第1015話 ルクレティウスの用件

統一歴九十九年五月十日、昼 ‐ティトゥス要塞カストルム・ティティ・ルキウス邸/アルトリウシア



含蓄がんちくのある言葉だが……」


 ルクレティウスはルキウスの言葉に納得しかねるように首をかしげる。


「君にそういう経験があったかな?」


 長期間、大切な誰かに会えない孤独を知っている者が言ったのであればルキウスの言葉も真実味を持つだろう。しかしルクレティウスの知る限りルキウスはそのような経験をしていないはずだった。

 ルキウスは下級貴族ノビレスの家に生まれはしたが、兄が居るために家を継げる可能性は無く、兄の予備という扱いを受け続けたことで幼いころからどこか投げやりな性格を持つように育った。それでも成人して軍務についてからは多少の落ち着きを見せていたのだが、最初の妻を産まれようとしていた子と共にうしない、更に落馬事故によって腰を傷めて軍を離れざるを得なくなると、まるですべての希望を失ったかのように極端に自堕落じだらくな生活を送るようになってしまった。

 喪った妻は政略結婚で仲は悪くはなかったがそれほど良かったという印象も無い。現に喪も開けぬうちからルキウスは夜の街に繰り出しては酒と女とに明け暮れる生活を始めている。その間、いかにも遊びで女性と付き合いはしても真剣な恋愛などした様子はなかった。親友らしい親友がいた形跡もなかったし、そもそもレーマ留学のように長期にわたって遠隔地へ旅したこともない。誰かに会いたくて会えない状況に陥ったことは、ルクレティウスの知る限りルキウスには一度も無いはずなのだ。

 妻アンティスティアとの仲を恋愛と捉えて考えたとしても、アンティスティアは侍女としてルキウスに仕えて以来、結婚して今に至るまでずっとルキウスの傍に居続けているのだから会えなくて辛い思いをしたということは無い。

 これまでのルキウスのことをそれなりに知っているルクレティウスからすれば、時に人の心をもてあそんでたのしむことすらある彼の口からそういう言葉が出てきたことが少し不思議だったのだ。


 ルクレティウスの疑問にルキウスは驚き、無言のまま目を丸くしてルクレティウスを見つめ返したが、数秒後にはフフンと笑って目をらした。茶碗ポクルムを手に取り、香茶の湯気をスーッと鼻を鳴らしながら吸い込む。


「実を言うと、アルトリウスあれの嫁から催促されてな。」


アリスイアコトから?」


「遠回しにだがね。

 私への見舞いの手紙の中で、早く加減が良くなりますようにと……」


 香茶をズズッと一口すすってルキウスが話を続けると、ルクレティウスは納得したようにハァと溜息をついて車椅子の背もたれに上体を預けた。


「なるほど、愛しい夫は君が療養に入ったせいで帰ってこれなくなったのではないかと?」


「彼女は南蛮人だ。

 そこまであからさまには書いてはいなかったが、さすがに毎日毎日手紙を寄こされてはな……」


 アルトリウスの妻コトは驚くほど筆マメで毎日のように誰かに手紙を書いている。アルトリウスの実母でルキウスにとって義姉にあたるトキワも筆マメで呆れるほど手紙をよく書いていたから、おそらく南蛮人の文化的なものなのだろう。

 ルキウスは普段、コトからの手紙を毎月一、二度受け取っていた。内容は庭の何とかいう花が咲いたとか、今年一番の渡り鳥が飛んで来たとか、いたってどうでもいいようなことをツラツラと書き連ね、それでいて用件がどうとかいうようなことはほとんど書かれない。アルトリウスに訊くと、一見どうでもいいような話が実は暗喩あんゆであり、色々な意味が隠されているのだとかいう話だった。アルトリウスはさすがに母と妻が南蛮人なだけあってそうした隠された意味を簡単に読み取ることが出来るようだったが、ルキウスには南蛮人のセンスはなかなか理解しがたいものがある。レーマでももちろん暗喩は用いるが、レーマ人は伝えたいイメージを相手に理解しやすくするために暗喩を用いるのに対し、南蛮人はどれだけ真意を隠すかに心血を注いでいるかのような用い方をするのだ。それでいて相手にどれだけ真意を伝えるかを、手紙の数で補おうとしているかのように何度も送って来るのだからたまらない。


 先月、リュウイチが降臨しハン支援軍アウクシリア・ハンが叛乱を起こしてからというもの、その手紙の頻度ひんどは跳ね上がっている。ほぼ毎週一、二度のペースではげましやねぎらいの手紙が寄こされ、ルキウスがギックリ腰をしてからは毎日という有様だ。

 返事を書く身にもなってもらいたいものだ……忙しいのが分かっている癖にいくらでも手紙を送って寄こすコトの意図が分からず、ルキウスはさすがに呆れてしまったものだが、それを聞いたアンティスティアが「早く子爵閣下に復帰していただいて、アルトリウスが家に帰ってこれるようにしてほしいんじゃないかしら?」と言ったことからルキウスはようやくコトの真意に気づいたのだった。


「そりゃあ養子むすこに仕事を押し付けて君ばかり幸せになられたら、アルトリウスむすこの嫁としちゃたまったもんじゃないだろうさ。

 正衣トガを着てるのもそれかね?」


 ルクレティウスはハハンと呆れたように笑う。もちろんルクレティウスが呆れたのはコトに対してではなく、腰痛にかこつけて領主としての公務を投げ出し、愛妻に甘える日々を堪能していたルキウスに対してであった。


「歩ける程度には回復したからな。

 さすがにこれ以上寝ても居られんさ。」


 ルキウスは一週間ぶりにまとったトガの襟元をさするようにいじる。

 トガは《レアル》ローマから伝来したレーマの正装だ。カーテン数枚分にもなる巨大な布を、使用人に助けて貰いながら身体に巻きつけて最後に残った端の部分を左腕にかける。着崩れやすく身動きがかなり制限さえるうえ、着つけは一苦労で一人では上手に着付けることが出来ない。ゆえに、身体をほとんど動かさない貴族しか着ないし、その貴族も近年では人前に出る時にしか身に着けることは無くなっている。つまり、貴族がトガを身に着けているということは、公務を執り行う用意がある、あるいは今まさに公務中であるということだった。


「それは何より、領主としての自覚に目覚めてくれたのは喜ばしいことだ。」


「おいおい……」


「君が真面目に領主をしてくれてれば嫌味なんか言わんさ。」


 ルキウスは子爵家の家督を継いで最初の仕事である火山災害の対応から復旧復興、そしてハン支援軍の叛乱事件とリュウイチの降臨という問題に手堅く対処してきている。その仕事ぶりは堅実そのもので、目立って非難に値するような落ち度は見当たらない。

 ルキウス自身もその点には自負があり、ルクレティウスにそこまで言われる覚えはないのだが、ルクレティウスのルキウスに対する評価では「もっと出来たはず」だった。要はルクレティウスのルキウスに対する評価はルキウスが自覚している以上に高かったのだ。

 それを置いておいたとしても酷い言われようだがギックリ腰にかこつけて公務をほっぽり出してしまったルキウスには反論しきれない。


「配下に優秀な人材が揃っているとね、つい使って見たくなるんだよ。」


「ものは言い様だな。」


「それよりも、何か用事があったのではなかったのですかな、スパルタカシウス卿?」


 ルクレティウスの毒に耐えかねたルキウスは砕けた口調を改め、公人としての立場へと立ち戻った。私人としてのルキウスは、どうやらルクレティウスからの許しを得られていないらしい。

 ルキウスが私人としての自分を引っ込めたことで、ルクレティウスも砕けた態度を改めた。さすがにルキウスの公務への態度を戒めながら、自分がルキウスより奔放ほんぽうでいられるわけがない。ルクレティウスは軽く咳ばらいをしてから姿勢を正す。


「子爵公子閣下が参られてからと思いましたが致し方ありますまい。

 まずは子爵閣下に御相談させていただくことといたしましょう。」


 ルキウスは面倒くさそうに顔をしかめる。


「子爵公子閣下で済む話なら私ではなく彼にすればよろしいでしょうに?」


「いや、閣下の配下に関することなのですよ。

 子爵公子閣下も関係する案件でしょうし、それに子爵閣下がせっておられる間のことで、子爵公子閣下が処理しておられたのでね。」

 

「だとすれば、私はまだ引き継いでない案件のようですな。」


「恐らくそうでしょう。」


「何なのです、私の配下に関する案件とは?」


「実は一昨日、リクハルド卿から面会を申し込まれましてね。」

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