第107話 ケレース神殿の調査結果

統一歴九十九年四月十二日、夕 - ヴィラ・カエルレウス・モンテス/サウマンディア



 澄み渡った青空のような清浄さを誇るクンルナ山脈東壁は、日が西へ傾くにしたがい山裾から徐々に影のパルラをかぶり、その山肌は一足先に夜の顔を見せ始めている。

 サウマンディウムの港から見上げるナシディアヌスの丘の上では、夕日を浴びて琥珀色に染まった『青山荘ヴィラ・カエルレウス・モンテス』がクンルナ山脈の黒く染まった山肌を背に輝きを放っていた。

 その光景は夕日がクンルナ山脈東壁に影を作ってから稜線りょうせんの向こうへ隠れるまでのごく限られた時間しか見ることは出来ないのだが、『青山荘』の放つ輝きがもっとも強くなるのはやはり夕日が稜線に達しようとしている瞬間であろう。

 その幻想的な威容は邸宅ヴィラドミヌスであるサウマンディア伯爵家にとっても、そしてサウマンディウムの住民たちにとっても自慢の種となっている。


 その輝きを放つ『青山荘』を見上げながら一隻の船がサウマンディウムの港へ戻ってきた。それは昨日、サウマンディウムからアルビオンニウムへ向かったはずの船だった。



 一昨日、アルトリウスがもたらした降臨の報告に大きな衝撃を受けたサウマンディア伯爵プブリウス・ウァレリウス・サウマンディウスの対応は実に素早かったと言って良いだろう。

 その日のうちにサウマンディウムに残留していた大隊コホルス出師すいし準備を命じるとともに、アルビオンニウムへ派遣する調査隊の編成を指示、そしてそれらはいずれも翌朝にはサウマンディウムを出立させることができたのだから。

 同時にメルクリウス目撃情報対応でサウマンディア各地に派遣されていた部隊には帰還し次第、即時待機命令が出された。

 現在、サウマンディア軍団レギオー・サウマンディアはサウマンディウムへ続々と集結中であり、現時点でアルトリウシアへ派遣した大隊を除く全体の約四割ほどがサウマンディウムで待機状態に入っている。


 アルトリウシアへ向かった二名を除くサウマンディア軍団の幕僚トリブヌスはまだ二名がメルクリウス目撃情報対応での派遣先からの帰還途上であったが、現時点でサウマンディウムに残っているマルクス以外の軍団幕僚トリブヌス・ミリトゥム二名には現時点で把握できている限りの情報が開示され、今後の対応策を検討させられていた。

 その中にはアルビオンニウムへの連隊規模での進駐計画も含まれていたが、これはハン支援軍アウクシリア・ハン叛乱事件のその後の情勢も不確かな現状では勇み足と言えなくもないだろう。

 ただ、今日の昼頃に伝書鳩で届いた「叛乱軍『バランベル』号で逃亡、逃亡先不明」の伝文を受け、サウマンディア艦隊による捜索計画が立案され、それは既にプブリウスの裁可を得た上で艦隊の一部に動員がかけられていた。


 あれやこれやとアルトリウシア程ではないにしてもそれなりに慌ただしいサウマンディウムへと戻ってきたアルビオンニウム調査隊は、乗船の接舷を終えるや否や早速『青山荘』へ向かった。

 しかし、調査隊に同行していた筈のサウマンディア軍団の軽装歩兵ウェリテス一個百人隊ケントゥリオの姿はどこにも見えなかった。



「それで、魔法陣は無かったんだな?」


「はい、床一面に散らばっていた、おそらく砕け散った水晶球と思われる砂をすべて取り除いてみましたが、床にも壁にも天井にもそれらしい痕跡は見当たりませんでした。」


 『青山荘』の執務室タブリヌムで報告を受けたプブリウスが確認すると、軍団幕僚のマルクス・ウァレリウス・カストゥスは答えた。


 アルビオンニウム調査隊を率いていたのはマルクスだった。

 調査隊の指揮など軍団幕僚という立場の彼がする仕事では無いのだが、サウマンディウムに残っていた軍団高官からアルトリウシア派遣隊メンバーを除くと降臨の事実を知っていて対応可能だったのが彼しか居なかったのだから仕方ない。


「現場がケレース神殿テンプルム・ケレースでしたので、サウマンディウムのケレース神殿から土属性の神官に同行してもらったのですが、その神官が言うには地脈が切れているそうです。」


「地脈が?

 どういうことだ?」


「御存知とは思いますが、アルビオンニウムのケレース神殿は地脈の上に建てられており、地脈の観測施設となっております。」


「火山の近くにそういう神殿が多いと聞いておる。」


「はい、地脈を観測し続ける事で、火山の噴火などを予知する事が出来たという事例があります。」


 マルクスは少し気まずそうに言った。

 アルビオンニウムのケレース神殿では一昨年、地脈の異常が観測されていたにもかかわらず、火山噴火を予知できず甚大な被害を生じさせていた。

 神殿長のルクレティウスはその後被災者の救援と避難誘導に尽力したが、噴火を予知できなかった事に対する自責の念ゆえか、住民救援のために危険な地域に飛び込んで行って被災し重傷を負ってしまった。その結果、彼は下半身不随になり今も苦しみ続けている。

 それ以来、アルビオンニウムでもサウマンディウムでも火山噴火予知に関する話題ははばかられるようになっていた。


「それは良い。で、地脈が切れたとはどういうことだ?」


「神官が言うには、神殿の地下には巨大な地脈が通っている筈なのにそれが全く感じられなくなったと・・・」


 プブリウスはその意味を考えてみたが、二人とも素人なのでその意味は理解しかねた。


「地脈がなくなったという事なのか?

 それが降臨と関係があると?」


「降臨と関係あると断言はできませんが、タイミングから無関係という判断はしにくいと思われます。」


 そりゃそうだ。地下を流れる巨大なエネルギーの塊、それがわずか数日で掃滅する等あり得ない。降臨と関係があるとみる方が自然だろう。


「たしか、あの水晶玉は地脈を観測しやすいようにするんだろう?

 あれが無くなったせいで地脈を感じられなくなったというわけじゃないのか?」



 アルビオンニウムのケレース神殿には周囲二ピルム(約三・七メートル)に達する巨大な水晶球が天井から吊り下げられていた。それは地に宿る《地の精霊アース・エレメンタル》の波動を増幅し、神官の地脈の観測を援ける効果があると伝えられている。

 今回、降臨後の調査隊はその水晶球が消失していて、代わりにその水晶球が粉々に砕けてできたと思われる大量の砂が部屋中に散らばっているのが確認されていた。

 水晶球が地脈の波動を増幅するのならば、その水晶球が無くなったことで波動を感じられなくなったのではないかとプブリウスは指摘しているのだった。



「私もそれは指摘しましたが、神官は首を横に振りました。

 あれは地脈の表情を見るためのもので、地脈の存在そのものは水晶玉の有無に関係なく感じられるはずだと・・・」


「・・・それはつまり、どういう意味があるんだ?」


「申し訳ありません、閣下プブリウスマルクスには分かりかねます。」


「その神官は何と言っている?」


「やはり分からないと言っていました。

 何分、これほど巨大な地脈が消滅するなど前例がないそうで・・・」


 それを聞いてフームと大きく息を吐くようにプブリウスは唸った。


「・・・ではやはり関係があると見るべきだろうな。」


「それがよろしいでしょう。

 いずれにせよ、更なる調査が必要だとその神官は申しておりました。」


「その神官はどこでどうしている?」


「アルビオンニウムに残してきました。

 彼自身がそれを希望しましたので。」


「それで、軽装歩兵を護衛に残したのか?」


「現場保全の必要性もあろうと考えまして、神殿の警備を命じてあります。

 一週間分の食料は持って行ってますので、それまでに呼び戻すか、継続させるなら補給を考えねばなりません。」


 プブリウスは額に手を当て、人差し指でコツコツと自分の頭を叩きながら少しの間考えを巡らせた。


「よし、補給をしよう。

 あと、アルトリウシアへ調査結果を知らせ、スパルタカシウスルクレティウス様の御指示を仰ぐのだ。

 少なくとも何か分かるまで現状を維持させねばなるまい。」


「このまま何もわからなければ、いつまで?」


「何もわからないという事がハッキリ分かるまで続けるのだ。」

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