第860話 懸念

統一歴九十九年五月九日、夕 ‐ 『勇者団』ブレーブス郊外アジト/シュバルツゼーブルグ



 人が真面目な話をしている時に笑う人間がいる。人が怒っている時に笑う人間がいる。人が苦しんでいる時に笑う人間がいる。人が悲しんでいる時に笑う人間がいる。大きな失敗をしてしまったにもかかわらず笑う人間がいる。深刻な場面で頬を引きつらせ、口角を上げてニヤニヤと笑ってしまう人間……そんな人間は決して珍しくない。だがそういう人間は不真面目なわけでもなく、不謹慎なわけでもなく、他人の苦しみや悲しみや恐怖に対して不感症なわけでもなく、サディスティックな愉悦ゆえつに浸っているわけでも、虚無きょむ的に自嘲じちょうしているわけでもない。それどころか当人は自分が笑っているという自覚すらもっていないことがほとんどだ。

 では何故そんな風に笑うのかというと緊張感が極限に達しているからだ。ストレス耐性が無いからだ。人間は極端なストレスに晒されると「もう勘弁してほしい」と思う。それは自然なことだ。そして一部の人間はそうした自然な感情がという形で表情に出てしまうのである……それも無意識のうちに。


 今のペイトウィンはまさにそうした状態だった。彼は、そういう無自覚な愛想笑いを浮かべやすい傾向があった。ハッキリ言ってしまうと、信用できない大人たちに囲まれて育った彼はまともな人間関係を築いた経験が無い。信頼に値する人間がどこにもいなかったのだから仕方がないと言えば仕方のないことだが、彼の対人スキル……コミュニケーション能力は低いままだった。

 対人スキルが低く人付き合いが苦手、だけど人が嫌いなわけではなくむしろ良好な人間関係というものに常に憧れのようなものを抱いており、友人を、恋人を、家族を常に欲し続けている。だから人付き合い自体はやめられない。むしろペイトウィンは他人に積極的に話しかける方だ。だけど人付き合いが苦手で他人を信用できない。そして実際に人と接し、こうして衝突しそうになると対人スキルの低さゆえにひどくストレスを感じ、極度の緊張感から無意識に笑ってしまうのである。

 笑うつもりもなく、笑っている自覚もないのに顔の筋肉が勝手に動いて笑みを形作る……当人にはどうしようもない現象なのだが、それを目の当たりにした相手にとってそのような心理など理解の及ばぬことである。


 何を笑ってんだコイツ!?


 十人中九人はそう思うだろう。本人は笑っているわけではなく、緊張しすぎているんだと気づける人間は、十人中一人もいないのが普通だ。そして、デファーグもエイーもそうした十人中の一人には含まれない、ごく普通程度の洞察力しか持ち合わせていなかった。

 

 ひょっとして……嫌がらせで言ってるのか?


 魔法について迂遠うえんなデファーグにはペイトウィンの説明が真実かどうか判断できない。だが、ペイトウィンの残念そうな口調とは裏腹なニヤケ顔はデファーグの気分を害するには十分なものだった。


「なら、俺が行く!」


 口をへの字に曲げたデファーグがムッとした様子でそう言うとペイトウィンとエイーは揃って驚きの声をあげる。


「「はっ!?」」


「俺が行くと言ったんだ。」


 唖然とする二人にデファーグは繰り返した。


「ちょ、待てよデファーグ。

 さっきも言ったが馬がもたないぞ!?」


 ペイトウィンはデファーグをなだめるつもりで愛想笑いを浮かべたが、それはデファーグの目にはせせら笑っているようにしか見えず逆効果だ。


「馬は置いていく。

 俺は自分の脚で行く。」


「マジかよ!?」

「本気ですかエッジロード様!?」


「本気だ。

 俺はアルビオンニウムでは魔力欠乏になったが、もう回復した。

 みんなが戦った一昨日も俺は静かに休ませてもらってたからな。もうピンピンだ。

 一日や二日、全力で走ったとしても問題ない。」


 そう言うとおもむろにローブを脱ぎ、腰にいていた剣を外して鞘ごと地面にズンッと突き立て、背中に背負っていた盾を外して壁に立てかけ、ローブの下に着ていた鎧を脱ぎ始めた。

 デファーグは魔力で身体能力を高めて戦う武器攻撃職だ。魔力が万全な今なら確かに数日間、寝ることなく馬より速い速度で全力疾走するくらい出来てしまうだけの能力を持っている。ここで鎧を脱ぎ始めたということは、本気で走っていくつもりだと言うことだ。


「お、俺は行かないぞ!?」


 デファーグが本気らしいことに狼狽うろたえたペイトウィンが言うと、デファーグはフンッと鼻を鳴らした。ペイトウィンを笑ったのか、それともちょうど鎧を脱ぐのに力が要ったからかは分からない。


「別にいい。

 アンタはアンタの仕事があるだろう。

 それをしてくれ。

 俺は俺のするべきことをするだけだ。」


「ご、護衛はどうすんだよ!?

 お前ら武器攻撃職の役目は、俺たち魔法職の護衛だろ?」


「それはアンタ一人で十分だろ。

 《地の精霊アース・エレメンタル》に戦いを挑むわけじゃないんだ。

 のアンタにかなう敵なんかいないってことだ、違うか?」


 デファーグの言葉にペイトウィンはムッとした。デファーグは昼間、ペイトウィンのことを魔法の第一人者、オーソリティと褒めてくれた。それは嬉しかった。その言葉は心からでた自然な言葉だったと感じたからだ。だが、今の「大魔導士」は明らかに皮肉で言っている。そのことに気づかないペイトウィンではない。再びバッと腕組みをするとふんぞり返って大見得を切る。


「あ、ああっ!もちろんだ。

 ああもちろんだとも!

 俺一人でも余裕さ!

 こんなド田舎、どうせまともな魔法使いなんていやしないんだ。

 あの化け物みたいな精霊エレメンタル以外は全部NPCか、NPCでも倒せる弱小モンスターだけさ!

 そんな奴ら、束になってかかってきたところで楽勝さ!

 余裕だねっ!

 だがお前の責任ってものがあるだろう?

 何のためにお前が俺たちと一緒に残されたと思ってるんだ?

 俺やエイーの盾としてじゃないのかよ!?」


「それだけ強い大魔導士様なら一日くらい盾が無くても平気だろ?

 それより、ティフたちが危険なんだ。」


「危険!?

 スパルタカシアを追ってスパルタカシアも《地の精霊アース・エレメンタル》も居ないグナエウス街道を行ったことがか!?」


 『勇者団』にとって脅威となるのはあの《地の精霊》と、《地の精霊》と繋がりがあるらしい精霊たちだけだ。だからこそティフ達はルクレティアと話し合い、精霊たちに妨害させないようにするために追いかけて行った。それも先に行かれたと勘違いしてルクレティアたちよりもずっと先に行ってしまった。行った先は未知の領域だが、何らかの脅威が確認されたわけではない。むしろ、脅威はここシュバルツゼーブルグにあって、彼らは驚異となるべき精霊のいない安全なところへ行ったと言えるくらいなのだ。

 デファーグは鎧を脱ぐのを中断し、いぶかしむペイトウィンの顔を覗き込んだ。


「ああ、忘れたのか?

 ティフ達はスパルタカシアを追って行った。だけどスパルタカシアは今あの街にいる。

 だからティフ達はスパルタカシアを見つけられず戻ってくるだろう。

 でも多分戻ってくるのは明日だ。」


「それが?」


「分からないか?

 明日、ティフ達が帰ってくる時、スパルタカシアはこの街を発ってアルトリウシアへ帰るんだ。

 下手したら戻って来るティフたちは無防備なままスパルタカシアの一行と鉢合わせしちまうぞ!?」

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