ブルグトアドルフの波紋

第654話 我が家の前を素通りする貴公子

統一歴九十九年五月八日、朝 - マニウス街道/アルトリウシア



 アルトリウス・アヴァロニウス・アルトリウシウス子爵公子をはじめとするアルトリウシア軍団レギオー・アルトリウシア首脳陣トリブニは、昨夜リュウイチから話を聞き終わると礼を述べて食堂トリクリニウムを辞去した。その後、要塞司令部プリンキピアに戻ってリュウイチから聞き取った話の内容を現地の地図や他の資料等と照らし合わせて状況の再検討作業に入っている。その内容は報告書にまとめ、早急にエルネスティーネ・フォン・アルビオンニア侯爵夫人へ報告せねばならないものであるからだった。


 ブルグトアドルフでルクレティアを守っているセルウィウス・カウデクスとその部下たちはアルトリウシア軍団の軍団兵レギオナリウスだが、ブルグトアドルフの街はエルネスティーネの領地である。しかも、ルクレティアの一行と合流したアロイス・キュッテルの部隊はアルビオンニア軍団レギオー・アルビオンニアであり、いわばエルネスティーネの私兵だ。報告しないわけにはいかない。

 それに今後のことについて考える必要もあった。理由はルクレティアと同行しているサウマンディア軍団レギオー・サウマンディアの存在である。


 他の属州の軍隊が領内で行動している。その事実に無頓着でいられる領主貴族パトリキなど居ないだろう。

 サウマディア軍団は同じレーマ帝国の辺境軍リミタネイであり、盟友プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウス伯爵の私兵である。決して敵対行動をとるような存在ではないが、だからといって勝手に他人の領国をうろついてよい理由にはならない。

 もっとも、メルクリウス騒動の対応で必要な場合、一個大隊コホルスまでの部隊をエルネスティーネの事前の了承なしに活動させて良いという取り決めはしてあったので、おそらくそれであろうとは推測されていた。問題なのはメルクリウス対応部隊の存在ではなく、それを率いている人間の存在である。


 プブリウスはアルビオンニウムに部隊を派遣していた。そのことは事前の取り決めもあったし、事後にではあるが報告もされている。それはケレース神殿テンプルム・ケレースの調査と調査隊の警護のための部隊だったはずだ。それ以外では第八大隊コホルス・オクタウァがティトゥス街道再開通工事のために派遣されているだけで、それ以外のことは何の連絡も受けていないし、承諾した覚えもない。メルクリウス対応で増援部隊の派遣があったと言う連絡も受けていない。

 つまり、もしも未だ知られていない増援部隊が送られてきたのでない限り、アルビオンニウムに派遣されていたケレース神殿調査のための部隊がそのままルクレティアの一行に同行していることになる。


 何のために?


 その理由がわからない。おそらくその部隊を率いている人物が何らかの理由でルクレティアと同行することを求め、ルクレティアの了承を得たものと思われる。

 もちろん、他所の軍隊に対しエルネスティーネの領内で行動することをエルネスティーネに代わって許可するような権能はルクレティアには無い。ルクレティアだってそのことは知っているはずだし、セルウィウスだってわかっているだろう。それよりなにより、軍団レギオーの法務を主に担当している軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥムセプティミウス・アヴァロニウス・レピドゥスが阻止するはずだ。それでも同行しているということは、彼らはアルビオンニア属州内で行動する法的根拠を持っているということ‥‥‥つまりメルクリウス対応の一環として行動しているということになる。


 メルクリウスに関する何か新しい情報を得て、その対応のためにルクレティアと共にアルビオンニウムから南下した?


 確かにアルビオンニウムでムセイオンから脱走して来た聖貴族コンセクラトゥムを捕虜にしたと聞いているし、更に昨夜のブルグトアドルフでも新たに一人の捕虜を得たらしい。ということはムセイオンからの脱走者が今回のメルクリウス騒動の関係者ということなのだろうか?


 その可能性は確かに低くは無いだろう。リュウイチの降臨が起きたばかりでの彼らの登場はあまりにもタイミングが良すぎる。現地の指揮官たちも、捕まえた捕虜から得た情報によってそうした確信を得たのかもしれない。

 だがこうした一連の流れは、現地でそうした判断を下し、独自の行動を始めた人物がいることを示唆していた。そして、それは軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム以上の地位にある人物とみて間違いない。つまり、貴族ノビリタスだ。


 サウマンディア貴族が部隊を率いてアルビオンニア属州内で行動している……それ自体はおそらく事前に承認を与えた範疇のことのはずだが、それでも全く対応しなくてよいと言う事にはならない。

 貴族には貴族にふさわしい遇し方があるものだし、兵士たちは水や食料を必要とするはずだ。それらの手配をしなければならない。今、ただでさえアルビオンニア属州各地の食料の余裕は無い状態なのだから、一定程度以上の人数が集団として活動するためには、それなりの調整の必要がある。

 それに彼らはおそらくメルクリウス騒動の対応の一環で活動しているはずであり、その指揮官はリュウイチの降臨について知っているはずだ。だが、彼らが活動しているライムント地方の下級貴族ノビレスたちはリュウイチの降臨について全く知らされていない。秘匿維持のためにも、いろいろと調整しなければならなくなるはずだった。


「ひとまず連絡を取らねばならん。

 大至急、ブルグトアドルフへ早馬を出すんだ。」


 かくして、昨夜遅くアルトリウスはブルグトアドルフにいる謎の人物とルクレティアとアロイスに向けてそれぞれ早馬を出し、さらに翌日にはエルネスティーネに報告を挙げるべく部下たちと共に資料をまとめ上げねばならなかった。更に念のため、サウマンディアからアルトリウシアへ派遣されている第二大隊コホルス・セクンダのバルビヌス・カルウィヌスにも心当たりがないかを問い合わせると共に、ティトゥス要塞カストルム・ティティへ来るよう要請する。

 何やかやと騒がしく過ごした夜は明け、アルトリウスは疲労の癒えぬまま車上の人となった。


「ふぅ~~~」


 車窓から憂鬱な様子で外を見ながら長い溜息をつく。城下町カナバエを抜け、人目が無くなったところでせめて車内でひと眠りしようかと思っていたが、今日は何故か車の揺れが気になって眠れない。疲れすぎると意外と眠れなくなる‥‥‥今のアルトリウスはまさにそんな感じだ。

 昨夜のブルグトアドルフ事件の戦況報告のためアルトリウスの馬車に同乗していたゴティクス・カエソーニウス・カトゥスは、向かいの席で鬱屈した様子を隠せないでいる上司に対し、素直に同情を抱いていた。


「お疲れの御様子ですな‥‥‥

 無理にでもお休みになられた方がよろしいのでは?」


 普段、軍事作戦を練ることばかりに頭を使い、その反動からか周囲の人間に対する気遣いの不足しがちなゴティクスからの珍しい言葉だったが、アルトリウスはその珍しさに気付くことなく受け流す。


「ああ、そうしたいし、そうしようと思うのだがな……」


 アルトリウスの顔は今にも寝落ちしそうなほど気だるげなのだが、開かれた目は座ったようにジッと車窓の外へ注がれたまま動く様子が無い。ゴティクスの言葉に応えはしているが、聞こえてはいないような様子だ。言葉が心に届いておらず、ただ条件反射的に口を動かしている……そんな気の入っていない印象である。

 普通の人間ならばアルトリウスの状況を察し、そのまま黙って眠らないまでもせめてそっとしておこうとするだろう。だがゴティクスは人に対して気遣いをするという行為そのものに慣れていない男だった。アルトリウスの言葉をそのまま受け取り、眠って疲れを取りたいがと字句通りに受け止めてしまう。疲れをとるために仮眠が必要だが取れない‥‥なら、今後疲れをとりやすくするか疲労がたまりにくくするための方策を検討すべきだと考えたのだ。結果、ゴティクスはそこから言葉をつづけた。


「閣下」


「何だ?」


「いっそ、奥方にもお教えしてしまわれてはいかがですか?」


「?‥‥‥何をだ?」


 アルトリウスはゴティクスが何を言っているのか分からず、ぼんやりと外を眺めたままわずかに眉をしかめる。


「リュウイチ様の降臨をです。」


 ゴティクスがそう言うとアルトリウスは目だけを動かしてゴティクスに視線を向ける。

 アルトリウスは妻のコトには降臨のことをまだ教えていなかった。あえて教えず、隠している。面倒ごとに家族を巻き込みたくない‥‥‥そういうありきたりな感情ももちろん無いわけではないが、それだけではない。彼女に言えば降臨のことは間違いなく彼女の実家へ、そして南蛮全体へ漏れてしまうだろう。彼女はかなり筆まめな性格で、しょっちゅう手紙を書いている。アルトリウスの母トキワもそうだったから、どうやら南蛮の貴族とはそういうものらしい。いや、コトが連れて来た侍女や使用人たちも割と頻繁に手紙をやり取りしている様子である。

 彼らの中に南蛮のスパイが混じっている可能性は非常に高い。もしかしたらコト自身もそうなのかもしれない。実際、コトの実家であるアリスイ氏側は時折アルトリウスらが「何でそんなことを知っているんだ?」と疑問に思うようなことを知っていることがある。逆にコトを通じて南蛮の、それまで知られることのなかった裏事情を教えられることも頻繁にあった。

 もしかしたら、コトや彼女の侍女たちは自分たちがスパイだと言う自覚もなく、ただ単に色々手紙でコミュニケーションをとっているだけなのかもしれない。だが、とにかくコトやコトの侍女たちに知られたことは高確率で翌月までにはアリスイ氏に知られてしまう可能性が高いのだ。

 だからアルトリウスはあえてコトには降臨のことは内緒にしている。平民プレブスに知られてしまった場合以上に、その後のことが予想が付かないからだ。


「閣下の御懸念は承知しているつもりです。

 ですが‥‥‥」


 アルトリウスは無言のまま手をかざしてゴティクスの言葉を遮った。


「貴官の言わんとしていることも、私は理解しているつもりだ。

 たしかに、コトに全部打ち明けられたなら、そして協力してもらえたなら、それはそれで素晴らしいことだろう。」


「ではっ‥‥‥」


 再び手を翳し、アルトリウスはゴティクスを制止した。そして翳した手をゆっくり降ろしながら視線を車窓に戻して続けた。


「今はまだ駄目だ。私は彼女の夫である前に、アルトリウシアの貴公子なのだ。」


 車窓へ投げかけられたアルトリウスの視線の先には、彼の妻と息子、そして妹の待っているはずの屋敷があった。彼らの馬車はその前を、今日もそのまま何事も無いかの様に通過していく。

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