第928話 窮鼠の決意

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 袋のネズミと化した二人を前に静かに勝ち誇るグルグリウスを目の当たりにしたエイーとペイトウィンは蛇ににらまれたカエルのように身をすくめていた。


「ホ、ホエールキング様……」


「何だ!?」


 今にも泣きだしそうなエイーの呼びかけに、ペイトウィンは苛立いらだたし気に応える。


グルグリウスあいつに魔法、効いてなかったんじゃ!?」


「そんなわけあるか!

 時間だって稼げてたじゃないか!?」


「だってグルグリウスあいつの服、焦げてもいませんよ?」


 エイーの指摘した通り、グルグリウスの着ている服は焦げどころか埃一つついた様子が無い。ペイトウィンが放った爆炎弾エクスプロージョンの何発かは確実に直撃していたはずだし、一度は『炎の防壁』ファイア・ウォールの危害圏内に巻き込みもしたはずなのだ。これが人間ならば着ている衣服どころか本人が全身消し炭になってなければおかしい。

 だというのにグルグリウスの服はまるでおろしたてのようにシワ一つなく、グルグリウスのひげも髪も丁寧に撫でつけられ、乱れた様子すら無かった。


「ぐぅ……」


 ペイトウィンはグルグリウスをにらんだまま唸る。


 いや、効かなかった筈はないんだ。

 今まで火属性魔法がまったく効かなかった相手なんて、アルビオンニウムで戦ったマッド・ゴーレムとアルビオーネぐらいなもんだ。

 グルグリウスコイツはゴーレムでもなければ《水の精霊ウォーター・エレメンタル》でもない!

 絶対効いてるはずだ。多分、効いてないように装ってるんだ。


「そろそろ返事をお聞かせいただきたいのですがね。

 いかがでしょうか?」


 ごうを煮やしたというわけでもないようだが、らちの明かぬ睨み合いにいつまでも付き合っていられないのだろう。グルグリウスは呆れをにじませながら尋ねてきた。


「抵抗は無意味だと、そろそろご理解いただけませんかねぇ?」


 グルグリウスの慇懃いんぎんな態度は今のペイトウィンには厭味いやみったらしく見えた。ペイトウィンはチッと小さく舌打ちすると、上目遣うわめづかいで憎々し気に見上げていたのを改め、身体をスッと伸ばすと顔を上げてグルグリウスを見下す。


「そうだな、少しばかり骨が折れるようだ。」


 まだ諦めないのか……グルグリウスは片眉を上げてフンッと小さく鼻を鳴らし、口角をゆがめた。


「俺の攻撃が全く通用してないとは思いたくないが、確かにお前にはダメージを負った様子がまるで無い。」


 自分の魔法がグルグリウスに効いていない……ペイトウィンはその事実を認めてみせた。

 事実は事実として受け止めなければならない。困難な状況に、強力な敵に打ち勝つためにはまず不利な状況と事実とを受け止め、そのうえで対策を考えなければいつまで経っても同じ失敗を繰り返すことになる。

 だが、攻撃魔法が通じてないことを認めることは、即座に敗北することを意味しない。ペイトウィンは偉大なる冒険者の血を引く息子なのだ。グルグリウスが察した通り、ペイトウィンは未だ諦めたわけではなかった。空元気で余裕を演じ、グルグリウスを挑発する。


「俺は火属性魔法には少しばかり通じてるんだ。どの魔法がどれくらい威力があるか、少なくとも俺に使える魔法についてはよく承知しているつもりなのさ。

 その俺が言うんだが、お前に撃った爆炎弾エクスプロージョンの威力はちょっとしたもんだ。今まであれで壊せなかったものなんてお目にかかったことは無くってね。

 なのにお前の服がさらなままというのは、少しばかり納得しかねるな。

 そりゃ、もう少しばかり色々と試してみようって気になるのも、無理は無いんじゃないか?

 俺の持ちネタはこればかりじゃないんだ。」


 あえて口元を歪めて笑みを浮かべながらお道化どけて見せる。それは決して強がりではなかったし、実際のところ彼はまだ全力で戦ったわけではない。ただ、エイーと馬たちを逃がさねばならないという条件が彼の攻撃の選択肢を狭めていたから、その中で最善の攻撃手段を用いていただけなのだ。全力で攻撃魔法を撃てるなら、もっと高威力の魔法は他にいくらでもある。


 そうだ、こうなったらもう手加減は無しだ。

 全力で戦ってやる!


 ペイトウィンは外套の下に隠した魔法鞄マジック・バッグの一つに左手をつっこみ、マジック・スクロールを漁り始める。


「ハッハッ!

 は幻術にすぎませんよ。」


「幻術だと!?」


「そうです……言ったでしょう?

 本当の姿をお見せしたら貴方様方は驚きすぎて話を聞いてくださらないかもしれない。だから人間の姿をしているのだと……

 ただ、いくら身体の形ばかり人間にしたところで、裸のままでは相手して貰えませんからな。だからこの服だけは幻術で作り出したのです。

 実体はありませんから、どんな攻撃をしたところで破れることも焼けることもありませんし、汚れることすらありません。」


 そう言うとフフンと小気味良く笑いながら仕立ての良い服を自慢するように両手で上着の襟を摘まみ、ピンと張って見せた。それを聞いたペイトウィンはグルグリウスの服の焦げなんかを気にしていた自分が急に間抜けに思えてしまい、チッと舌打ちする。


「さてっ、では納得していただけたようなので御同行願いましょうかっ!!」


 そう言うや否やグルグリウスは目をカッと見開き、その瞳を赤く輝かせた。途端にペイトウィンとエイーの足元からいくつものつたが飛び出し、二人の身体に向かって伸びる。


「!?」

「あぁっ!?」


 グルグリウスが無詠唱で使った地属性の拘束魔法『荊の桎梏』ソーン・バインドはエイーの身体を容赦なく捕えたが、ペイトウィンを捕えることはできなかった。魔法のいばらはペイトウィンの身体に触れた途端に弾かれ、いくつもの小さな光の粒子となって飛び散ってしまう。


「むっ?!」


「エイーっ!!」


 もう力づくで捕まえてしまおう……そう思って使った魔法を予想外にも弾かれてしまった結果にグルグリウスは驚く。その目の前でペイトウィンは即座にエイーに駆け寄り、手に持っていた『火の神の杖』ヴァルカンズ・スタッフを魔法の荊に叩きつけた。すると荊はいとも簡単に無数の光の粒子に変化し、そのまま飛び散って消滅してしまう。

 『荊の磔刑たっけい』は敵の身動きを封じ、その棘から敵の体力と魔力を奪うことも出来る拘束魔法だが、外部からダメージを受けると簡単に無効化されてしまうという弱点も持っている。便利なようだが決して万能ではない。所詮は低レベルの魔法に過ぎないのだった。

 自分を拘束していた荊が消滅したことで、藻掻いていたエイーはバランスを崩してその場に尻もちをついてしまう。


「痛っ!

 ……あ、ありがとうございます、ホエールキング様。」


「いいから立て!

 馬を集めろ!」


 エイーの拘束が解除されたのを確認するや否や、意識をグルグリウスに戻したペイトウィンは礼を言うエイーを叱責するように指示を出す。エイーは「は、はい」と慌てて答えながらパッと立ち上がった。

 ペイトウィンはエイーが立ち上がるのを待たずに指示を続ける。


「そのまま森へ突っ込め!

 無理にでも抜けて逃げるんだ!」


 エイーは『荊の磔刑』で捕えられた際に手綱たづなくつわを放してしまったせいで自由を得た馬たちを捕まえにかかった。


「ホエールキング様ぁ~、それは一体、何ですかなぁ?」


 不快そうな表情を浮かべたグルグリウスの、何かを押し殺したような声が響く。その視線はペイトウィンが懐から取り出したスクロールに向けられていた。

 使うギリギリまで見せないようにしておくつもりだったが、エイーを助けるためにスタッフで蔦を殴りつけようとした拍子に懐から掴んでいたスクロールごと抜け出てしまったらしい。


「これかぁ?」


 ペイトウィンはバレちゃしょうがないとばかりに悪びれることなくほくそ笑んだ。掴んでいた二本のスクロールの束をヒラヒラと振って見せる。


「なに、ちょっとしたビックリ箱ジャック・イン・ザ・ボックスさ。

 いや、箱じゃないからビックリ巻きジャック・イン・ザ・スクロールかな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る