第927話 袋のネズミ

統一歴九十九年五月九日、深夜 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



 そろそろまたグルグリウスが追いかけてくる……その予想はすぐに現実のものとなるだろう。グルグリウスは目的を達成していないのだし断念する理由もない。グルグリウスが追い付き、ペイトウィンたちは時間を稼ぎつつ逃げ続ける。その繰り返しだ。

 同じことを延々と繰り返し続けることに意味が無いわけではない。このまま時間を稼ぎ続ければ、デファーグがティフやペトミーたちを連れて戻って来る。そうなれば『勇者団』ブレーブスの戦力の半分以上がここに集結することになるのだ。あのグルグリウスにだって何らかの対応が出来るはずだ。が、その見通しはいささか甘かったと言わざるを得ない。


「「!?」」


 彼らの目論見もくろみは文字通り壁によってはばまれた。第四中継基地スタティオ・クアルタへ続く道をひた走る彼らの目の前に、前回通った時には無かったはずの障害物が立ちはだかったのだ。眼前の異変に気付いた二人は相次いで立ち止まった。


「何だこれ!?」

「こんなの、さっきまで無かったぞ!?」


 森の中を曲がりくねりながらも平坦な道が続く筈だというのに、地面が道路ごと見上げるほどの高さまで大きく盛り上がり、文字通り壁と化している。これがペイトウィンとエイーだけだったなら、こんな壁など乗り越えるのも迂回するのも簡単にできただろう。だが彼らは背に荷物を積んだ馬を五頭も連れているのだ。

 馬には壁を乗り越える力など無いし、迂回するには森の中へ分け入っていかねばならない。一頭かそこらなら何とか通り抜けられないこともないかもしれないが、五頭もいっぺんにとなるとまず無理だ。だいたい、森の中を通り抜けて壁の向こう側へたどり着く前にグルグリウスに追いつかれてしまう。身動きの取れない場所でグルグリウスに襲い掛かられたら対処のしようがない。


「くそぉ……どうすりゃいいんだ?」


コレを魔法で壊せませんか、ホエールキング様?」


 壁を見上げ唖然としているペイトウィンの様子から、出来ないだろうとは薄々気づきつつも一縷いちるの望みをかけてエイーは尋ねた。が、ペイトウィンはエイーの予想をはるかに超えて激しく憤慨する。


「出来るわけないだろ!!

 どうしろっていうんだよ!?」


 両腕を振り下ろし、文字通り地団駄じたんだを踏んで叫ぶペイトウィンにエイーは身体をビクッと仰け反らせて息を飲んだ。同じく五頭の馬たちも驚き、暴れ始め、エイーは慌てて馬たちをなだめ始める。


 ペイトウィンは魔法の達人だ。『勇者団』のハーフエルフたちの中でも、こと攻撃魔法に関しては最強である。今まで魔法でかなわなかったのは大聖母フローリア・ロリコンベイト・ミルフとその息子ルード・ミルフの二人だけなのだ。最強には成れなくても世界第三位の実力にペイトウィンは揺るぎない自信を持っている。逆にそれ以外のことについては実はあまり自信を持っていない。むしろ劣等感の塊と言っていいかもしれない。

 小さい頃から信用の置けない親族たちに囲まれて育った彼らハーフエルフは自らの力こそがアイデンティティの根拠となっている。ペイトウィンの頭は決して悪くはない。ハーフエルフらしく普通の人間より良いくらいだが、他のハーフエルフたちと比べるとそれほど優れているというわけでもない。魔力は抜群だがハーフエルフとしては平凡よりやや上という程度。それを父ののこした数々の魔導具マジック・アイテムで底上げすることで高い魔法力を得ている。体力は他のハーフエルフたちが魔力によって身体強化したうえで体力を鍛えていたのに比べ、あらゆる努力を魔法に全振りした彼の体力は身体強化しても他のハーフエルフたちより劣っている。体格はハーフエルフだから全体的にはほっそりしているが、身体を鍛えた他のハーフエルフのように引き締まってはいない。むしろ筋肉は付いておらず、お腹は緩んでいる。ハーフエルフの中では一番ポチャってるんじゃないだろうか。それでいて人間関係が苦手で馬鹿げた失敗ばかりを繰り返している。そんな彼にとって魔法で対処できない事態とは、自分が只の“役立たず”に堕してしまうことを意味していた。

 父から譲り受けたハイエルフの血と多数の魔導具……それらに裏打ちされた魔法力こそがペイトウィンの自信の唯一の源泉なのだ。いざとなれば自分の魔力を解放すればどうとでもなる……心の底でそう思えるからこそ、幾たびの失敗を繰り返しても自我を、自信を保つことができていたのだ。


 それなのに魔法が役に立たない……


 それはペイトウィンにとって決して受け入れがたい現実なのだ。もちろん、アルビオーネのような強大すぎる存在が相手ならまだ諦めもつく。むしろ、誰よりも攻撃魔法に精通しているペイトウィンだからこそ、強力な精霊エレメンタルの実力にいち早く気づくことも出来る。だが相手は精霊ではなく妖精だ。《地の精霊アース・エレメンタル》によって強化されたとはいえ、元々は自分自身が召喚したインプなのだ。自分より強いのは認められないことも無いとしても、魔法が全く通じないというのはいくら何でも納得がいかない。

 だというのに魔法が通じていないという不愉快な現実を、自分より魔力で劣るのだから、彼が過剰なまでに感情を爆発させ、無意識のうちに現実を丸ごと否定しようとしてしまったのも無理はないだろう。

 だがペイトウィンは格上のハーフエルフに怒られて顔面を蒼白にしたエイーの表情を、そして即座に取り乱し始めた馬たちの面倒を見るフリをしてペイトウィンから逃避し始めたエイーを見てハッと正気に戻った。ギリッと悔しそうに歯噛みすると、キッと正面の壁を睨み上げる。


「この土壁はおそらくグルグリウスやつ『地の防壁』アース・ウォールだ。

 アルビオンニウムで《地の精霊アース・エレメンタル》が使ったのと同じだ。

 そうか、グルグリウスアイツは《地の精霊アース・エレメンタル》の眷属になったんだったな……」


 ペイトウィンは土壁の分析と対処に思考を集中し始めた。それは協力し合わなければならないエイーに感情をぶつけてしまった失敗、エイーが抱いたであろうペイトウィンに対する悪感情からの逃避という意味もあって、ペイトウィンは意図的にそれに集中し、あえて口に出しながら考え続ける。


「コイツは俺の得意な火属性の魔法なんかじゃ壊せない。

 地属性の魔法が使えりゃ簡単なんだが、今の俺たちは地属性の魔法を封印されちまってる。

 風属性……水属性……ダメだダメだ!

 コイツを壊せるほどの魔法となると威力が大きすぎて、俺たち自身を巻き込んじまう。」


 考えが詰んでしまったペイトウィンはそれでも壁を睨みながら悔しそうに握りしめた拳を口元へ寄せ、人差し指をギュッと噛んだ。何もできない自分に対する無意識の体罰……本当に行き詰ってしまったという証拠であり、同時に横で見て居るであろうエイーに対して許してほしいという気持ちとが自傷行為となって現れたものだった。


 そうだ、こんな壁を壊すのは無理だ!

 なら別の方法で……


 ペイトウィンの柔軟な頭は即座にその答えを導き出した。スッと視線を壁から横へずらし、暗い森へと向ける。


 そうだ、いっそ森を焼いてしまうか!?


 そう。彼らが同じ場所を行ったり来たりしているのは間道から脇へ避けることが出来ないからだ。その理由は森に生い茂る樹々にある。この樹々が無ければ、馬を曳きながらでも間道を外れて好きなように逃げることが出来るのだ。


 爆炎弾エクスプロージョンで樹々の枝葉を焼き払い、吹き飛ばしながら進めばあるいは……


 その時、新たな解決策を見出したペイトウィンの背後からやけの太く低い声が響いた。


「いい加減に諦めるという選択肢を前向きに検討していただきたいものですな。」


「来た!?」

「グルグリウス!」


 ようやく馬を落ち着かせたエイーが悲鳴をあげ、ペイトウィンは苦々し気に呻く。彼らの視線の先には、気障きざ偉丈夫いじょうぶが初めて会った時と変わらぬ姿のまま立っていた。


「御覧の通り、既に道は塞がせていただきました。

 もう貴方様たちに逃げ道はありませんよ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る