第197話 悲しみに暮れるルクレティア
統一歴九十九年四月十七日、夕 - マニウス要塞陣営本部・応接室/アルトリウシア
窓からカーテン越しに差し込む西日によって茜色にそまった
今日のルキウスは車椅子を使っていた。
午前中、サウマンディアへ戻るカエソーとアントニウスを見送った直後に駆け付けた早馬によって急報を知ったルキウスは、取り急ぎ馬車で
このため到着は随分と遅れてしまい、ルキウスが
その時既に辺りは黄色く染まりつつあったのだが、リュキスカが二階の奥の
窓から差し込む西日は、そして西日に照らされた室内は急速にその色を濃くし始め、向かい合って座るルクレティアとルキウス、そしてその脇で起立しているクィントゥスとリウィウスとルクレティア付きの侍女クロエリアの顔を黄色く照らしていた。
「落ち着いたかね?」
ようやく涙を止めたらしいルクレティアに穏やかな口調でルキウスが問いかけると、ルクレティアはコクンと頷いた。
「その、御迷惑をおかけしました。」
「いや、いいんだよ。いきなりでビックリしてしまうのも無理はない。
ルキウスの顔にいつものような
「その・・・
「悪い?」
「
ルクレティアはうつむいたまま、鼻声で話す。その声は最後の方は消え入りそうな程かほそくなっていた。
「ふむ・・・」
ルキウスは手に持った
「
「だって!あの女の人は何なんですか!?」
ルクレティアが顔をあげ、詰め寄るように身体を前へ乗り出す。
「
「それは・・・もう、聞きました。」
「ルクレティア、ウェヌスの
性的快楽は性愛を司る女神ウェヌスからの贈り物と考えられている。神からの贈り物である以上、それは誰でも受け取る自由があった。
夫婦間ではもちろん重要で、夫婦そろって気持ち良いセックスをすることで良い子供を授かる事が出来ると信じられている。そして、夫婦間でなくても、性的快楽を得ることは悪い事だとは考えられていない。本人、そして配偶者よりも身分の低い相手との性交は不倫とはみなされないのだ。妻は夫が娼婦を買いに行くことについて、あるいは奴隷や使用人に手を出すことについて、妻自身が夫との性生活に満足している限り文句は言うことはない。
もちろん、内心は面白く思ってはいない場合が殆どではあるが。
「分かってます!
分かってます、そんなことは・・・でも、その御相手に、
ルクレティアは前へ乗り出していた身体を戻しながら言った。その目にはまた涙が浮かびはじめている。
「ルクレティア・・・君は昨夜ちょうどリュウイチ様の元を離れていた。いなかった以上、リュウイチ様も君を選ぶことは出来なかったのだろうし、昨日君を呼び出してしまった
すまなかった。」
「いえ、いいえ!
だって、昨日のは仕方のない事ですもの。
元はと言えば、
「いや、それは違う。
あの時、アルトリウスが言ったように君の通訳がどうであろうと、アルトリウスはもう一度
「だとしても!
選んでっ・・・選んでいただけなかったのは・・・選んでいただける機会が与えられなかったのは、きっといずこかの神様の
ルクレティアは自分を責め続けた。
男には理解し難いことだが、女にはこういう時がある。悲しみに暮れていたいのだ。悲劇のヒロインとしての自分に酔っていたい・・・というのとは全く違う。そのようなナルシシズムとは根本的に異なり、悲しみという感情を噛みしめていたい時があるのだ。そういう時は慰められたくなど無いし、とにかく放っておいて欲しい。どれだけ噛んでも味がしなくなるまで悲しみを噛み続けたいのだ。
こういう時は本人が望むままに放っておくのが一番良い。
だが、ルキウスたちはそれをするわけにはいかなかった。ルクレティアにはリュウイチの身の回りの世話を焼いてもらわねばならないし、仮に新しい女リュキスカと交代させようにもリュキスカの人となりをまだ全く把握していない以上、ルクレティアを即座に降板させるわけにはいかない。
「ルクレティア、
「でも、だって、みんな
「いやそれは・・・奴隷からすれば自由民の女性はみんな『
「
ルキウスはクィントゥスをチラッと見ると、それに気づいたクィントゥスが説明を始める。
「失礼して、御説明いたします。
その・・・どこまでリュウイチ様の事を知っているか、
ですが、彼女自身に罪があるわけでもありませんし、リュウイチ様の御気持ちもありますので、牢に入れるわけにもいかず。部屋に軟禁することに・・・」
「リュウイチ様の御気持ち?」
「はい、御自身の行いで彼女を巻き込んでしまった事を悔いておられます。」
「だからって・・・ご家族用の
再びルキウスがクィントゥスを見、クィントゥスがそれに促されて説明する。
「いえ、それは・・・もう奴隷部屋も使用人部屋も全部塞がっておりましたものですから・・・」
実際はそんなことはない。本当はまだ使われていない部屋はあるのだが、それらは物置代わりになっていたりして今すぐは使えない状態だった。また、リュウイチの御手付きである以上、下手に粗略に扱ってはまずいのではないかと言う心配もあった。
「だからって、
これは言いがかりに近いものだった。なぜならリュウイチの部屋から一番離れた
再びルキウスがクィントゥスを見たが、部屋を選んだのはクィントゥスでは無いしクィントゥスはその辺の事情は全く把握していなかった。クィントゥスが思わず隣に立っていたリウィウスを見ると、リウィウスは自分に視線が集まっていることに気付き慌てて説明を始める。
「あ、あの・・・な、なるべく一番目立たねぇ
どうか、御勘弁くだせぇ。」
リウィウスは顔を青くしながら、しどろもどろに答える。
「
「ヘイ!」
「リュウイチ様が選んだわけではないのだな?」
「ヘイ、
その・・・その、
ルキウスはリウィウスからそれだけ聞き出すと、手元の香茶を啜った。
「聞いたかい、ルクレティア?
確かに昨夜、君は選ばれなかったかもしれないが、リュウイチ様は君を選ばなかったわけじゃない。選べなかっただけだ。」
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