第1154話 現実に向き合えないエイー

統一歴九十九年五月十日、朝 ‐ 『ホーシャム山荘ホーサム・フッテ』/アルビオンニウム



 エイーは決して頭が悪いわけではない。空気が読めないというわけでもない。ムセイオンでこの世界ヴァーチャリアで最高レベルの英才教育を受け、治癒魔法を専門的に研究・修得し、医学や薬学、そして栄養学まで学び、臨床研究のためにだが実際の傷病者の治療にも携わっているヴァーチャリア世界における医療のエキスパートなのだ。

 だが同時に彼は他の『勇者団』ブレーブスのメンバーたちと同様、世界の現状と自分たちゲーマーの血を引く聖貴族の環境、そして父祖たちゲーマーの世間の評価に対して、どうしようもなく解消できないわだかまりを抱き続けてきた孤独な精神の持ち主でもあった。


 治癒魔法を使い傷病者を癒す……それは聖貴族にしかできないことだ。巻物スクロールを使うことで劣化治癒魔法レッサー・ヒールを習得し、世間で治癒活動を行う神官たちもいるが、彼らとゲーマーの血を引く聖貴族とではその実力は比べ物にならない。

 神官たちに出来るのは傷病者の自然治癒力を強化し、新陳代謝を促進することで怪我や病気を治りやすくする程度。しかもその際に必要となる魔力のうち、神官が供給する分では足らない魔力は患者本人の魔力を用いるため、下手に体力の消耗した患者に使うと却って死なせてしまう危険性があった。また新陳代謝を加速する都合上、子供に使うと身体の成長を不自然に早めてしまう副作用があるため、子供への劣化治癒魔法の使用は推奨されていない。

 しかしエイーたちは古のゲーマーたちが使った治癒魔法を使うことができる。瀕死の患者に使って却って死なせてしまうというようなことはないし、傷や病気の治りは本当に一瞬だ。エイーは切り落とされた人間の腕を元通りに傷跡も残さずに繋げてみせたことだってあるのだ。エイーの治癒魔法は万能ではないが、しかし恐ろしく強力であることは間違いない。


 ではエイーは治癒魔法を使うことでさぞや人々から感謝され、尊敬されることだろうと思われるだろうが、決してそんなことは無かった。少なくともエイーには、そう言う風には感じられない。

 もちろん、怪我や病気を治してもらった患者やその身内の者たちは深く感謝してくれる。おろらく、その感謝は本心からのものだろう。だが感謝と同時に、どうしようもなく恐れられもするのだ。


 世界を破滅の一歩手前に追い込んだゲーマーと同じ力……それは今の人々にとって恐怖の対象であり続けている。たとえそれが治癒に用いられるものだとしても、その力を持った人間は治癒以外の事にもその力を用いることができるのだ。ならば治癒以外のことへ力が用いられ、再び世界が破滅に導かれないと誰が保証できるのだろうか?


 エイーは本来善良な精神の持ち主だった。人々に喜んでもらうのが好きだった。感謝して貰えることが大好きだった。だからこそ治癒魔法を学び、修得し、世界の医療の発展へ貢献しようと志した。だがその力を使うことで、感謝と同時に人々に恐怖心と警戒心とを抱かれるのはどうにも出来なかった。エイー個人に対しては恩も感じるし感謝もしているし恐怖も警戒もしない……そういうシンパ的な人々を増やすことはできたが、ゲーマーの血を引き強大な魔力を有する聖貴族全体に対する恐怖や警戒心までは取り除けない。ましてエイーの父祖たちゲーマーへの評価は、エイーがどれだけ頑張っても一向にくつがえらない。エイーの父祖も今のエイーと同じく回復職だったというのに、人々が語る時は常に大戦争を引き起こしたゲーマーというくくりで扱われるのだ。

 そんな不当な評価を下し続ける世間への不信はエイーの中でやがて社会そのものへの不信へ繋がっていった。そしてエイーは疑問を抱き始める。


 自分は本当は必要とされていないんじゃないか?

 治癒魔法が便利だからいいように利用されているだけで、自分という人間が必要なわけじゃないんじゃないか。

 これだけ治癒活動に頑張っているのに、もっと感謝して貰えて当然なのに、なのに恐れられ、警戒されてしまう。

 頑張れば頑張るほど、逆に警戒される。

 むしろ世間は自分のことを理解しようとせず、信じてもくれない。

 そうだ。必要とされているのは魔力だけだ。魔力は必要とされているのに、その魔力を持ち、正しく使うことができる自分は必要とされていない。

 むしろ疑われている。多分、邪魔だとすら思われているんじゃないか……この自分の魔力を正しく使えるのは自分だけだというのに……


 そうした疑問はさして間を置くことなく、「ここは自分の居場所ではない」という、精神的に弱った人間が一度は抱く思いへと成長を遂げる。そしてそんな空虚な想いに取りつかれたエイーもまた、他のメンバーたちと共に『勇者団』の中に居場所を見出すようになっていったのだった。


 『勇者団』はエイーに居場所を与えてくれた。同じ悩みを共有できる友がいた。エイーの治癒魔法を正しく評価してくれた。恐怖も警戒もされなかった。父祖たちへの憧憬を口にしても、誰もとがめなかった。そこは自分たちの飾らない理想を、自由に語りあうことが出来る場所だったのだ。

 だからエイーは『勇者団』と行動を共にし続けた。ムセイオンを脱走し、もう一度降臨を引き起こして父祖たちゲーマーを再臨させようという試みにも参加した。シュバルツゼーブルグで盗賊たちを狩り、支配下に置くことも、ブルグトアドルフで住民たちに被害が出ることも、気にならなかったわけではないが必要なことだと目をつむった。それが『勇者団』にとって必要だと思ったからだ。


 だが『勇者団』の理想の旅はここへ来て急速にほころび始めている。ブルグトアドルフで、アルビオンニウムで、そしてシュバルツゼーブルグで、彼らの前に強大な障害が立ちはだかったのだ。しかもそれは精霊たち……『勇者団』が憧れた剣と魔法と英雄たちの世界の主役ともいえる存在が、敵として立ちはだかり、その圧倒的な力で『勇者団』の抵抗を退け、あまつさえペイトウィンを連れ去ってしまった。

 エイーはそこで何もすることが出来なかった。ペイトウィンを助けることも出来ず、自分だけがのうのうと生き延びている。しかもペイトウィンをさらったのはエイーの友達を自称する《森の精霊ドライアド》の義弟グルグリウス。

 自分を守ろうとしたナイス・ジェークを捕えた《森の精霊》に気に入られ、その友達にされてしまったという一事だけでも、エイーにとっては仲間を裏切ったような複雑な気持ちにさせていたのだ。それなのに今度は《森の精霊》の義弟によって、曲がりなりにもエイーを助けようとしてくれていたペイトウィンが捕まえられた。そして今度もエイーはペイトウィンをろくに助けることも出来ないまま、《森の精霊》の友達だからという理由で生き延びている。

 そう、自分を助けようとした仲間を、自分は助けず、彼らを犠牲にして自分だけが生き延びる……そんな屈辱的な出来事が二度も続いたのだ。


「俺は、俺はみんなを、ナイスを、ペイトウィンホエールキング様を、俺は、見捨てて……」


 エイーの固く閉じられた目から涙が零れ落ち始まる。

 理性の上ではクレーエの言っていることは理解できる。クレーエの言っているこてゃ正しい。間違っていない。だがエイーの感情が、心が、誇りが、それを認め、受け入れることを拒んでいるのだ。クレーエの突き付ける事実が、エイーの自尊心を容赦なく傷つけていたのだった。

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