第1125話 暴挙の背景

統一歴九十九年五月十一日、夕 ‐ マニウス要塞司令部プリンキピア・カストリ・マニ/アルトリウシア



 ラーウスは片眉を持ち上げ、何とも言いようのない曖昧あいまいな笑みを浮かべた。


 マルクスの暴走がプブリウスの意向によるものだった……常識的に考えてあり得ないだろう。たしかにリュウイチに取り入ることができるなら、何をしたとしてもやるだけの価値はあるだろう。降臨者にはそれだけの価値がある。しかもリュウイチは只の降臨者ではなく、史上最強のゲイマーガメル暗黒騎士ダーク・ナイト》その人なのだ。

 が、リュウイチ自身にそれだけの価値があるのは間違いないが、その存在は絶対ではない。リュウイチはいずれ《レアル》に帰る身……今は帰還方法が分からないから仕方なくこちらに残っているに過ぎないのだ。リュウイチに取り入るために全てを犠牲にしたとして、それによって富や財産を得たとしても、それまでの過程で敵を作ってしまえばリュウイチが《レアル》に帰ってしまった後が危うくなる。

 サウマンディアはレーマ帝国で最も広大な面積を誇る属州であり、領主であるウァレリウス・サウマンディウス伯爵家は帝国南部でもっとも強大な権勢を誇る領主貴族パトリキだ。実力は爵位では伯爵より上位の筈のアルビオンニア侯爵家よりも高く、元老院セナートスレーマ皇帝インペラートル・レーマエも無視はできない。が、それも周囲に敵を作らないからこその権勢なのだ。

 サウマンディアは世界一広大な面積を誇る属州だが、生産力や経済力が面積に見合っているかというとそうではない。土地は広いが水資源に乏しく、農業生産力は高くない。鉱山などの地下資源も豊富というわけではなく、広すぎる領地は却って統治の足かせになっているほどだ。そんなサウマンディアが高い経済力を維持できているのは周囲に実際に脅威になり得る敵が存在せず、南に南蛮と対峙しているアルビオンニア属州が存在しているからに他ならない。要は交易による部分が大きいのだ。

 版図拡大を続けるレーマ帝国にとってもっとも重要な戦域はオリエネシア属州からさらに船で海を越えた先にある東方面だが、アルビオンニアは帝国の南方の最前線……東方に比べれば人々の関心は薄いものの、版図を広げるための少なからぬ支援がレーマ本国からサウマンディアを通してアルビオンニアへ送られる。そしてアルビオンニアは寒冷で農業生産には向かない代わりに銀と銅、そして鉛などの鉱物資源に恵まれた土地だ。それらはサウマンディアを通してレーマ本国へ運ばれ、帝国を豊かにしている。サウマンディアはレーマ本国とアルビオンニアを結ぶ中継地点としての役割を果たすことで少なからぬ富を得ている。


 そのサウマンディアがアルビオンニアとの関係を壊すようなことを良しとするだろうか?


 サウマンディアはアルビオンニアに莫大な支援を与えてはいるが、それは言って見れば先行投資的な意味合いが強い。アルビオンニアが存在することでサウマンディアがうるおうのなら、アルビオンニアに倒れられては困るし、逆にアルビオンニアが栄えればサウマンディアも共に栄えることが出来るのだ。平民プレブス下級貴族ノビレスの中には両者の共存関係を理解もせずに、アルビオンニアをサウマンディアより格下として扱い、プブリウスのアルビオンニアへの支援を批判する者が少なくないが、仮にアルビオンニア支援を打ち切ったとしてもサウマンディアが豊かになれるわけではない。むしろ、最終的に損をするのはサウマンディアの方だろう。

 しかし、実際に属州の運営に直接かかわっている貴族らや、ラーウスのように高度な情報を扱えている貴族たちは、アルビオンニアとサウマンディアが相互に依存しあっていることはよくわかっている。まして一方の頂点にいるプブリウスが分かっていないわけはない。


 それなのにプブリウスがアルビオンニア貴族の神経を逆撫でするようなことをしてまでリュウイチとの関係強化を推進しようとするだろうか?


 答は否だ……ラーウスの中でそれは考えるまでもないことだった。マルクスの暴挙がプブリウスの意向なわけはない。あり得ないことだ。なのにエルネスティーネがマルクスの暴挙がプブリウスの意向だったと言っている……ラーウスが微妙な反応を示したのも無理はない。

 男尊女卑だんそんじょひ社会のレーマでは女性の発言はとかく馬鹿にされやすい。それは領主貴族パトリキであっても例外にはならない。また何を馬鹿なことを……エルネスティーネの発言だと前置きされて突拍子とっぴょうしもないことを言われれば、聞いた者は誰であれ(男でも女でも)「女だから馬鹿なことを言っている」と無意識に決めつけてしまう。同時に、それが属州女領主ドミナ・プロウィンキアエの発言であることから、表立って嘲笑ちょうしょうすることも出来ない。……ラーウスの微妙な表情の背景にはそうした事情があった。


 他にももう一つ、この突拍子もないことを伝えてきたのがアルビオンニア属州の統治の実務を取り仕切る筆頭家令ルーベルト・アンブロスその人であったことも影響しているだろう。さすがに属州の宰相が自らの主君を馬鹿にするとは思えないし、自らの主君を公然と批判する者を許しもしないだろうからだ。


 馬鹿にしているわけでもなく、否定するわけでもなく、称賛するわけでもない。そんなラーウスの表情から、少なくともラーウスは愚か者ではないと判断したルーベルトは身を乗り出して声を潜めた。


侯爵夫人ドミナ・マルキオニッサももちろんマルクスウァレリウス・カトゥス殿の暴挙そのものが伯爵閣下ドミヌス・コメスの御命令によるものだったとはお考えではありません。

 伯爵閣下ドミヌス・コメスの御意向を実現するためにマルクスウァレリウス・カトゥス殿が独走した……それが先ほどのであったのだろうと、そのようにおっしゃられておられます。」


 ラーウスは笑みを遺したまま口を真一文字に結んだ。納得しかねるのだ。


マルクスウァレリウス・カトゥス殿があのような行動に出ることで実現されるサウマンディアの利益が何なのか、小官には想像が付きません。」


 領主貴族とはいえ女の、突拍子もないでこちらまで振り回すのはやめてほしい……ラーウスの内心を言葉にするならそういうことだった。エルネスティーネは女なのだからよくわからないことを言い出すのは仕方ない。だがそれをどうにかするのはアンタの仕事だろう? ラーウスの認識ではルーベルトの役目にはそういうことも含まれている筈だ。だがルーベルトは信じがたいことにエルネスティーネの世迷言よまいごとを侯爵家の内側で処理せず、こちらにまで持ち掛けている。正直言って迷惑以外の何物でもない。が、相手が属州の宰相、侯爵家筆頭家令となるとそのように正直に突っぱねるわけにもいかない。

 ルーベルトはラーウスのそうした内心を知ってか知らずか、諦めずに話を続けた。


「おそらくはサウマンディアの警告だったのです。」


「警告?」


 ラーウスは困りきった様な笑みを強めながら訊き返す。


「ええ、貴官も御記憶でしょう。今日の昼の会議のことです。

 おそらく我々は、サウマンディアの利益を圧迫した……少なくともマルクスウァレリウス・カストゥス殿はそのように考えたのです。」


「……それがつまり、『勇者団』ブレーブスということですか?」

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