第349話 護衛任務志願

統一歴九十九年五月二日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 朝食イェンタークルムを終え、ルクレティアとヴァナディーズはアルビオンニウム行きの準備のために、カールは自習のためにそれぞれの寝室クビクルムへ下がり、普段居間代わりに使っている食堂トリクリニウムでくつろいでいたリュウイチの前に奴隷たち八人が整列していた。


 普段、彼らはリュウイチが起き出す前に自分たちの朝食を済ませ、身だしなみを整え、リュウイチたちの朝食の準備を整える。次にリュウイチが食堂で朝食を摂り始めると、ほぼ総員で陣営本部プラエトーリウム内の掃除を始めるのだ。もっとも、実際の清掃や洗濯等洗い物の処理はリュウイチが浄化魔法でどうにかしてしまうので、彼らの場合は汚れ物を汚れ物部屋ソルディドルムへ運び入れ、前日に汚れ物部屋内で浄化魔法によってきれいになった備品類を各所に設置して、ベッドのシーツや毛布、家具やカーテン等を整えるぐらいである。他の一般的な貴族ノビリタス屋敷ドムスで働く使用人たちに比べればかなり仕事量は少ないと言って良い。


 それでも、今の彼らは本来なら何らかの仕事をしているはずであった。そして、リュウイチは彼らの清掃作業を邪魔しないようにするために、こうして居間代わりに使っている食堂で時間をつぶしているはずなのである。

 寝椅子レクトゥスに腰かけたリュウイチの前に横一列に整列したホブゴブリンたちは衣服もビシッと整え、緊張の面持ちで直立不動の姿勢をとっている。


『それで、改まって話って何ですか?』


「ハッ!

 旦那様ドミヌスがこの度、聖女サクラとして迎えられたルクレティア様が本日よりアルビオンニウムへ赴かれると伺いました。」


 全員が直立不動の姿勢でリュウイチの背後の壁の上の方を睨んだまま、やはり同じように直立不動で上の方を睨んだネロがやや上ずった声で発言する。どうやら彼が代表らしい。まあ、元々ネロは彼らの十人隊長デクリオだったのだからこういう面倒な役割を押し付けられているのだろう。いや、もしかしたら自分から買って出ているのかもしれないが・・・。


『あ、うん、そうだね。それが?』


「ハッ!

 僭越せんえつながら、ルクレティア様のアルビオンニウム行きに際し、警護をお付けになってはいかがかと具申ぐしんするものであります。」


『警護?』


「ハッ!

 その……聖女様の近衛として、自分たち全員志願いたします!」


 要するに彼らは出かけたいのだ。リュウイチに出会って魔法で眠らされて以降、ずっと身柄を拘束され、危うく死刑にされるかと思いきやリュウイチの奴隷にされ、その後はほぼずっとリュウイチと共にこの陣営本部に缶詰めにされているのである。

 いや、リュウイチに比べれば陣営本部周辺であれば出歩くこともできるし、陣営本部の向かいに設置された特務大隊コホルス・エクシミウス専用の酒保しゅほで飲み食いすることも女遊びすることもできる分だけ恵まれた環境にいると言える。用を命じられているのであれば外に出かける機会もないわけではない。実際、このうち何人かはリュキスカの護衛やクィントゥスの付き添いで何度か要塞カストルムの外に出かけてもいるのだ。

 だが、彼らが慣れない奴隷生活でフラストレーションを溜めているのも事実だった。軍団兵レギオナリウスだった頃に比べて、自由に出かけることも、外で飲む食う打つ買うといった遊びが出来なくなっているのは確かなのだ。それでも一般の奴隷に比べればかなりマシではあるのだが、機会があるなら是非出かけたいと思うのは致し方のないことであろう。


『そうは言ってもなぁ…警護はクィントゥスさんの部下がやるらしいよ?』


 リュウイチがそう言うと奴隷たちに動揺が広がる。


「ど、どれほどの兵がつくのでしょうか?」


『たしか、三個百人隊ケントゥリアだったかな?』


 奴隷たちがあからさまに動揺し、互いに顔を見合わせたりしはじめる。

 レーマ軍の標準的な歩兵大隊コホルスは六個の百人隊で編成される。クィントゥス率いる特務大隊は変則的な臨時編成の大隊コホルスなので五個百人隊から成っていた。三個百人隊と言えば、大隊戦力の六割を送り出すことになる。一人の要人の警護としてはあからさまに過剰な戦力だった。

 もちろん、これらの戦力は全員がルクレティアの警護というわけではない。ルクレティア一行にはアルビオンニウムに上陸するサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの増援部隊を迎えるためにアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスが同行することになっており、その護衛も兼ねている。さらに言うならルクレティアはアルビオンニウムでの祭祀が終わればアルトリウシアへ戻ってくるが、セプティミウスの方はそのまま連絡将校としてアルビオンニウムに残留する予定なので、護衛部隊のうち一個百人隊はそのままアルビオンニウムに残ることになっていた。


「ご、護衛戦力としては、そ、それで十分かも知れませんが…」


 明らかに護衛としては十分すぎる兵力だ。だが、やっぱり出かけたいという気持ちを諦めきれないのか、ネロは頑張って意見具申を続ける。


『知れませんが?』


「ハッ!

 リュ、リュキスカ様がティトゥス要塞カストルム・ティティに行かれた際は、十分な護衛が付いていた上に自分たちのうち四名が警護に就きました。こ、これでその、ルクレティア様に自分たちの警護が付かないとなると、その、お二人の扱いに差が生じます…それは、その、あまりよろしくないのではないかと…愚考します」


『ああ、なるほど…』


 よし!さすがネロの旦那だ!!…と、心の中で思っているのだろう。他の七名の顔に希望の輝きが宿った。


「軍団兵の他に、旦那様ドミヌスが自分たちの内の何名かでも護衛に付けたとなれば、ルクレティア様も旦那様にそれだけ大事にされていると思われ、きっと喜ばれるのではないでしょうか!?」


『うん、言いたいことはわかった。』


 リュウイチがそう言うと他の七人と同様、ネロの表情もわずかに明るくなった。笑みをかみ殺している風である。


『だけど、出発は今日だよ?旅の準備なんて今からで間に合うの?』


おそれながら、自分たちは旦那様がいつお出かけになられることになろうとも、どこへでも御供できるよう準備は万端ととのえてございます!」


 ネロがそう言うと全員が一斉に胸を張った。彼らが近代的な軍服を着ていたなら、一斉に踵を鳴らしていたかもしれない。


『ふーん、わかった。でも全員は無理だよ?

 こっちにも仕事はあるし、リュキスカが出かけることになったらその警護を君らに頼まなきゃいけないんだし?』


 これを聞いて奴隷たちのうち何人かの表情が微妙なものになる。特に八人の中で唯一赤ん坊の世話ができるオトは、現状でさえリュキスカの専属みたいになっているだけあって早くも諦めてしまったようだった。


「ハッ、承知しております。

 自分たちも全員がルクレティア様の御供に就けるとは思っておりません。

 あくまでも、自分たちに行くつもりがあるという意思表明の志願であります。」


『じゃあ、行くメンバーはもしかしてもう選抜してるの?』


「それはまだであります!」


『わかった、じゃあルクレティアとかクィントゥスさんたちと相談してみよう。』

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