第140話 ナガィヤ

統一歴九十九年四月十五、昼 - マニウス要塞司令部/アルトリウシア



「あの、子爵ルキウス様のおめしってうかがったんでやすが?」


「すまんな、閣下ルキウスはそなたと謁見する予定ではあったのだが、急用が出来たのだ。」


 アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵家筆頭家令ホスティリアヌス・アヴァロニウス・ラテラーヌスは所在無げにしている大工棟梁カウデクス・ナーソーの質問に事も無げに答えた。


 要塞のどこかで射撃練習でもしているのだろう。窓の外からは時折一斉射撃の銃声が聞こえてくる。

 他地域出身の者にとっては到底うららかとは言い難い天気ではあるが、昨日に比べて雲は薄く、この季節にしては比較的暖かい。アルトリウシアにしては良い天気と言えるだろう。大工にとってはまさに仕事日和だ。

 しかし、要塞司令部プリンキピアのこの部屋の空気はあまり良いとは言えなかった。


 昨日、酒を飲んでいたところへリクハルドの側近パスカルが現れて唐突に明日子爵様に会えとか言って来た。

 領主ドミヌス様に会うんだからと今朝は念入りに身なりを整え、リクハルド邸の前で馬車に乗せられたと思ったら、《とらノ門》を出たところで行先はティトゥス要塞カストルム・ティティからマニウス要塞カストルム・マニに変更になったと告げられた。

 まあ、子爵様もお忙しい身だしそういうこともあるだろうとマニウス要塞までのこのこやって来て、要塞司令部で散々待たされたと思ったらこれだ。


 まあ、貴族パトリキ様ってなぁこんなもんなんだろうけどよ。

 平民プレブスはみんな暇だと思ってやがる。



 腹の中で悪態をつきつつも、一応は顧客の面前である以上、「はあ、左様さいですか。」と愛想笑いを浮かべる。


 ホスティリアヌスにしても決して何とも思ってないわけではないのだが、立場上主人ルキウスの権威を保たねばならないため、安易に下手したてに出る事が出来ない。

 そもそも下手したてに出なければならないような事にならないようにするためにこそ、予定は守ってもらいたいものなのだが、今回のルキウスの予定変更には降臨者リュウイチが絡んでいる。

 ホスティリアヌスにしてもルキウスに苦言をていするわけにもいかなかった。



名代みょうだいとして、話については伺っておりますので、ご安心なさい。

 それで、ヤルマリ橋とウオレヴィ橋の修理に関する話ですが、大丈夫ですか?」


「えっ!?

 ええ、ええ、承知しておりやす。」


「この見積もりはそなたカウデクスの書いたもので間違いありませんね?」



 そう言いながらホスティリアヌスが一枚の紙を取り出す。



「え・・・ええ、アッシカウデクスの字じゃありやせんが、内容はアッシが書いたモンに間違いございやせん。」


 この世界ヴァーチャリアにコピー機なんてものはない。

 活版印刷技術はあるが、何百何千部と大量に印刷して頒布はんぷする出版物でない限りはそうした機械的な印刷は行わず、少数部数が必要な程度なら自分自身の手で何枚も書くか、代書屋などを雇うかして手書きで書き写してもらうかするしかない。

 なので、自分が書いたものが他人の字で複写されて出回ることは珍しいことでは無かった。


「よろしい。

 ではまず、子爵ルキウス閣下はこの見積もりの請求通りに代金をお支払いする用意があります。」


「へぇっ、ありがてぇこって!」


「ただし、資材についてはホラティウス・リーボーに一度相談します。」


「あの御用商人の?」


「そうです。

 一応、子爵家およびアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシアの御用は御用商人を通すことになっておりますので。」


「そいつぁかまいやせん。

 こっちはお代を頂戴して、まともな資材さえ手に入りゃ文句はござんせん。」


「資材というのは、この見積書に書かれている通りで良いのでしょうか?」


「不足分が生じるかって事なら、絶対無いとまでは言い切れやせんが間に合うはずでやす。」


「工期については、本当にこちらに書かれている通りなのですか?」


「そいつに書かれている通りに人工にんく代を払ってくださるんでしたら、人を集めて一気にやっちまうんでその通りにやれる見込みです。

 ただ、あくまでも資材が全部そろっていて天気にも恵まれて・・・ってぇ話ですが。」


「人は集まるのですか?」


「そこはリクハルドの旦那が請け負ってくださってまさぁ。」


「ウオレヴィ橋から先に着工するのですか?」


「へいっ!

 それはリクハルドの旦那のたっての御注文で・・・」


「・・・まあ、それはいいでしょう。

 代金についてはデナリウス銀貨で支払われるでしょうが、支払期日については少し待たせるかもしれません。」


「そいつぁ願ってもねぇ。」


 実はここのところ侯爵家にしろ子爵家にしろ、高額の代金の支払いを手形でする事例が急に増え始めている。

 特に侯爵家や子爵家について信用が低下しているというわけではなかったが、しかしここのところ両領主家の支出が庶民の目にも明らかなほど増大しており、手形が不渡りになることは無いにしても、もしかしたら年内に現金化できないかもしれないとか、あるいは税金と相殺という形で処理されるかもしれないというような噂が少しずつ流れ始めていた。


「資材については紹介状を用意しますので、後日詳細をホラティウス・リーボーと打ち合わせてください。

 では、契約書を用意しますのでこのままお待ちなさい。」


 ようやく終わったと思ったら、これからまだ待たせんのかよ!?


 カウデクスは愛想笑いを顔面に張り付けたまま唾を飲んだ。


「?

 何か?」


「いえ、何でもありやせん。」


「そうですか・・・」



 ホスティリアヌスはそれだけ言うと特に何の感情も浮かんでいない表情のまま、隣に控えていた秘書に書類の作成を命じる。



「それで、ナーソー カウデクスとおっしゃいましたね?

 《陶片テスタチェウス》の方は建物の被害は無かったと伺っておりますが、海軍基地城下町カナバエ・カストルム・ナヴァリアの方の復興工事などの話は出ているのですか?」


 話が終わったと思って息をついていたカウデクスは思いもかけず世間話を振られて驚いた。


「えっ?!

 あ、ああ・・・いや、今んとこ具体的な事は・・・。

 みんなひとまず、焼け跡から焼け残った自分の財産掘り起こすだけで精いっぱいってとこでさ。」


「まだ、大工は忙しくは無いのですか?」


「ヒマでもないですがね。

 修理や再建の見積もりだしてくれって話がボチボチ来てますんで。」


「現在、子爵ルキウス閣下は冬までに住宅をどれだけ揃えられるかに関心を寄せられておいでです。

 棟梁カウデクスから見て、どの程度出来ると思いますか?」


「アッシはただの大工ですんでね。

 アルトリウシア全部の事なんて途方もねぇ話でさ。

 だいたい、どれほどの人が焼け出されたかもわかってねぇくれぇで。」


「現在、両要塞カストラに収容しているだけでおよそ一万五千人、さらにアイゼンファウストで数千人が野宿をしている状態です。

 急遽開放された集合住宅インスラや空き家、親戚の家に転がり込んでいる人たちもいて、総数までは我々も把握しきれていません。」


 ホントは更に山間部で水道工事に従事している人たちが越冬のために麓に帰ってくることになっており、その三万人分の住居も手配しなければならない。

 ただ、これは現時点では工事現場付近に建てられている建物をそのまま移築できないか軍団で検討すると言っているので、今は考えなくていいだろう。



「一万五千人分ですか・・・軍団レギオーの兵舎みたいなのたくさん造って片っ端から収めりゃいいってんなら、資材を調達次第で間に合うでしょうよ。

 だが、兵舎みてぇなとこで普通の家族が暮らせるわけもねぇ。」


「ごもっとも。」


「本格的な家屋ドムス集合住宅インスラなんかを最初っから造ってたらまずは間に合いやせんよ。

 《陶片》でリクハルドの旦那が造らせているみてぇなモンでも作れば何とかなるかもしれやせんが・・・どのみち資材が調達できなきゃどうしようもねぇや。」


「ナガィヤ【NAGAJA】?」


「普通の集合住宅と兵舎の中間みてぇな簡素なもんでさ。

 基本、集合住宅インスラなんだが、造りを思いっきり簡素にして木造の平屋で兵舎みてぇな要領で造るんで割と手間はかからねぇ。」


「そんなものがあるのですか?」


「リクハルドの旦那の注文で《陶片》に結構な数をこさえたんですがね。

 なんでも、南蛮サウマンの街で良くあるタイプなんだそうで。」


「それは《陶片》以外でも作れるんですか?」


「そりゃ、金と資材と場所と時間を貰えりゃね。」


「冬までにどれほど出来そうですか?」


「んなもなぁ資材の調達次第でさ。

 ただ、全部そろってるんなら、一棟あたり五日もかかりやせんや。」


 レーマ軍の兵舎はある程度規格化したパーツを組み立てる方法を採用している。このため、パーツさえ揃えてしまっていれば一日でも組み立てる事はできる。

 実際にはパーツの加工精度がそれほど高くないし、木材を使っている以上加工してから現地に運ぶ間に多少変形したりすることもあるため、そこまでスムーズにはいかない。現地で再加工などの微調整などが必要になるのだ。


 ナガィヤは兵舎のこの建築方式を採用して組み立てる木造集合住宅であり、パーツさえ用意できていれば一棟あたり一日や二日で組み立てる事も出来る。ただ、兵舎がそうであるようにパーツの加工精度や変形の問題もあって実際には最短でも三日くらい必要になるケースがほとんどだった。



「一棟あたりどれくらいの大きさで?」


間口まぐち二ピルム(約三・七メートル)の家が五軒連なって一棟でさ。

 一家族四人としたら五家族二十人ってところでしょうな。」


 ホスティリアヌスは考えた。

 兵舎はカウデクスが言ったように一般人が生活を送るには狭すぎて居住性が悪い。普段、兵舎で生活している軍団兵レギオナリウスだって寝る時以外は兵舎の外で過ごすのが当たり前なくらいだ。

 兵舎を大量に造って避難民を収容するというアイディアはあるが、誰もあんなところで生活はしたくないだろうという現実を誰もが知っている以上、そのアイディアはアイディアのままで終わっている。


 しかし、かといって普通の住宅を最初から作っていたのではまず間に合わない。

 今、要塞に収容しているだけで一万五千人、野宿を強要されている人たちは推計でおそらく三千から六千人はいるとみられている。

 その人たちの住居をまず冬までに用意しなければならない。



「その話、もう少し詳しく聞かせてもらっていいですか?」


 話が終わり次第帰るつもりだったカウデクスがマニウス要塞を出たのは日が暮れた後になった。

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