第1153話 クレーエの説教

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



「何を証拠にだと?!」


 エイーは人差し指でクレーエをし示す。


「お前だ!」


 クレーエは本気で面食らい、文字通り鳩が豆鉄砲を食ったように目をパチクリさせた。


「……アタシ!?」


「そうだお前だ!

 お前こそが証拠だ!」


「何でアタシが証拠になるのか、さっぱり分かりませんね。」


 クレーエは呆れた様子で腕組みしながら気持ちけ反り、エイーを見下ろす。まるで子供の悪戯を見つけた時の大人のような態度だが、エイーにはクレーエが韜晦とうかいしているように見えたようだ。両手をギュッと握りしめ、クレーエに詰め寄る。


「グルグリウスに襲われ、ペイトウィンホエールキング様が捕まり連れ去られた。

 なのにお前たちは全くの無傷じゃないか!

 他の誰も怪我一つしてなかった!!」


 あまりの言われようにクレーエは組んだばかりの腕を振りほどいて両手をかざして見せる。


「ソイツぁとんだ言いがかりだ!

 アタシらぁ《森の精霊ドライアド》様に治癒していただいたんですよ!

 貴方様と一緒にね。

 貴方様だって怪我一つ残っちゃいないでしょ!?」


「それだ!」


「何です!?」


「《森の精霊ドライアド》に助けてもらった!

 何故だ!?」


 クレーエは眉を寄せこれ以上ないくらい思いっきり顔をしかめた。


 何が言いたいんだコイツは?


「聞いたぞ!

 やっぱりあの《森の精霊ドライアド》は《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属だったんだってな!

 グルグリウスも同じ《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属だ!

 つまり二人は裏で繋がってたんだ!!

 お前もそうだろ!

 《森の精霊ドライアド》とグルグリウスと組んで、俺たちを罠にめたんだ、違うか!?」


 再びエイーはクレーエに人差し指をすように突き付ける。が、クレーエはそれをパシンと跳ねのけた。


「いい加減になさい!」


 子供を叱る時の大人の口調……エイーはその響きにビクッと身体を小さく震わせる。


「たしかに《森の精霊ドライアド》様とあのグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスは同じ《地の精霊アース・エレメンタル》様の眷属、義姉弟の間柄だ。

 でも《森の精霊ドライアド》様はグルグリウスに立ちはだかり、ルメオ様ドミヌス・ルメオとアタシを助けて下すったんですぜ!?」


 クレーエの口調と態度はまさに大人が子供を叱る時のものだった。本来なら貴公子たるエイーに対して示して良いものではなかったが、エイーの十代半ばの少年のにしか見えない見た目に引きずられたのかもしれない。いや、クレーエはエイーが本物の聖貴族だとは知っていたが、エイーの本当の年齢など知らないのだから見た目通りの少年だと思っているのだろう。エイーは悔しそうに唇を噛み、視線を逸らせて両手で握りこぶしをギュッと握りしめる。


「《森の精霊ドライアド》様が間に合わなかったら、アタシら全員今頃生きちゃいなかった。

 グルグリウス様ドミヌス・グルグリウスルメオ様ドミヌス・ルメオのことも、アタシらのことも眼中にゃなかった。

 ペイトウィン様ドミヌス・ホエールキンをお連れすることだけを考えてらした。

 アタシらの事なんざ邪魔になるようなら容赦なく殺すつもりだったんだ。

 それを《森の精霊ドライアド》様がわざわざ来てくだすって、アタシらのことを友達だって言ってくだすったから見逃していただけたんですぜ!?」


「け、けど、ペイトウィンホエールキング様のことは、助けてくれなかったじゃないか……」


 そっぽを向きながら口を尖らせて不平を口にするエイーにクレーエは思わず舌打ちしそうになるのを何とか堪えた。


ペイトウィン様ドミヌス・ホエールキンをお連れするのは《地の精霊アース・エレメンタル》様の御命令……

 《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属たる《森の精霊ドライアド》様にゃどうすることもできやせん。

 そもそも、アタシらを助けるためにグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスの邪魔すンのだって《森の精霊ドライアド》様にとっちゃまずいんだ。

 《森の精霊ドライアド》様は《地の精霊アース・エレメンタル》様の御意に背かないギリギリのところで、アタシらを助けて下すったんです。」


 これだけ言えばいくら聞き分けの無いガキでも納得するだろう……クレーエはそう思っていた。期待していた。だがエイーはまだ頬を膨らませ、口を尖らせ、視線をクレーエに合わせようとしない。それどころか口の中でまだ何かゴニョゴニョと言っているようだった。


「何です!?

 まだ何かあるんですか?」


 クレーエはもう勘弁してくれと匙を投げる寸前まで来ていた。


「お前だって……」


「何です?」


「お前だって、あいつ等の仲間だろ……」


「はっ!?」


 エイーはまたクレーエに視線を戻し、睨み上げる。


「お前だって、敵側に寝返ったんだろ!?」


「いったい何を!?」


「お前だって、さっきからずっとグルグリウスに『様』ドミヌスを付けて呼んでるじゃないか!」


「・・・・・・」


グルグリウスアイツは敵だ!

 寝返ったんだ!!

 本当はペイトウィンホエールキング様に召喚されたインプだったくせに、《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属になって、生みの親のペイトウィンホエールキング様をさらいに来た裏切り者だぞ!?

 そんな奴に『様』ドミヌスを付けて呼びやがって!!

 お前も《森の精霊ドライアド》について俺たちを裏切ったんだろ!!」


 パンッ!!……クレーエの両手がエイーの顔を左右から同時に襲い、捕まえてしまった。クレーエのごつい手に顔を挟まれ、身動きの取れなくなったエイーに頭突きでもするようにクレーエが顔を近づける。


「!?」


「いい加減になさい」


 その声は落ち着いていたが、しかし地の底から響いて来るかのように低く、怒気を孕んでいた。エイーの瞳に怯えの色が浮かぶ。


「《森の精霊ドライアド》様はアタシにとってもルメオ様ドミヌス・ルメオにとっても命の恩人です。

 しかも《森の精霊ドライアド》様は神にも等しい力を持つ《精霊の王プライマリー・エレメンタル》だ。アナタも聖貴族の端くれなら、崇敬せにゃならん相手でしょうが!?

 そしてグルグリウス様ドミヌス・グルグリウスはその《森の精霊ドライアド》様の義弟!

 そのような御方をお呼びするのに、『様』ドミヌスを御付けして何が悪いってぇんですか!?」


 エイーは真ん前に迫ったクレーエの目を見たまま唇を震わせる。そして視線を背けようとしたところでクレーエが両手で挟み込んでいたエイーの顔を揺さぶり、エイーの注意を無理やり引き戻した。


「悪ぃこたぁ言わねぇ、精霊エレメンタル様を敵視するのはおやめなさい。

 貴方様が何を考えてんのか知らねぇが、アッチはアタシらの事はもちろん、貴方様のことも『勇者団』ブレーブスのことも“敵”とは思っちゃいねぇんだ。

 なのにこのまま突っ張った態度とって精霊エレメンタル様を怒らせちまったりしたら、あの精霊エレメンタル様たちがホントに敵に回ったら、それこそアンタ方ぁ捻り潰されっちまいやすよ!?」


 エイーはクレーエを見ていた目を怒りで歪ませるとクレーエの両手首を掴み、自分の顔から引きはがそうとする。クレーエは逆にエイーの顔を挟み込む両腕に力を込め、離されまいとする。エイーが魔力で筋力を強化できていればクレーエなど簡単に引きはがせただろうが、治癒魔法に特化しすぎて運動のために魔力を使うことの苦手なエイーがそれをやろうと思ったら精神を集中せねばならず、こういう状況で咄嗟には出来かねた。おかげで両者の力は拮抗してしまい、しばらく無言の攻防が続く。

 やがてクレーエが諦めて放したのか、あるいはエイーがクレーエの腕を引きはがすのに成功したのか、ともかく両者は離れた。いましめを急に解かれたエイーはバランスを崩し、蹈鞴たたらを踏むようにドタドタと床を鳴らしながら後ろへ数歩下がる。もう数歩下がったら、あるいは後ろへ転びでもしたら、暖炉に頭を突っ込んで今頃大火傷を負っていたかもしれない。だがそうはならなかった。


 エイーは暖炉とクレーエの間ぐらいのところで踏みとどまり、クレーエをジッにらんだ。その目は薄暗い中でも分かるくらい、いや薄暗い中だからこそ目立つのか、キラキラと光を発し始めていた。エイーはそれから視線を床に落とし、両手をギュッと握りしめ、肩を小さくわななかせる。やがてエイーは口から小さい声を絞り出した。


「お前に……お前なんかに言われなくったって……そんなこと分かってるんだ。」

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