによってバルビヌスはひっかけられたと悟った。慌てて視線をそらし、口をへの字に結び、目までつむる。その反応はグルギアの想像が当たっていたことを如実に示していた。思わず本当に笑いそうになるのを堪えながら、グルギアはバルビヌスの顔を無言で観察し続ける。

 グルギアの次の言葉が聞こえないことを不審に思ったバルビヌスが片目だけを開けてチラリと見ると、バルビヌスの顔を覗き込んでいたグルギアと目が合ってしまう。グルギアはフッと笑い、バルビヌスは再び目を閉じ顔を背けたまま口をへの字に結んだ。


「なんだ、魔力でも感じたのか?」


 バルビヌスは目を閉じていたので見えてないが、あくまでも威厳を保とうとするバルビヌスの強がりを嘲笑あざわらうかのようにグルギアの顔が歪む。


「いいえ、私には人の魔力を感じとれるほどの能力はありません。

 ですがあの御方は念話で話しておられました。

 聞こえるのは初めて聞く言葉なのに、意味がちゃんと分かる……こんなことが出来る御方はそうそう見つけられるものではありません。」


 念話か……!


 思わずバルビヌスは両目を開けた。顔を背けていたのでグルギアの姿は見えなかったが、バルビヌスの脳裏にはグルギアが笑っている顔が自然と浮かび上がる。


 何たる間抜け!

 リュウイチ様は念話で話しておられるのだから、只者ではないことぐらい気づかれて当たり前ではないか!?


 自分の間抜けぶりに驚き、内心で憤慨し始めるバルビヌスの耳にフッと笑うような吐息が聞こえた。目を動かし、そちらを見るとグルギアの顔が映る。


「リュ、リュウイチ様は確かに念話で話しておられた。

 だがそれは魔導具マジック・アイテムの力によるものだ。

 何という魔導具だったか……その名は忘れたが、とにかく身に着けた者は言葉の通じぬ相手と念話で会話できるようになるという代物なのだ。」


 バルビヌスはグルギアから顔を背けたまま、壁か天井を睨みつけるようにしながら一気にまくしたてるように説明した。『ソロモン王の指輪』リング・オブ・キング・ソロモンについてはバルビヌスも以前リュウイチ本人から話を聞いていて知っている。リュウイチの念話は魔導具によるもので、本人の力によるものではない……それは事実だ。


「そのような魔導具マジック・アイテムをお持ちで、しかも普段から使っておられるとしたら聖貴族コンセクラトゥムを置いて他にありませんでしょう?」


「ふふんっ」


 押されていたバルビヌスは初めて優位に立てたような気がして思わず鼻で笑ってしまう。


「お前はモノを知らんようだな。

 ここはアルビオンニアだ。

 ここより南は南蛮サウマンの地……大協約の定めに従わぬ蛮族の領地だ。

 だからここらにはムセイオンに収蔵されていない魔導具マジック・アイテムが、時折南蛮サウマンから流れ込むことがあるのだ。」


 ムセイオンに魔導具を納めるというのは大協約によって定められたルールだ。しかし大協約はレーマ帝国と啓展宗教諸王国連合の間で結ばれた講和条約のようなものであり、この世界ヴァーチャリアの全ての国や陣営が加入し批准しているわけではない。レーマ帝国でも啓展宗教諸王国連合にも属していない蛮族は当然、批准していないし、魔導具をムセイオンに納めなければならないなどという発想そのものがない。ゆえに、蛮族の地に近い地域ではバルビヌスが言うように時折、ムセイオンに登録も収蔵もされていない魔導具が出回ることがあった。

 だが、蛮族は大協約に批准していなくともレーマ帝国は批准している。グルギアはそこを突いた。


「あら、ならばムセイオンに御報告いたしませんと!」


 蛮族は魔導具を所有し、用いることもできるかもしれないが、レーマ帝国はしてはならないのだ。だからたとえ蛮族が魔導具を所有し、使用もしていたとしてもレーマ帝国臣民はやってはならない。蛮族から魔導具を手に入れたなら、その時点でムセイオンに収蔵する義務が生じてしまう。


「報告なら既に伯爵閣下ドミヌス・コメス侯爵夫人ドミナ・マルキオニッサもしておられる。子爵閣下ドミヌス・ウィケコメスもな。

 お前が気にすることではない。」


「報告なされたのに、何の処置も無いのですか?」


 ムセイオンに報告したのに放置されているという事実にグルギアは驚いた。グルギアの知る限り魔導具の扱いは非常に慎重を極めるものであり、ムセイオンで厳重に管理されている。実際、せっかく貸し出してもらえた魔導具を盗まれたグルギアの父は、彼自身に非があったわけでもないのに処刑され、グルギアの家族は全員が奴隷にされてバラバラに売り払われるという最悪な目にあわされている。だというのに、いくら蛮族から手に入れた魔導具とはいえムセイオンが放置しているとしたら納得がいかない。それが許されるのなら自分たち家族の運命は一体何なのだ?

 「お前が気にすることではない」・・・そう言って突き放したのに、まだ食いつき続けるグルギアにバルビヌスは苛立ちを覚え始める。まだ本人は自覚してなかったが、しかし腹の底で渦巻き始めた不快感をバルビヌスは無意識に抑え込みながら答えた。


「まだ沙汰さたがないのだ。

 報告を届ける早馬タベラーリウスはそろそろ帝都レーマに着く頃だろう。

 ムセイオンに届くのはあと半月は先だろうな。」

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