第890話 偽物の金貨

統一歴九十九年五月九日、夜 ‐ 『黒湖城砦館』ハーレ・デア・シュバルツゼーブルク倉庫ホレウム/シュバルツゼーブルグ



「ハーフエルフ様が大金持ちだと言うことは分りました。

 でも、それは身内同士の話でしょう!?

 身内同士や親友同士なら鉄の剣を贈ることもあるでしょう。

 子爵公子閣下とサムエル殿のようにね。」


 カエソーの説明にアロイスは納得しなかったようだ。鉄の剣は確かに非常に高価だ。軍団兵レギオナリウスが入隊してから満期除隊になるまでの間に稼ぐ給料のすべてに匹敵するほどの価値がある。たとえ上級貴族パトリキでもそうおいそれと他人にくれてやるようなものではない。

 が、貴族ノビリタスが鉄の剣を贈る事例がまったくないわけではない。現にアロイスが話したように、アルトリウスとサムエルは互いの成人を祝って鉄の剣を贈り合っている。アルトリウスの愛剣はサムエルから贈られた物であり、サムエルの愛剣はアルトリウスから贈られたもので、どちらも帝都レーマから取り寄せた高品質の鉄と鋼を用いて打たれた特注品である。

 このように近しい者同士なら、固い絆で結ばれた同士であれば、高価なプレゼントもあり得るだろう。ファドはヒトかもしれないが、同じ『勇者団』ブレーブスの仲間というのであれば、決して赤の他人というわけではないはずだ。


「でも相手はインプだ。

 それも野良のらの、行きずりのインプです。

 そんな相手に、たかが手紙一枚のために金貨を!?

 到底、信じられませんな。」


 いくら裕福な貴族であっても、貧民窟ひんみんくつにいるような乞食に鉄の剣を贈るような真似はしない。レーマに限らずこの世界ヴァーチャリアの殆どの国は身分社会だ。身分に不相応な高価すぎる贈り物は、贈られた側を却って不幸にしてしまうわざわいの種にしかならない。実際、裕福な貴族が貧民に命を助けられ、御礼にお金を……その貴族にとっては大した金額ではないが貧民にとっては滅多に拝めない大金を与えたところ、その貧民が翌日には強盗に襲われて死体になっていたなんて寓話ぐうわは珍しくないのだ。他人に施しや御礼をする際、相手の身分に応じた価値を見極めるのは貴族たる者の持つべき常識の一つとされている。

 にもかかわらずインプに、それもただ手紙を届けるだけという子供でも出来そうな仕事の報酬に金貨を支払うなど、商家出身のアロイスには納得できるはずもなかった。メンサにドンと右手を突き、インプを睨みつけるように身を乗り出す。同時に左手で外套の前を開いて、腰に下げた軍刀カッツバルケルをいつでも抜けるように露出させた。魚の尾のような形をした柄が、ロウソクの光を反射してキラリと光る。


「おい、嘘をつくとためにならんぞ?」


 この中で最も長身のアロイスが覆いかぶさるように凄むとその迫力はカエソーの比ではない。真上からギョロッと大きな目で睨みつけられたインプは震えあがった。羽根を小さくたたみ、尻尾を巻いて身体を小さくし、アロイスを見上げながら背後のヨウィアヌスに縋りつこうとする。だが無情にもヨウィアヌスの手が押しのけるようにインプを前に押し出すと、インプはブルブル震えながら周囲を見回し、再び空中の《地の精霊アース・エレメンタル》に向かって必死に訴え始めた。


「金貨を貰ったのは本当だそうです。」


 再び《地の精霊》を通じてルクレティアがインプの言葉を伝えると、アロイスは机に突いていた手を拳に変えて再びドンッと殴りつける。


「信じられんと言ってるだろうが!?」


 インプはビクッとして両手でそれぞれ反対側の上腕を掴んで身を小さくし、目を大きく見開いてアロイスを見上げる。今にも小便を漏らしそうだ。


「だいたい貰った金貨はどうしたんだ?

 使ってしまったとでもいうのか?

 いくら貰った貰ったと言い張ったところで、証拠が無ければ信用できん!」


 冷たい目でインプを見下ろしたまま、身体を起こしつつ悠然とアロイスが言うとインプはコクコクと頷き、一瞬ヘッと笑ってから身体を起こした。蹲踞そんきょの姿勢になったインプは痩せた手足に似合わずボコッと膨れた腹に両手を当てた。


「クケッケッ、ケェェェェェッ」


 何をしてるんだ?……インプを見ていた全員がそう思った事だろう。だが、彼らの怪訝けげんな表情は次の瞬間、一様に驚きの表情へ変わる。


「お、おい?」

「な、なんだ!?」


 インプがカッと目を見開いたと思いきや、その首が突然左右に大きく広がる。首の広がりが徐々に上に持ち上がり、顎の付け根まで達するとインプは上を向き口を大きく開けた。


「ケッ、ケェェェェェッ、グェッエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛~~~ッ」


 インプの顔が信じられないほど大きく変形し、そは口から頭の三倍はあるであろう金属製の円盤が姿を現す。


「エ゛エ゛ッエ゛ッエ゛エ゛~~~ッ」


 半分ほどまで口から出た円盤をインプは両手で掴み、一気に吐き出した。突然のグロテスクな光景に何が起こったのか分からず、カエソーたちが言葉もなくただ茫然と見守る中、インプは吐き出した物を自分の前にコトリと置き、腕で口を拭うと改めて吐き出した物を両手で掴み上げ、アロイスに向かって掲げて見せた。


「キシッ、シッシッ!」


 これを見ろ!!……そう言わんばかりにインプが掲げたのは一枚の硬貨だった。インプが手紙を届けるための対価としてペイトウィンから受け取った報酬である。まだ鋭いバリの残った硬貨はインプの体液で濡れており、ロウソクと松明の火の光を受けて金色に輝いていた。


「か、閣下?」


 おずおずとルクレティアがアロイスに呼びかける。


「なん……ですか?」


「それが、このインプがハーフエルフ様から受け取った金貨だそうです。」


「キシィィィィィッ」


 呆気にとられたまま正気を取り戻せないままでいたアロイスにルクレティアが報告すると、インプが誇らしげに笑った。だが、インプの掲げたそれは金貨などではなく、まぎれもない黄銅貨だ。


「待て、それが報酬の金貨だと?」


 いち早く我に返ったカエソーがインプに問いかけると、インプは今度はカエソーに向かってその黄銅貨を掲げ、コクコクと頷く。


 どうだ、凄いだろ?……まるでそう自慢しているようだ。が、インプのその誇らしげな態度と表情はカエソーの次の言葉で色を失うのだった。


「それは……金貨じゃないぞ?」


「キシッ?」


 何を言われたんだか分からない。インプの表情はそんな感じだった。開かれた目でまっすぐカエソーを見上げ、誇らしげだった笑みは力を失い、半ば呆けているようだ。


「それは金貨じゃない、セステルティウス黄銅貨だ。

 おい、誰か金を持ってないか?」


 カエソーは話すより実物を見せた方が早いと思ったが、彼は貨幣など持ち合わせてはいなかった。貴族は自分で現金なんか持ち歩かない。カエソーのような上級貴族なら当然だが、そういった細々とした物は御供の使用人や奴隷に持ち運ばせるものなのだ。当然だが、アロイスもルクレティアも、そしてスカエウァも現金など自分で持ち歩いたりはしない。

 そこでルクレティアの脇に控えていたリウィウスが「あ、アッシが……」と腰につけていたポーチから革袋を取り出した。革袋の口を開いて中から硬貨を取り出そうとしたリウィウスの手から、カエソーは袋ごとムンズと掴んで取り上げる。リウィウスは思わず「あ‥‥」と小さく声を漏らしたが、相手が相手だけに文句を言うことも取り返すことも出来ない。


「ほら見ろ、これがお前が持っているのと同じセステルティウス黄銅貨。

 そしてこれが、セステルティウス銀貨だ……」


 カエソーはリウィウスの革袋から二枚の硬貨を取り出すと、インプの前に並べて置いた。


「ほら、こっちの黄銅貨とこっちの銀貨を比べて見ろ。

 黄銅貨と銀貨が、どちらも同じデザインだろう?

 両方とも同じセステルティウスだからだ。

 この二枚は同じ価値だからだ。

 これがもし金貨なら、銀貨と同じデザインで同じ大きさで同じ価値になんて出来ない。

 金と銀では価値が違いすぎるからな。」


 インプは皿のようにした目でカエソーが差し出した二枚のセステルティウス貨を見比べる。インプの両腕はいつの間にか力を無くし、掲げられていた黄銅貨はゆっくりと机に降ろされた。


「お前は金貨だと思っていたかもしれないが、それは黄銅貨だ。

 金貨じゃない。」


 自分が抱えていた硬貨と、目の前に並べられた二つのセステルティウス貨を何度も見比べるインプにカエソーは気の毒そうに同情を込めて行った。


「お前は……騙されたんだ。」

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