第942話 誘い

統一歴九十九年五月十日、未明 ‐ ブルグトアドルフ近郊/アルビオンニウム



『ちょっと、聞こえてる!?』


「!?」


 時を少しさかのぼり、クレーエに言われて《森の精霊ドライアド》から貰ったワンドを手にした時、エイーの頭に飛び込んできたのはつい最近聞いた覚えのある女の子の声だった。驚き、手に取った木の枝をマジマジと見つめるエイーに、間近まで迫ったクレーエが告げる。


「《森の精霊ドライアド》様です、ルメオの旦那ヘル・ルメオ!」


「え、ド、《森の精霊ドライアド》様!?」


 この場に居ないはずの精霊エレメンタルとの念話……そんな初めての体験に理解が追い付かないエイーはクレーエに問い返す。が、その声は杖を通じて《森の精霊》にも伝わったようだ。混乱しているエイーの頭に容赦なく《森の精霊》の念話が飛び込んでくる。


『もうっ、やっと話が伝わった!!

 アナタ、いったい私があげたワンドを何だと思ってたの!?

 まったくクレーエもアナタもせっかくあげたワンドを仕舞っちゃって使おうともしないなんて、それじゃソレをあげた意味が無いじゃない!』


「す、すみません《森の精霊ドライアド》様!」


「《森の精霊ドライアド》様!?……本当なのかよ???」


 手に持った杖に向かって突然謝りだしたエイーにペイトウィンは戸惑う。ペイトウィンは一度、エイーが持ち帰ったその木の枝を鑑定したことがある。三本の宿木やどりぎの枝が絡まるように組み合わさっただけで飾りも何もない、みすぼらしいだけの見た目だったが確かに地属性の魔力が宿っており、見た目に反して強力な魔導具マジック・アイテムであろうという程度のことには気づいていた。だが、その木の枝に向かってエイーが話しかけている……。


 ひょっとしてアレが《森の精霊ドライアド》の本体だった!?

 いやそんなまさか……あ、ひょっとしてしろだったのか!?


「その枝で《森の精霊ドライアド》様とお話が出来るんですよ、ホエールキングの旦那ヘル・ホエールキン!」


 杖を持っていないペイトウィンには《森の精霊》の声が聞こえないから状況がつかめないだろうとクレーエが横から口を出す。クレーエとしては気を利かせたつもりだったが、唐突にNPCから話しかけられたペイトウィンはムッとしてクレーエを睨みつけた。


 おっと、いけねっ……


 マズいと思ったクレーエは盗賊どもの指揮を執りに行く振りをしてそそくさとその場を去った。『勇者団』のメンバーはクレーエたち盗賊団をやたら見下し、マトモに口を利いてくれるのはファドとエイーぐらいのものだ。一昨日の《森の精霊》との一件以来、ティフ・ブルーボール以下あの場に居たメンバーはクレーエに対してだけは多少態度が改善したような気はするが、見下していることには変わりなかったしペイトウィンに至ってはあの場に居たわけでもない。


「はい……はい、ありがとうございます……」


「どうなんだ、あの男が言った通り《森の精霊ドライアド》と会話できるのか?」


 クレーエが去った後、エイーにペイトウィンが尋ねるとエイーは手に持った木の枝に向かって何やら相槌あいづちを打ちながら、横目でチラリとペイトウィンを見た。エイーはペイトウィンに特に答えるわけではないが、コクリと小さくうなずいて見せる。その目は何か救いを求めているようだ。


「ちっ」


 クレーエの言ったことが本当だと理解したペイトウィンは視線をらせて小さく舌打ちをする。ペイトウィンは『勇者団』で一番の魔法のエキスパートであり、同時に魔導具の権威でもある。そのペイトウィンが一度は鑑定したにもかかわらず、その木の枝にそんな機能が備わっているとは見抜けなかった。

 ペイトウィンが魔導具の権威なのは父から膨大な量の魔導具を引き継いだからに他ならない。父の“コレクション”を見て、その名前や特徴、性能などを覚えたからムセイオンで魔導具の目利めききとして知られるようになっただけだ。実際に魔導具を目で見て、その性能を看破できるわけではない。スキルとしての「鑑定」の能力は、残念ながらペイトウィンには備わっていないのだ。

 だからペイトウィンは見たことの無い魔導具の性能は見抜くことが出来ない。そしてエイーとクレーエが《森の精霊》から貰った木の枝……『癒しの女神の杖ワイド・オブ・パナケイア』は《森の精霊》が創り上げたオリジナルの魔導具であり、ペイトウィンのコレクションに同じものは存在していない。木の枝に魔力が宿っていることから、それなりに強力な魔導具であろうという程度のことは気づけていたものの、それ以上のことは分からなかったのだ。

 そして木の枝が実はペイトウィンが想像していたよりずっと高性能な魔導具であるらしいことが明らかになった。おまけにその機能の一部について、全くのド素人であるはずのクレーエごときに教えられた。無駄にプライドの高い聖貴族の中でも特に他人より優位に立っていないと気が済まないペイトウィンにとって、これほど不快なことは無い。自分自身が召喚したインプに裏切られた上に逆襲までされ、おまけに圧倒的な実力差でこうも追い詰められている状況下でのことから一層面白くなかった。


「も、申し訳ありませんホエールキング様。」


 ペイトウィンの不機嫌に気づいたエイーがすかさず謝る。


「何を謝る?」


「いえ、そのぅ……」


 確かにペイトウィンが不愉快な想いをしていることに今回エイーには何の責任も無い。エイーとしてはペイトウィンに機嫌をよくしてもらいたい一心で謝ってみせたわけだが、そういうその場限りの誤魔化しのような謝罪はペイトウィンの嫌う行為の一つでもあった。

 が、エイーにそのような態度をとらせているのが自分自身だと気づけないわけでもない。ペイトウィンは話題を切り替えた。


「フンッ……それで、《森の精霊ドライアド》は何と言って来たんだ?」


「はい、もう少し北へ行くと《森の精霊ドライアド》様の領域テリトリーです。

 そこまで行けば、あの化け物グルグリウスから守ってくれると……」


 エイーは申し訳なさそうに答えた。エイーからすれば『勇者団』にとって敵であるはずの《森の精霊》と馴合い、しかも助けてもらうなど裏切り行為のように思えて仕方がないのだ。

 だがそれを聞いたペイトウィンは鼻で笑いつつニヤッと笑った。


「フンッ……それでクレーエあの男は俺たちを《森の精霊》のとこまで誘導しようってのか?」


 ペイトウィンに肩を貸していたエイーは、自分の方を見もせずに不敵な笑みを浮かべるペイトウィンの顔を間近に見ながら戸惑う。


「あの、ホエールキング様?」


「ん、なんだ?」


「その……かまわないのですか?」


 実はエイー自身はペイトウィンから怒られるか、怒られないまでも嫌味の一つでも言われるかと覚悟していた。クレーエは間違いなくペイトウィンたちを《森の精霊》の領域へ導こうとしている。そして、エイー自身も《森の精霊》と念話で会話し、クレーエの誘導に従って《森の精霊》の領域へ逃げ込むことに同意してしまっていた。

 強大すぎる相手からの申し出を断れる状況になかったというのもあるが、助けてやるなどと言いながら誘い込んでおいて捕まえる罠である可能性も非常に高い。そんな誘いに不用意に乗るなど、自殺行為にも等しいと言えるだろう。身内の癖に『勇者団』を破滅に追い込もうとしていると非難されても仕方がない。サブリーダーのスモル・ソイボーイあたりなら激昂してもおかしくないだろう。

 しかしペイトウィンはエイーの顔を見ながら笑って言った。


「構わないさ。

 どうせこのままいけば森の精霊ドライアド》の領域テリトリーだ。今更他に逃げるのも難しい。

 なら誘いに乗ってもかまわないだろ。」

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