第115話 マウノ・ピルッカソン

 統一歴九十九年四月十三日、午後 - 《陶片》海兵屯所/アルトリウシア



 サムエルの部下が話した内容はこうだ。


 昨日の夕方ごろ、基地カストルム敷地内の捜索に粗方あらかた目途めどがついたので、ついでにと敷地の西側にちょっと足を延ばした水兵がいた。

 基地の敷地から西は海まで一マイル(約一・九キロ)以上もあしの生い茂る湿地なのだが、基地で起こった大爆発のせいでそちらの方も飛び火しており、見渡す限り真っ黒になっていた。

 その水兵はひょっとしてこっちに逃げた奴もいたんじゃないかと歩いてみたわけだが、死体は見つからなかった。

 さあ、そろそろ薄暗くなってきたし帰ろうかと基地の方へ戻り掛けたところで、後ろから数歩分の足音に続いてドシャッと泥濘ぬかるみに何かが倒れるような音がした。その水兵が驚いて振り返ると、さっきまでいなかった筈の人が倒れている。

 その倒れてる奴は「ぅあああぁあ・・・」と、何か言葉にならない声をあげながらムックリと顔をあげ、手をばして水兵に助けを求めた。どうやら焼け残っていた葦の茂みの中から飛び出して転んだらしいのだが、その水兵はすっかり気が動転してた。

 なんせそいつは泥だらけのすすだらけ、グッチャグチャの真っ黒に汚れてしまっていてとてもじゃないが人間には見えなかったからだ。



「それでどうしたんだ?」


 サムエルが訊くと、部下はさも可笑しそうにクックっと笑いをこらえながら続けた。


「そいつぁ『ゾンビだぁ』って悲鳴を上げて思わず手に持ってた棒でぶん殴ったんですよ。

 殴られた方はたまったもんじゃねえや『痛でぇ!!』って悲鳴を上げて、手で頭を抑えましてね。

 そこで水兵はようやく相手がゾンビじゃないと気が付いたそうで。」


「はっはっは、ゾンビが『痛い』なんて言うわけないもんな。」


 ゾンビに知能は無い。ただ、動き回るだけだ。言葉なんか話すわけがない。


「ええ、そんで慌てて倒れてた奴を介抱したそうで。」


「死体がゾンビになるには早すぎるだろうに、間抜けな奴・・・。

 で、そいつはどうしたい?」


「どうにもこうにも、そいつはそのまま気を失っちまって・・・どうやら二、三日何にも食ってなかったらしくてえらく衰弱してやしてね、屯所ここに運び込んで手当てを受けて、今は奥で寝てやすよ。」


屯所ここに運び込んだってことはそいつも水兵だったのか?」


「裸足だったし武器も持ってなかったが、ブッカで鎧下イァックなんか着てやしたからね。

 こいつぁ水兵だろうって運び込んだんでさ。

 気を失ったままのそいつに水ぶっかけて綺麗にしてやって・・・したら、そいつを知ってる水兵がいやしてね。

 どうもマウノって奴だそうで・・・御存知ですか?」


「マウノ・・・ああ、ピルッカ爺さんの息子だろ?

 たしか『グリームニル』号の乗員だ・・・今回の遠征には参加してなかったか。」


 アルビオンニウム派遣隊は軍団兵レギオナリウスを少しでも多く積むため、本来の乗員の何割かを降ろしていた。マウノ・ピルッカソンは今回降ろされた乗員の一人だった。


「そうそう、そいつでさ。」


そいつマウノの容体は?」


「命に別状はねえが、ただでさえだいぶ弱ってるところへ、思いっきりぶん殴られて頭にでっかいタンコブこさえちまったんでね・・・しばらくは動かさんほうがいいでしょう。

 ・・・そいつがどうかしたんですか?」


 部下はサムエルの笑顔が曇ったのに気づいて尋ねた。サムエルは少し考えて答えた。


「いやなに、逃げだした『バランベル』号を探せってお達しが出たのさ。

 で、明日出港するんでな。」


「そうですか・・・マウノの奴ぁ今回は無理ですな。

 しかし、それならこっちで作業してる水兵を連れて行かれるんで?」


 アルビオンニウム派遣隊に加われなかった乗員の多くが海軍基地の片付け作業に従事している。死体捜索作業はほぼ終わっているので、必要とあれば引き抜いて行ったとしても問題は無い。


「いや、二隻だけだから今セーヘイムにいる連中だけで間に合うさ。

 それよりも、怪我を治すように言ってやってくれ。作業の方も続けて頼む。」


 サムエルはそれだけ言うと、じゃあそろそろ帰るよと言って席を立った。


 もし二人がもう少し注意深かったら、マウノが何でそんな場所にいたのか疑問に思った事だろう。そしてその疑問にたどり着いたなら、サムエルはここで帰ったりせずにマウノから話を聞こうとしただろう。

 マウノが海軍基地よりもずっと海の方にいたのには理由があった。マウノは一度ハン族の捕虜になり、海上へ連れ去られていたのだ。



 あの日、マウノは城下町にいた。行きつけの食堂タベルナで朝飯を食べようと歩いていて戦闘に巻き込まれた。そして目の前で銃弾に倒れた住民を介抱していたところをゴブリン兵に見つかり捕まったのだ。

 その後、銃を突き付けられながら、強奪された七隻の貨物船クナールの内の一隻に乗せられ、櫂を握らされた。もちろん、『バランベル』号と『ナグルファル』号の戦闘とも呼べない戦闘も目の当たりにした。

 『バランベル』号が座礁した瞬間、マウノは心の中で喝采したものだ。


 『ナグルファル』号が去った後、ゴブリンたちは座礁した『バランベル』号を浅瀬から脱出させようと躍起やっきになっていた。

 貨物船に移せる荷物をすべて移し、さらに『バランベル』号や貨物船に搭載していた短艇カッター革船コラクルもすべて海面に下ろし、それにも荷物を移して『バランベル』号をできるだけ軽くしようとした。それでも足らずに、樽など海上に直接降ろせる荷物を片っ端から海に浮かべるような真似までした。

 その地道な作業は日が沈んでも続いた。

 それでも残っていた荷物や人や大砲等を、浅瀬に乗り上げた左舷前方とは反対側の右舷後方へ集めた。


 そして夜遅く、潮が満ちてくるのを待って、七隻の貨物船と『バランベル』号をロープで繋いで後方へ引っ張らせ、『バランベル』号自体も櫂を使って後方へ下がろうとした。

 それでも『バランベル』号はビクともしない。


 そのうち誰かが、帆を張って風の力も使おうと言い出した。

 北西に船首を向けて座礁している『バランベル』号に対し、風はちょうどほぼ真正面から吹いていた。帆を張れば船は後ろへ下がるはず。



 捕虜のブッカたちは止めるように言ったが、ゴブリンたちは聞く耳を持たなかった。

 自分たちを素人だと思ってバカにしている。やつらブッカは自分たちが脱出できないように妨害する気なのだ・・・そう思っているのが態度からにじみ出ていた。


 彼らゴブリンは一番高い帆柱マストに一番大きな帆を張った。



 ハン族は知らなかった。

 船の帆柱や張綱はりづな策具さくぐなどは後方または横から風を受ける事は考えられているが、前方から風を受けることなど考えられていない。当然、後ろや横から吹いてくる風には耐えるように造られているが、前方から吹いてくる風に耐えるようには作られていないのだ。


 帆は前方からの風を受け、帆柱へし掛かるように広がった。

 ここまで綺麗に裏帆うらほをうつことなど、まず無いだろう。

 裏帆状態で満帆に風を受けた『バランベル』号の帆柱と策具は誰も聞いたことのない異様な音を立て、そして帆柱は根元から折れて右舷側へ倒れた。


 海上に轟音と共に悲鳴と怒号が響き渡った。


 しかし、帆柱が倒れた衝撃で船体が左右に揺れたせいか、奇跡的に『バランベル』号は動き出し、浅瀬から脱出する事が出来たのだ。

 悲鳴は歓声へ変わった。

 そして間を置かず、一度海上へ浮かべた荷物の回収作業が始まった。


 マウノは考えた。

 ゴブリンたちはとにかく急いでいる。多分、アルトリウシア艦隊に見つかれば無事脱出できないと分かっているのだ。

 今は月の位置からして真夜中を過ぎた頃だろう。このままいけば、朝方にはアルトリウシア湾を脱出できそうだ。

 だが、アルトリウシア艦隊は多分、『バランベル』号は座礁してもう動けないと考えているに違いない。このままだと、逃げられてしまう。何とか『バランベル』号が脱出した事を知らさなければならない。今までは拉致された民間人たちの事もあって大人しくしていたがそうも言ってられなくなった。

 そしてマウノは脱走することにした。



「あ、うわあああ!」


 どぼん!


 マウノは乗っていた貨物船の右前方に浮かぶ荷物を取ろうとしてバランスを崩したように見せかけ、海へワザと落ちた。悲鳴を上げて海面に飛び込むと、そのまま船底をくぐって左舷船尾側まで行き、そこで海面から静かに顔を出した。

 貨物船に乗っていたゴブリン兵は操船など出来ない。せいぜい、号令に従ってオールを漕ぐ訓練を受けたことがあるだけの素人だった。操船を捕虜のブッカにやらせ、自分たちは捕虜が勝手な事をしないよう武器を構えて監視するのが仕事だった。

 そのゴブリン兵たちは右側の海面を松明で照らし、落ちたはずのマウノを探している。

 左舷側には櫂を握る捕虜のブッカだけしかいない。

 マウノは海面から顔を出して息を整えているところをそのブッカの一人に見つかったが、口に人差し指をあてて静かにしてくれるように無言で頼むと、そのブッカは黙ったまま頷いた。


 泳いで岸を目指すなら北の方が近そうだったが、北側には『バランベル』号が居る。マウノは音をたてないように東へ向かって泳ぎ出した。



 船から十分離れ、もう水しぶきを立てても見つからないだろうと判断したマウノは本格的に泳ぎ出した。

 岸はよく見えないが、そこからならもう真っ直ぐ東へ言った方が早く陸に着くだろう。しかし、マウノはもう限界だった。昼食も夕食も支給されなかったし、朝食を食べる前に捕虜になったのでその日は何も食べてなかったのだ。おまけに櫂を漕いだり重たい荷物を揚げたり降ろしたりと重労働が続いていた。

 マウノは海に浮かんだまま仰向けになり、そのまま眠った。


 ゴブリン系種族の多くは体脂肪率が低く、寒さに弱い上に泳ぎも苦手だ。ほとんどがカナヅチである。

 しかし、ブッカとコボルトは皮下脂肪が多く、寒さに強い上に水に浮きやすく泳ぎも得意だった。海の上で寝ても溺れないくらいだ・・・ブッカが溺れ死ぬなんてことは滅多にない。


 目が覚めた時、もう日はだいぶ高くなっていた。おまけにいつの間にか浅瀬に乗り上げたまま寝ており、見渡すと岸からまだ大分離れていた。

 立ち上がって東へ歩いた。そして再び深くなると泳いだ。

 大した距離は無い筈だが、空腹と疲労で限界に達していたマウノの進む速度はどうしたところで速くならない。

 ようやく東岸の葦原あしはらにたどり着いた時、もう日が暮れようとしていた。


 気付いたらいつの間にかまた寝ており、既に日は高くなっていた。


「あれ、今日は二日目だっけ?三日目か?」


 歩きながら最後に食べたものは何だったか思い出そうとした。


 そうだ、あの日の前の晩は何も食べずに酒だけ飲んでたんだった・・・てことは、前日の朝の小麦粥プルスが最後の飯か?


 それに気づくと空腹感が弥増いやました。


 ああ、考えるんじゃなかった。


 疲れ切った身体で葦の生い茂る湿地を歩き、足を取られては転び、転んでは起き上がって、いつしか身体はドロドロに汚れてしまっていた。


 ようやく葦原を通り抜けた時、ちょうど目の前に水兵が居た。


 やっと、これで助かった・・・そう思って踏み出したら、安心したせいか脚に力が入らなくなった。情けない事に数歩進んでよろけて転んでしまった。



 マウノはその後の事は憶えていない。だから起きた時、何で自分の頭に包帯が巻かれているのか分からなかった。

 気が付いたらどこかの建物で寝かされていたのだ。



 もし、サムエルがマウノからこの話を聞いていたら、『バランベル』号捜索で湾外へ出て行くことはなかっただろう。あの座礁場所から真夜中過ぎに出発したなら、『バランベル』号の鈍足で翌日『ヒュロッキンホルニ』号に見つからず湾外へ脱出することなど不可能だったはずなのだから。

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