第137話 侯爵家の日曜礼拝

統一歴九十九年四月十五日、午前 - ティトゥス要塞エルネスティーネ邸/アルトリウシア



 遥かな昔、大戦争が起こる前、あるところに降臨者が現れた。

 降臨者の名はパウル・フォン・シュテッケルベルク。伝承によれば《レアル》世界の十六世紀前半、騎士戦争当時のドイツ南部より降臨してきたとされ、ヴァーチャリアにドイツ傭兵ランツクネヒト文化とドイツ騎士道を伝えた。


 降臨者が《レアル》世界の有名人であれば、その後の他の降臨者によって《レアル》世界におけるどのような存在だったか知ることが出来る場合がある。しかし、彼の場合は確認できなかった。

 フランツ・フォン・ジッキンゲンやウルリヒ・フォン・フッテンのような騎士戦争の中心人物について、パウル・フォン・シュテッケルベルクの口から語られた記録はあるが彼自身の立ち位置や果たした役割などについて具体的に語られたというような記録は無い。

 そもそもシュテッケルベルクと言えばフッテンの生まれた土地の名前らしい。フッテンという領主がいるのにシュテッケルベルクを名乗ってる人物が存在する事に疑問を投じる降臨者研究家は少なくない。シュテッケルベルクという土地のパウルという人物が、降臨してから出身地であるシュテッケルベルクを名乗ったのではないかという説が有力だ。

 真相は誰にもわからない。


 ただ、パウル・フォン・シュテッケルベルクという降臨者がドイツ傭兵ランツクネヒト文化とドイツ騎士道とを伝えたという事だけは歴史的事実だった。そして、彼を迎えたヴァーチャリアの人たちは、ランツクネヒトという名を部族名として名乗るようになる。

 ランツクネヒト族、またはランツクネヒト人と呼ばれる者たちの誕生である。


 肌の黒さゆえの迫害を逃れ、敵側であったはずのレーマ帝国へ渡った彼らの末裔は、やがて新属州アルビオンニアの統治を任され移り住んだ。

 現在、アルビオンニア属州に居住するヒト種のレーマ帝国人のほぼ九割が褐色の肌を持つランツクネヒト人である。もっとも、貴族や豪商たちは政略結婚を繰り返した結果肌の色がだいぶ薄くなっているが・・・。


 ランツクネヒト族、あるいはランツクネヒト人と呼ばれる人々は派手好きだ。戦場に在っては雄々しく勇敢であり、婦人を敬い、情熱的にリートを歌い、自由と名誉を貴ぶ。そして敬虔なキリスト教徒でもあった。それはアルビオンニアに移り住んでからも変わりない。

 ゆえに、日曜日の昼は多くのヒトが教会へ集まって礼拝に参加する。


 だが、その礼拝にエルネスティーネは参加しない。彼女も敬虔なキリスト教徒ではあったし、以前は毎週日曜日はかかさず教会へ通っていた。

 しかし、今は教会へは通わず、日曜日の午前中に司教を呼んで一般のキリスト教徒たちとは別に礼拝をやってもらっている。

 理由は長男のカールだった。


 彼はアルビノで日中は外出する事が出来ない。その上、による骨の変形や軟化等もあって部屋から出す事自体が難しい。教会へ連れて行く事が出来ないのだ。

 だから、一般信徒とは時間をずらして、司教にカールの部屋まで来てもらって礼拝を執り行ってもらうのだ。侯爵家一家はこれを六年ほども続けていた。

 


「ありがとうございました司祭様。

 今日も大変すばらしい礼拝でしたわ。

 こちらは些少ですが、どうぞお納めください。」


 カールの部屋を出たところでエルネスティーネは礼拝を執り行ってくれた司祭に礼を言い、お布施を差し出した。


「これは、いつもありがとうございます、侯爵夫人フュルスティン

 神はいつでも我ら信徒を見ておいでです。

 神はきっといつか、その御志に報いる事でしょう。」


「そう願わずにはいられません。

 そういえば、司教様はまだお戻りにはなられませんか?」


 エルネスティーネから銀貨の入った袋を受け取った司祭は、礼拝の助手を務めた修道女にそれを渡しながら答えた。


「先日、ズィルバーミナブルグへ到着したと便りがありました。

 かの地をどれほど調査するかは分かりませんが、これまでの様子からすると短くとも一週間、長ければ一月ほどもかの地に留まるかもしれません。

 しかし、冬までにはお戻りになられると思いますよ。」



 レーマ帝国のキリスト教会は敬典宗教諸国連合の教会から独立したレーマ正教会である。アルビオンニアで暮らす多くのランツクネヒト人らと同様、敬典宗教諸国連合側から亡命してきた人たちに含まれていたキリスト教聖職者らによって立ち上げられた教会だ。


 この世界ヴァーチャリアへ伝来したキリスト教やイスラム教は大きな変化を受けた。

 元々、《レアル》という別の世界の宗教であり、それを伝えた降臨者たちは全員がという現象によって別の世界へ転移してくるという経験を持っている。

 降臨者からもたらされる知識や考え、価値観といったものをほぼそのまま受け継ぐ傾向にあるこの世界ヴァーチャリアの住民は、当然降臨者の齎した宗教もほとんどそのまま受け入れた。

 だが、ヴァーチャリアは聖書に書かれた《レアル》の世界とは明らかに異なる。

 《レアル》にはいないが、この世界ヴァーチャリアには精霊エレメンタルが実在し、亜人や獣人や魔獣が実在しており、それらは生活に密着しすぎていた。


 明らかに実情に適合しない宗教は、実情に合わせて変化するか、実情の方を宗教に合わせようとする。


 結果としてこの世界ヴァーチャリアは《レアル》とは別の世界であり、キリスト教やイスラム教の神は《レアル》の創造主であって、この世界ヴァーチャリアの創造主とは異なる。あるいは創造主は同じだが、この世界ヴァーチャリアは《レアル》とは別に創り直した他の世界である・・・とする認識に基づき、この世界ヴァーチャリアに適応すべきだという考えに基づく《適応派》と呼ばれる考え方と、あくまでも本来の教えをそのまま受け継ぐべきで世界ヴァーチャリアの方をに合わせるべきだという考えに分かれた。


 レーマ正教会は適応派であり、敬典宗教諸国連合側で主流となっているカソリック教会(世界の方を教えに合わせるべきだとする考え)からは異端とされている。

 レーマ正教会が適応派でまとまったのは、カソリックの考えと真っ向から対立するレーマ帝国側で信仰を保ちながら生き続けるには、レーマで信仰されている異教の神々を迎合する必要があったという事情も背景にはあっただろう。

 それら異教の神々の多くもまた《レアル》産の宗教ではあったが、キリスト教などの一神教などよりよほどこの世界ヴァーチャリアへスムーズに適応し、この世界ヴァーチャリア土着の神々や精霊たちとの融合を果たしていた。

 彼ら異教の神々を否定して生き残りを図るなど、愚考でしかなかったのだ。


 結果、適応派であるレーマ正教会は、あくまでも自分たちが信仰を捧げるのは《レアル》の創造主たる神一柱のみではあるが、ヴァーチャリアの異教の神々に対しても神として等しく敬意を払うという柔軟な姿勢を持つことで、レーマ帝国内での信仰を保つことに成功していた。

 そのレーマ正教会は属州ごとに司教座があり、アルビオンニアにもアルビオンニウムに司教座大聖堂があったのだが、先代の司教は大聖堂ごと火砕流に飲み込まれて死亡してしまった。


 その後、一年ちかくアルビオンニア司教は空位が続き、今年になってからようやく新任のアドルファス司教がアルビオンニア司教の座に就いたのだが、司教座大聖堂がアルビオンニウムと共に放棄されたままになっていたので、新たな司教座をどこに置くかを検討するため、今はアルビオンニア中を巡幸しているのだった。



「お若いだけあって精力的でいらっしゃいますこと、一信徒として頭が下がる思いです。

 それがいずこの地であろうとも、アドルファス司教様が司教座を置く地がお決めになりましたら、司教座大聖堂建立にはアルビオンニア侯爵家としてご支援させていただくことを、今改めてお約束申し上げます。」


「御志、アドルファス司教に成り代わり感謝申し上げます。

 おお、そう言えばサウマンディアから小麦が届いております。」


「小麦ですか?」


「はい、サウマンディアの教会の所有する荘園で作られた小麦で、あちらの司教が祝福したものです。アドルファス司教の御指示で取り寄せさせていただきました。

 侯爵公子カール閣下の御病気が、神の御加護で少しでも良くなるようにと・・・。」


「まあ、ありがとうございます。

 カールもきっと喜びますわ。」


「私は今日はこれから礼拝ですので、また明日にでもお使いの物をお寄こしください。」


「はい、是非そうさせていただきます。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る