第350話 ルクレティアの旅装
統一歴九十九年五月二日、昼 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア
《レアル》古代ローマ建築の流れをくむ伝統的レーマ建築には
天窓の真下には床に
天窓から差し込む陽光によって、日中ならば屋内でも十分明るい中庭は
まあ、それは一般的な屋敷の話である。屋敷の規模が大きくなりすぎると、水道を引いたり専用の井戸を設けたりすることも容易になるし、家人の生活の場に水盤を造る必要はなくなってくる。家人がくつろいでいる目の前で使用人や奴隷たちが家事に使う水をバケツで汲み出すというのは、家人にとってあまり好ましいものではない。奴隷や使用人にとっても、家人の目の前で作業をするというのはどこか監視されているようで窮屈に感じるし、家人の目の届かないところで仕事を完結できるならそれに越したことはない。
このため、ある程度大きな屋敷となると、実用に供するための水盤は家人が普段訪れない場所に別に用意し、家人がくつろぐための中庭には水盤を設けないか、あるいは設けたとしてもそこから生活用水を汲んだりしない、それどころかそこに観賞魚を飼ったりするような、装飾としての水盤を設ける例も出てくるようになる。
現在リュウイチたちが生活している
通常の中庭には無いものだが、中庭が広い分だけ屋根の張り出しも大きくならざるを得ないため、水盤と天窓を囲むように、屋根を支えるための
一応軍事施設であるため、
ただ、中庭の規模に合わせて水盤も非常に大きなものになっており、周囲を囲む列柱のせいもあって、見た目は一般人が想像する中庭というより水の神殿とでもいうような、どこか
しかし、いかな静謐な風情も人の存在感があるとたちまち台無しになる。騒々しく声をあげる者があればそれは
今、中庭の静謐な風情を台無しにしている人たちの中心にいたのはルクレティア・スパルタカシアであった。いや、今日からはルクレティア・スパルタカシア・リュウイチアが正式名となっている。
そのルクレティアがアルビオンニウムへの出発を前に、今回の護衛隊長を務めるセルウィウスと侍女のクロエリアを相手に駄々をこねだしていた。
「いやよ!せっかく戴いたんですもの!」
「ですがルクレティア様、その
「大丈夫よ!どうせ道中は馬車の中で過ごすのよ!?」
「そうかも知れませんが……」
ルクレティアの主張は
今回は陸路を取るため、行きも帰りも馬車である。ルクレティアが愛用している父から譲り受けたクーペ(二輪馬車)ではなく、スパルタカシウス家の公式行事用馬車で、四人乗りのキャビンが付いた四頭立ての立派な馬車だ。幌を張れば外から車内の様子など全く見えない。途中の宿泊も宿場町はあえて利用せず、街道上の街と街の間のに点在する
だが人の目に留まる可能性は低いとはいえ、絶対にないという保証はない。ルクレティアは
そして何より
しかし、ルクレティアとしてはせっかく貰った
「リュウイチ様の事が公表されればいくらでも人前で着る機会はございます。
どうかそれまでご
「それは駄目よ! リュウイチ様は私の今回のアルビオンニウム行きの為にこれらを御用意してくだすったのよ!?
今回着ないなんてあり得ないわ!」
ルクレティアの言い分が分からないわけではないが、周囲の者からしたらたまったものではない。リュウイチの秘匿の為にエルネスティーネやルキウスといった、アルトリウシアでトップの
『何だい? どうかしたのかい?』
着る着ないの押し問答が続いたところへ、奥からリュウイチが姿を現せた。ルクレティアの護衛に就けられることになった奴隷のリウィウスが気を利かせ、同じく護衛として同行することになったカルスにリュウイチを呼び出させたのだった。
「ああ、リュウイチ様!?」
ルクレティアは不味いところを見られたと焦り、他の者たちは一斉に跪く。それに気づき、一歩遅れてルクレティアも跪いた。
『何かあったの?』
「
全員が
『そうなのかい?』
「は、はい…その、お騒がせして申し訳ありません」
ルクレティアは跪き顔を伏せたまま申し訳なさそうに言った。
『うーん……たしかに目立つのは不味いねぇ……』
リュウイチが頭をボリボリ掻きながらそう言うとルクレティアはパッと顔を上げリュウイチを見る。その目は何か救いを求める様であったが、数秒リュウイチを震える瞳で見つめた後、無言のまま残念そうに顔を伏せた。
「
リュキスカ様は
リュウイチがルクレティアに脱ぐように言おうと思った矢先、リウィウスがそう発言し決断を鈍らせた。確かにリュキスカは魔導具ではなかったとはいえ
『え、ああ…うん?』
リウィウスの発言を受けて一度は決めていたらしい判断をリュウイチがあからさまに鈍らせると、周囲の全員がリウィウスを見た。
こいつはどっちの味方なんだ!?
てっきりリュウイチに着るなと言わせることでルクレティアに諦めさせるつもりだろうと全員が思っていた。ところが、肝心のところでリウィウスはリュウイチの発言を思いとどまらせてしまう。
ルクレティアの事を「
「
『ポーチ?』
「へぇ、コイツで」
リウィウスは腰に付けているリュウイチから貰った
『それ?』
「へぇ、これなら見た目より結構入りやすんで、旦那様から戴いた
リウィウスはニッコリと笑いながらそう言った。彼のポーチが口を通り抜けるものなら何でも四十八品目、合計四千七百五十二個まで入る魔導具だと知っているのはリュウイチの奴隷たちだけである。実を言うとリュウイチ自身は普通のポーチだと思って渡していた。
『そ、そうか?
ま、まあそう言うなら試してみてもいいか……』
大きさ的には確かに小さく畳めば入らないこともなさそうに見えなくもない。いや、かなり苦しいだろう。リュウイチは半信半疑ながらポーチを取り出し、ルクレティアに渡した。
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