第139話 空堀の底

統一歴九十九年四月十五日、昼 - マニウス要塞/アルトリウシア



 マニウス要塞カストルム・マニとでも呼ぶべき要塞カストルム中心の東西約四百五十ピルム(約八百三十メートル)、南北約三百三十ピルム(六百十メートル)に及ぶ敷地はその周囲を高さ三ピルム(約五メートル半)の塁壁るいへきで囲われている。そしてその外側、防御正面となる東から西北西にかけての南側には一辺が最大三百ピルム(約五百五十五メートル)に及ぶ三角形の大稜堡だいりょうほと、一辺が約百五十ピルム(約二百七十八メートル)の菱形をした小稜堡しょうりょうほが放射状に配置されている。

 稜堡りょうほの高さは塁壁と同じ三ピルム(約五メートル半)だ。

 稜堡のさらに外側は要塞の築かれた丘の頂上から麓を流れるセヴェリ川まで、ずっと平坦な何もない斜面が広がっており、この方面から攻め寄せる軍勢は要塞の防御火網をモロに喰らうように整地されている。


 この土塁と各稜堡の間、そして稜堡同士の間、更に各稜堡の外側には深さ三ピルム(約五メートル半)幅六ピルム(約十一メートル)の空堀が設けられている。稜堡や塁壁の空堀に面している部分は垂直で部厚いモルタル塗りのレンガ壁になっており、よじ登ることはむずかしい。

 その空堀の底は要塞本丸は海抜が同じ高さなので、壁に沿って歩いて行けば要塞北側にある城下町カナバエに出し、そのままさらに歩けば要塞正門ポルタ・プラエトーリアへ通じているのだが、もちろんその途中の側壁内には至る所に側防窖室そくぼうこうしつが設けられ、そこから堀に侵入した敵兵に銃砲撃を浴びせられるよう銃眼じゅうがんが開いている。空堀に落ちてきた敵兵はどこへ移動しようとも、途中で銃火を浴びることになるだろう。


 しかし、それらのには普段兵士は配置されていない。

 各稜堡には警備のための歩哨が配置されているが、一つの稜堡に一個十人隊コントゥベルニウム(定数八人)程度だ。それが交代で見張り台に立ったり、稜堡内を見回ったり、休暇を貰ったりしている。


 つまり、稜堡のある部分は避難民も兵士もほとんどおらず、空堀の中で何をやったところでほとんど人目に付くことはない。

 要塞司令部の命令によって稜堡の守備隊を移動させてしまえば、秘匿を維持したまま鉄砲を撃ったとしても誰に見られることもないということだ。



「なるほど、それで空堀ここか。」

「良い場所があったものだな・・・。」


 馬車から降り立った軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムらは改めて周囲を見回し、口々に感想を述べた。中には「もう射撃訓練は空堀ここでいいんじゃないか」などと言い出す者さえいたが、もちろんそれは出来ない。

 射撃訓練を行おうとすれば、跳弾や暴発事故等への備えが必要となり、必要な各所に土嚢どのうを積んだり待避壕たいひごうを用意したりせねばならない。そんなものを常設したら、いざ戦になった時に空堀から侵入した(あるいは空堀に落ちた)敵兵を銃眼から銃撃して掃討するのには不都合な障害物となってしまう。つまり、敵に利する設備をわざわざ提供する事になってしまうのだ。


 しかし、今日はあくまでも特別の措置ということで、土嚢を積んだ土塁や雨が降ってきても射撃できるような天幕などが用意されていた。

 空堀は落ちた敵兵が位置を見失いやすいように、そして死角なく銃眼を配置できるようにするために、ところどころでクランク状に屈曲しているので、直線距離は最長でも六十ピルム(約百十一メートル)に満たないが、幅六ピルムの空堀の底は今や見事な射撃場と化している。

 今朝、要塞司令部プリンキピア要塞司令プラエフェクトゥス・カストルムのカトゥスから許可を得てから、わずか半日でその準備は完成されていた。


 なお、ここからは見れないが土塁を挟んだ反対側の射撃練習場では、銃声をごまかすためにクィントゥスの部下たちが急遽射撃訓練を行うことになっており、隣接する稜堡の守備隊も突然今日一日の休暇を言い渡され、やはりクィントゥスの部下たちと任務を交代している。

 ここでいくら銃声を轟かせようと、不審に思う者も居なければ見に来るものも居ないということだ。



「本日はお招きいただきありがとうございます、アヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス閣下!」


 幕僚たちと共に急造の射撃場を見渡し、その出来栄えに満足していたアルトリウスは背後からそう呼びかけられた。

 振り返るとそこにはサウマンディア軍団レギオー・サウマンディア筆頭幕僚トリブヌス・ラティクラウィウスカエソー・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵公子がいた。その後ろにはやはり軍団幕僚で元老院議員セナートルのアントニウス・レムシウス・エブルヌスとアルトリウシア派遣隊を指揮する大隊長ピルス・プリオルバルビヌス・カルウィヌスが付いて歩いて来ている。

 いつもなら貴族が出歩く際は名乗り奴隷が主人の名を先触れしながら歩くのだが、今日は秘密裏に行われる射撃評価試験ということを事前に知らされているため名乗り奴隷はあえて仕事をしていない。


「急な呼びかけでしたのにようこそおいでくださいました。

 きっと、ご興味がおありであろうと思いましてね。」


「もちろんです。大変興味深い。

 伝説のミスリル製の武具、それだけでも興味深いのにその性能を実際に銃で撃って試せるなど、おそらく我々しか体験しえない事でしょう。

 元老院セナートスへ持ち帰る良い土産になります。」


カエソーもだ。プブリウスへの良い土産話になる。

 しかし、恩寵おんちょう独占にはなりますまいな?」


「評価試験の結果を公表すれば問題ないでしょう?

 ましてや、これは降臨者リュウイチ様ご自身が望まれた事。

 アルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアはそれを手伝ったにすぎません。

 そうですよね、アヴァロニウス・アルトリウシウスアルトリウス閣下?」


「もちろんです、レムシウス・エブルヌスアントニウス卿。

 これはおそれ多くも降臨者リュウイチ様の御所望のこと。

 本来ならば聖遺物など、ましてやミスリル製の武具などは身に着ける事すらはばかられる物を、実際に撃とうなど思いもよりません。」


「して、そのミスリル製の武具は?」


 待ちきれない様子でカエソーが尋ねるとアルトリウスはニッコリ微笑んで答えた。


「まだ、降臨者リュウイチ様がお持ちです。

 間もなくおいでになるでしょう。

 おお、噂をすれば・・・」



 一同がアルトリウスの視線の先を追って振り返ると、ちょうどルキウスの馬車が入って来るところだった。子爵家の衛兵に囲まれた馬車は彼らの前まで来ると停止し、大隊長以上の幕僚たちは賓客ひんきゃくを出迎えるべく整列して姿勢を正す。

 馬車の後ろに立ち乗りしていた従者フットマンが踏み台を置いて扉を開くと、中からルキウスが現れた。

 本来ならば名乗り奴隷がその前にルキウスが来たことを大声で告げるはずだが、やはり今回は秘密保持のためにそれをせず、静かな登場となった。


 ルキウスは別にわざわざこのためにティトゥス要塞から来たわけでは無い。

 今日は日曜日で侯爵家側の要人たちのほとんどが休みをとっているため、ティトゥス要塞にいてもすることがあまりないのと、昨日の会合で決まったいくつかの事柄についてアルトリウスや軍団幕僚らと煮詰める必要性、そして明後日にはアルトリウシアを発つカエソーとアントニウスが最後にリュウイチと晩餐を共にするというのでそれに列席するためと、まあそういった細々した事情があってマニウス要塞へ来たのだ。

 他にもリュウイチを収容している宿舎の周辺を立ち入り禁止状態にしておく名目上の理由として、ルキウスがマニウス要塞に来た際に休憩所として使っていると公表されているため、そのアリバイ工作をする必要性もあった。

 ともかく、マニウス要塞へ来たところへこの射撃評価試験の話を聞かされ、急遽見学する事にしたのだった。



「おお、伯爵公子カエソー閣下にレムシウス・エブルヌスアントニウス卿、やはり御興味がおあり様ですな?」


「もちろんですとも、見逃す手はありません。」

子爵ルキウス閣下も御見学ですか?」


「本当は別の要件でこちらに来たのですがね、はっはっは。

 何やら面白げな催しがあると聞いたものですから、年甲斐もなくついつい・・・ね。」


 ルキウスが如何にも照れ隠しのように笑っていると、その後ろからリュウイチが降りてきた。同じ馬車に同乗してきたのだ。

 リュウイチが降りると馬車は転回するだけの広さが無いので、今来た道をゆっくりと後退していった。空堀と空堀が交わる交差点で転回して待機し、帰る頃には再び後退しながらこちらへ戻って来ることになっていた。

 その作業を尻目にリュウイチは戸惑いながら挨拶をする。



『ああ・・・これは皆さんお揃いで。

 何やら大袈裟な事になってしまって済みません。』


 正直言ってこんな大掛かりな事になるとは夢にも思っていなかったのだ。

 てっきりどこかの広場か射撃練習場みたいなところで、マネキンに防具を着せて撃ってみるだけだろうと考えていた。

 しかし、目の前には空堀の一角を目一杯使って立派な天幕まで広げて射撃場そのものを作り上げたような状態になっている。



「どうかお気になさらず。

 これくらいは朝飯前です。

 軍団レギオーにとってこの程度の野戦築城は造作もない事ですからな。」


 ルキウスがカラカラと笑うように答えるとアルトリウスが続けた。


養父ルキウスの言う通りです。

 それよりも、ミスリルの武具の性能を評価を御所望と伺いました。

 それは我々にとっても非常に興味深い事です。

 是非、協力させていただきたく、準備させていただきました。」


 リュウイチがそうですかと苦笑いを浮かべながら見回すと、ほぼ全員が口元にぎこちなく愛想笑いを浮かべた緊張の面持ちではあったが、その目は期待に爛々と輝いていてアルトリウスの言った事がウソではないことをうかがわせた。

 丁度そこへ、ルキウスとリュウイチたちからだいぶ遅れてリュウイチの奴隷となった八人が息を弾ませて駆けつけた。

 彼らの到着を見届けてリュウイチが言った。


『では、折角ですので早速始めますか。』

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