第138話 ヴァナディーズ襲来

統一歴九十九年四月十五日、午前 - マニウス要塞陣営本部/アルトリウシア



 一時はアイゼンファウスト地区の避難民を目一杯収容していたマニウス要塞カストルム・マニからは約二千人ほどがティトゥス要塞カストルム・ティティへの移動を完了しているが、代わりに約五百名のサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの救援部隊を収容しており、未だに要塞内は軍事施設とは思えないほどの賑わいを見せている。

 今後さらにアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアの救援部隊が約千五百名ほども来ることを考えると、降臨者リュウイチの存在を秘匿するには全く好ましからざるこの状況が改善する見込みは全くなかった。


 現状ではあと八百人程度はティトゥス要塞へ収容可能なはずだったが、アイゼンファウストの人口減少を嫌うメルヒオールの手前、ただ単に八百人の頭数を適当に強制移動させればよいというわけにもいかない。移動させる必要はどうしてもあるのだが、それなりに言い訳のたつように人選しなければならなかった。

 しかし、既に積極的移動希望者は大部分が移動済みだったし、ここへきて積極的な移動希望者の中にも心変わりし出す者が出てきており、人選を困難にしつつある。


 ティトゥス要塞への積極的な移動希望者の中心になっていたのはヒト種の娼婦や水商売をしている者たちである。

 ゴブリン系種族よりヒト種の多いティトゥス要塞へ移動すれば、このままマニウス要塞で配給を受けながら復興を待つよりもマシだろうという考えが、移動を希望する最大の理由だったのだ。

 ところが、移動希望者がティトゥス要塞へ移動するのと入れ替わるようにサウマンディア軍団がマニウス要塞への駐屯を始めた。しかも、今後さらにアルビオンニア軍団もマニウス要塞へやってくるという。

 サウマンディア軍団もアルビオンニア軍団もどちらもヒト種の軍団兵レギオナリウスで構成される軍団である。しかも軍団兵は下っ端の兵士ですら、大規模火山災害後の困窮こんきゅうにあえぐ現在のアルビオンニア属州では割と実入りが良い職業だ。

 つまり、軍団兵は娼婦等水商売に生きる者たちにとってなのだ。


 ティトゥス要塞へ移動するよりマニウス要塞に残った方が稼げる!?


 そんな話が一挙に広がり、ティトゥス要塞への移動希望者が激減してしまったのである。

 もちろん要塞内でなんか認めるわけにはいかないし、要塞前の城下町カナバエには既に昔から商売をしていた地元業者たちがいる。ハッキリ言って今マニウス要塞に収容されている避難民たちにとってのビジネスチャンスなど、期待されるだけ迷惑でしか無いのだ。

 だが、当人たちにそんなことは関係ない。

 水商売は少しでも客に近いところに居なければ客の取りようが無いのだから、今ティトゥス要塞へ移動させられるぐらいならアイゼンファウストへ戻った方がまだマシだという判断が今や避難民たちの間では支配的なのだ。

 おかげで避難民移送計画は行き詰まりを見せていた。



 そうした背景もあって軍事施設とはとても思えない、まるで一つの街が出来上がってしまったかのようなマニウス要塞の中へ、衛兵隊に囲まれた一台の馬車が進入してくる。アルトリウシア領主ルキウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵の馬車であった。

 馬車は衛兵隊に囲まれたまま中央通りウィア・プリンキパーレスを進み要塞司令部プリンキピアを迂回してその裏にある陣営本部プラエトーリウムへ向かう。そこはクィントゥス隷下の特命大隊によって厳重な警備の敷かれた立ち入り禁止区域で、そこまで来るともう避難民たちの視線も喧噪も気にならない。

 馬車の後ろに立ち乗りしていた従者フットマンが踏み台を用意し馬車の戸を開ける。そして名乗り奴隷が高らかな声でルキウスの来着を告げると、馬車からルキウスが、そしてそれに続いてムセイオンの女学士ヴァナディーズが姿を現した。



「ヴァナディーズ女史!?」


「おはようございますスパルタカシアルクレティア様。

 いえ、もうこんにちわですね?

 さあ、授業の時間です。」


 ヴァナディーズはアルビオンニア以南の降臨の跡を調査するためにムセイオンから来た学士であるが、同時にルクレティアの家庭教師でもあった。ルクレティアの家庭教師を務める代わりにスパルタカシウス家からアルビオンニア滞在中の生活の面倒や研究の支援をしてもらうという契約を結んでいたのだ。


「いや、だって、私はリュウイチ様の・・・」


「それはそれ、あなたはあなたでお勉強は必要です。

 お父様ルクレティウスのお言いつけで参上いたしました。」


 レーマ貴族はレーマ神学校の卒業資格がなければ家督を相続する事が出来ない。そしてルクレティアは父ルクレティウス・スパルタカシウスの一人娘であるため、家督を相続しなければスパルタカシウスの家は断絶してしまう。

 本当ならルクレティアは今頃レーマの神学校へ留学している筈であったが、一昨年の火山災害で父ルクレティウスが重傷を負い、その後遺症で神官としての職務の遂行に支障が出たため、ルクレティアは急遽神学校を中退して帰郷したのだった。


 何らかの理由でレーマ神学校に通えない貴族子弟は資格を有する家庭教師の教育を受ける事で、レーマ神学校卒業資格を取得する事が出来ることになっていたため、スパルタカシウス家は資格を持っていたヴァナディーズを家庭教師として迎え入れていた。

 ちなみに、現在のアルトリウシア子爵ルキウスも家庭教師で神学校卒業資格を得ている。


「き、今日でなければいけませんか?」


「もう何日授業を怠けてると思ってるんですか?」


「べ、別に怠けてるわけじゃ・・・

 ただ、今日はこれからリュウイチ様がお出かけするので・・・」


 ルクレティアはリュウイチの巫女になりたいと思っていた。その実績も積みたいと思っていたし、実際にリュウイチの側に仕えて身の回りの世話を色々焼こうとしている。

 しかし、リュウイチは掃除や洗濯は浄化魔法を使ってルクレティアがやる以上に完璧にやってしまうし、せいぜい暇な時の話し相手ぐらいしか出来ていない。しかも昨日から奴隷が八人も来てしまっていて、リュウイチの側仕そばづかえとしてのルクレティアの立場をおびやかしているのだ。

 奴隷たちが今後どんな仕事を担っていくかはわからないが、ルクレティアの領分を確保する上でも、ルクレティアと奴隷たちとの仕事の分担が決まるまではリュウイチの側から離れたくはなかった。


「お出かけ?」


 ヴァナディーズが怪訝な表情を浮かべると、ちょうどそこへ杖を突きながらルキウスがやってきた。


「いや、それは心配に及ばん。

 今日は大人しく勉強していなさい、ルクレティア。」


 ルキウスは同じ宿舎プラエトーリウムの公務エリアの中庭でクィントゥスから今日のこれからの予定について説明を受けていたのだった。


「うっ・・・ルキウス様、でも・・・」


「今日のの事はいまカッシウス・アレティウスクィントゥスから聞いたよ。

 そちらにはルキウスが同道させてもらう。」


「いや、でも、だって・・・」


「大丈夫だ。

 この要塞カストルムから出るわけじゃないんだし、ルキウスもいればアルトリウスもいるし、カッシウス・アレティウスクィントゥスも一緒だ。

 ルクレティアが心配するようなことは起きんだろう。


 それに、ここまでの道中で彼女ヴァナディーズから話は聞いたよ。

 勉強はちゃんとやるという約束でリュウイチ様の御側へ仕えることを許されたのだろう?

 ならば約束は守りなさい。

 御父上ルクレティウスを心配させてはいけないな。」


「ぐ・・・」


「それに、巫女になるにしても勉学は積んでおいたほうが良いのではないかね?」


 もはやぐうの音も出なかった。ルクレティアも所詮は十五の小娘である。そろそろ縁談の一つでも進めねばならないような年頃ではあったが、まだまだ一人前とは到底言い難い。


子爵ルキウスのおっしゃる通りです。

 今日からヴァナディーズも、こちらに起居ききょさせていただきますがよろしいですね?」


「そ、それは!!」


 ヴァナディーズのその宣言はルクレティアを驚愕させた。

 いや、リュウイチの側に仕えながら勉学を積むということを考えればそれは素晴らしいアイディアと言えるだろう。

 しかし、現状でそれをやるという事は、リュウイチの側仕えとしての仕事におけるルクレティアの領分がますます奴隷たちに脅かされることを意味している。ルクレティアのリュウイチの巫女としての将来に暗雲をもたらすものだった。



「それについてはルキウスからリュウイチ様にお話ししておこう。

 何、もしリュウイチ様がヴァナディーズ女史がここに住むのを断るのであれば、要塞内の空いている高級将校用宿舎プラエトーリウムを用意しよう。」


「まあ!ありがとうございます、閣下ルキウス!」


 気を利かせすぎなルキウスとそれを喜ぶヴァナディーズの姿を見て、目の前が暗くなっていくのを感じたルクレティアだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る